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伝説とは?

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昨年、職場を変わったりしたので確定申告をせねばならず、たまたま時間がとれたので、小雨をついて税務署に出かける。
朝まだ早いというのに、税務署には人々があふれ、それが皆、独特の熱気を自ずから発している人ばかりなのだ。おそらく、追徴が生ずるかも知れない不安と、還付が受けられる期待とがない交ぜになって、脳内をドーパミンやらセロトニンが駆けめぐっているに違いない。
ふと見ると、長蛇の列の片隅に、えらく閑散とした一角があり、そこはPCによる申告書作成コーナーなのであった。15台ほどノートPCが用意してあるのに、利用している人は二人ぐらいである。迷わずそちらを利用することにして、作業開始。電卓と机を貸してくれるだけの手書き部門と違い、指導係もほぼ付ききりなので、実にスムーズであった。
まず質問数を9から45の間で決める。問題数が多いほど正確な結果が出るというのだが、私はめんどくさいので18を選んでおいた。その上で、表示される問題を5択で答える。たとえば、「私は極めて傷つきやすい人間である」なら、その通り、ある程度当たっている、どちらともいえない、あまり当たっていない、全く当たっていないの5段階を選択する。
先日、謎の死を遂げたアンナ・ニコル・スミス(39)であるが、彼女は巨大な額の遺産相続騒ぎと、同じく巨大なそのバストで有名だっただけでなく、シスコ社のLANスイッチに関する豊富な知識でも一部には知られていた。おそらく、数年前に行われたと思われるインタビュー記事がこちらのサイトに紹介されているので、全文を訳してみた。もしかしたら、その死の秘密に迫る内容も含まれているのかと期待したが、それは関係なかったようである。
前文(抄訳):RouterGodのリポーター、トム・ハットンはシスコ社のイーサスイッチ、カタリスト1900シリーズについて、かのアンナ・ニコル・スミスと対談するという任務を与えられた。この身長180cm体重75kgのふくよかな女性は魅力ある人であるのは事実ながら、ここ南カリフォルニアではもっと美人はいくらでもいるのだ。さあ、ロサンジェルスのレストランで行われたこの対談を読んで、何が彼女を特別の存在にし、その人生を輝かしいものにしているのかを確かめよう。(以下対談本文)
カナダ・マックギール大学の心理学研究者、マーク・ボールドウィン研究者は、その研究成果を踏まえ、ストレスを解消してネガティブ思考を改善するためのゲームをを開発する企業を設立した。
彼らの研究グループは、社会的に拒絶されていると感じ、常に自己評価が低い人々が、自らのネガティブイメージに注視する傾向があることに注目し、それを改善するための認知療法的手順をゲームとして提供することを検討した。
彼らの元論文では、さまざまな価値イメージを表した言語の中から、肯定的なイメージを見つけ出す作業と、肯定的な表情表出をいくつかの表情写真から見つけ出す作業について、その自己評価を高める効果を主張している。
Windows Vistaの音声認識機能を使って、Perlプログラミングをしている映像。新しいコンピュータライフが誰にも手に入る未来が、ついそこまで来ていることを実感させる素晴らしいデモといえましょう。
私はVistaのRC1だったかRC2だったかの評価版を2ヶ月ほど使用させてもらったが、ま、ドライバが開発されていないことは別にして、よく工夫されたOSだと思ったものだ。
何より、その美しいグラフィックには感心したものの、誰にも使えるような細かな工夫というものは、結局誰にとっても使うのが困難なのだというのを実感する結果に終わり、結局Win2000に戻したばかりであった。あれを購入し、慣れる努力をするなら、Linuxに移る方が少なくともトータル・コストは安いだろう。
退役者を含む米軍関係者とその家族のためのコミュニティサイト(?)、military.comの関連サイト、Defencetech.orgに昨年4月掲載されていた記事。国防映像情報センター資料からの引用だという。昨年のベスト記事6位にあげられたことで、あちこちのブログに取り上げられ、こちらも厚顔無恥に曾孫引きする次第。第5海兵隊第1大隊所属のチャド・コッドウェル伍長が持っているのは、実験的に配備されている市街戦用スケートボードであり、ビル内の戦闘において、ブービートラップの探知や狙撃を避ける目的で使用される。これは99年に行われた「都市戦士」演習で作戦投入された。
ヨットを趣味する人々の間では、昔からDWFTTW問題(DownWind Faster Than The Wind)というのが議論になっているという。つまり、水上陸上を問わず、帆走する乗り物を追い風より早く走らせることは出来るのか、という問題である。
Googleで"DWFTTW"を検索すると、この問題についてのいくつかの考察が見つかるが、私の物理センスでは、ちょっと理解するのが困難。直感的にはそれは無理ではないかと思うのだが、わざわざ考察をネットで公開するような人はそれが可能だというのである。<Link1•2>
それならば、実際に作って見ればいいと考えた人がいて、その制作記(PDF)をヨット雑誌に寄稿している。そして、ご本人によるのかどうか不明ながら、そのDWFTTWマシンとほぼ同じものを走らせているビデオがYouTubeにアップされている(何故か題名がDDFTTWなんだけど、これはdirectly downwind faster than the windの頭文字をとったみたい)。
せっかく付けられた精神疾患診断名なんだから、思いっきりそれを楽しんじゃおうね、と言うコンセプトのデザインTシャツ。DSM-IV基準の精神疾患診断名とそのコードを大胆にロゴ化し、それにちょっとしたコメントまで付けて世にアピールするというもの。
今のところ、製品には「314.00 注意欠陥障害」、「314.01 注意欠陥多動性障害」、「312.82 行為障害」、「297.1 妄想性障害」、「301.5 演技性人格障害」、「301.81 自己愛性人格障害」、「300.3 強迫性障害」、「313.81 反抗挑戦性障害」、「301.0 妄想性人格障害」、「312.39 抜毛症」の10種類が揃えられている。なお、数字はDSM-IVコード。こんな風にお遊びに使うのが、この基準に一番ふさわしい使い方、というところですか。
「金融情報専門の通信社」であるという、テクノバーンのサイトに、「日本人研究者が論文発表、宇宙での栄養補給には昆虫を食べるのが最適」なる記事が掲載されていた。
これはAdvances in Space Researchという宇宙開発専門誌で発表される予定の論文を紹介したもので、スペースコロニーで動物性タンパクを得るためには、食物連鎖上位の動物ではなく、昆虫を食べるべきだとの主張だという。
記事では研究者の名前も判らないので、早速ASR誌の草稿ページを調べると、宇宙航空研究開発機構の山下雅道教授のグループによる論文だというのは判ったのだが、残念なことに抜粋も示されていない。
「男性が小用を足した後、トイレの便座を下ろしておくべきかどうか」という、長年論争を呼びつつ、下ろすことが多数意見となっている常識に対し、科学的研究がそれは非効率的であるという結論を導き出した。
インド・ラホール経営科学大学のハマッド・アルサバー・シディッキ助教授は、この便座問題についてゲーム理論を用いて考察し、男性が便座を下ろす面倒さを選ぶのは、ただ「私を愛しているなら、便座を下ろしておいて」という、女性側の戦略的攻撃を回避するためだけであることを示した。
初期型のFOMA携帯電話を買って丸4年になるが、未だに10キーをつかって日本語入力する馬鹿馬鹿しさにはつきあえず、週に一度ぐらい電話をかけたり受けたりするのと、カメラを持っていない時に画質の悪い写真を撮るのに使う程度なのであった。
なにせ、何だかんだと割引が付いているにせよ、月に二千円以上の料金にはならないのだ。しかも、それでも無料通話分を殆ど使っていない。繰り越し制度があるらしいのだが、どうせ使わないのはわかっているので興味もなく、出先でも捕まえることが出来ますよという口実に持っているだけなのだ。
医学雑誌「パフォーミング・アーティストの医学的問題」誌最新号が特集する楽器による健康障害問題。Link>
楽器というものは演奏家が抱えて操作せねばならず、一方でその音響特性のことを優先した設計になっているため、演奏者に身体的ストレスを与えるような作りを変えていくことは難しい。
しかし、この雑誌の編集者レビューによれば、音響性能をむしろ改善しつつ、演奏を容易にし、健康被害を与えないような配慮をおこなった楽器改良も一部では進みつつあるのだそうである。
さる1月14日、中国電視台のTV公開番組「芸術品投資」(どうも雰囲気からすれば、「お宝鑑定団」のパクリみたいな番組のようですな)で、戦国時代(前403〜前221年)の古鏡が披露された。
これは古代鏡の収集家として知られるChen Fengjiu氏のコレクションで、11個のトルコ石が埋め込まれ、複雑な彫刻が施されていて、日本円にして1億2千万円の価値があるとされているものなのだそうだ。
ところが、モデルさんがこの鏡を収録会場の聴衆たちに見せているとき、彼女はこの鏡を取り落としてしまい、床に落ちた鏡は見事にバラバラに壊れてしまった。こちらの写真は焦るモデルさんと番組関係者、破片の前に座り込んでいるのが持ち主のChen Fengjiu氏。
死体洗いのアルバイト―病院の怪しい噂と伝説坂木 俊公 イーストプレス (2003/07) Amazon.co.jp で詳細を見る

[] 医学都市伝説
[引用サイト]  http://med-legend.com/
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 Last Updated 2007/ 02/ 15/ 15時23分42秒

という歌だった。もちろんこれは、あまりにも有名な菅原道真(845ー903)の都落ちする時のため息にも似た悲しみの歌である。
何故、道真は得意の漢詩ではなく、和歌によって「梅」を詠ったのか。おそらく、九州太宰府に移される時期もあったのだろうが、それ以上に、「梅」というも
単純に桜と比較すれば、桜はひと息に咲き、ひと息に散る花であるのに対し、梅は咲いた後もしばらく咲き続けている息の長い花である。日本人はとかく、中国
から来たという梅よりも桜のひと息なところを好む人間が多いが、漢文に長け、多くの漢詩を愛し、自らも漢詩を詠んだ菅原道真にとっては、桜以上に心を寄せ
それにしても、道真は、漢詩ではなく、何故、和歌を詠んだのか、という一点だ。それは歴史上、道真を失脚に追い込んだ張本人と目される藤原時平(871-
909)という人物との関係から来る大いなる疑問である。時平は、当時の貴族の本流とも言うべき藤原家を代表する人物である。一方、菅原道真は、藤原家か
らすれば、傍流に過ぎない。菅原家(菅家)は、学者の家系であり、それが時の宇多天皇によって、才能を認められ、あれよあれよという間に、出世を遂げる。
藤原氏もはじめは、辛抱強く我慢していたが、道真は藤原氏の政治システムの矛盾を糺すべく、大改革を断行し始める。覚悟の上とは言え、道真は虎の尾を踏ん
でしまったのだ。そこで自分たちの既得権を侵害されては一大事と、藤原家は時平を中心にして、道真封じの策を練る。これが道真失脚の一般的な見方である。
ところで、時平と道真の間の年齢差は26歳もある。もちろん道真が年上である。おそらく、ふたりの間には世代間のギャップもあったはずだ。確かにこの時平
であるが、和歌の編纂にも力を入れて、紀貫之(868ー945?)らに古今集を編纂させたことでも知られる人物だ。つまり、ふたりの間には、政治的対立以
外にも、世代というもうひとつの対立軸があったことになる。それをさらに煎じ詰めれば、漢詩の人道真と和歌の人時平という対立構造になる。こうして、ふた
りの間には、藤原氏と菅家(菅原氏)との新旧貴族の政治的対立の他に、世代間のギャップというか、中国風と日本風の文化を巡る対立構造もあったのである。
紀貫之は、あの「男もすなる日記というものを・・・」とで知られる土佐日記を女性の言葉風に公にして、和風の文化運動を推進した当代屈指の知識人であっ
一般に、菅原道真は、ひとつの判官贔屓が成り立っていて道真を愛する日本人が多く、能の「雷電」や歌舞伎「菅原伝授手習鏡」などに結晶し、伝説化している
ほどの人物である。しかし歴史の背後には、もうひとつ別の真実の流れのようなものがあって、それが「梅」と「桜」に分けられる「漢」と「和」の対立の構図
思うに、道真は、時の移ろいを感じて、漢詩ではなく和歌に託したのではなかったか。自分の得意とする漢詩的なる文化や知識がいつの間にか、和風の文化に
とって変わって行く、うねりのようなものを道真は、しみじみと感じ取り、敢えて「梅」を和歌として詠んで見せたのである。そこで、彼は自身を「梅の主」と
表現した。もはや時代は自分を必要としなくなった。本当だとしたら、何という悲しい思いだろう。優秀過ぎる故の悲劇というべきか。新しい文化が、新しい文化人たち
によって着々と創られつつある。それが大きな潮流として、自分を呑み込もうとしている、と道長は感じた・・・。やがて、道真は覚悟を決めて冒頭の歌が結晶
現首相がどこか外国にでも行って詠んだような歌である。この宗任は、かつて奥州と大和政権が争った時、兄の安倍貞任(1029?−1062)が戦死したこ
とで戦の雌雄が決したことをいち早く察し、奥州の血筋を守り、被害を最小限に食い止めることを第一に思って投降し、戦争の捕虜となった苦渋の選択をした人
父安倍頼時(?〜1057)は、奥州から産出する黄金という資源を背景に、都にも劣らぬような豪奢な都市を衣川周辺に造営しつつあった。こうして衣川周辺
には、あっという間に、安倍一族の邸宅や伽藍が立ち並ぶ一大都市が出来上がったのである。周辺には、梅や桜の木が植えられ、後に西行がその桜の群生振りに
驚いて「聞きもせず束稲山の桜花吉野のほかにかかるべしとは」と詠ったその「束稲山」は、安倍氏の頃より、丹誠込めて、桜の植林がなされたものと推測され
るのである。まさに安倍氏の築いた衣川周辺は、平泉に先行する奥州の一大都市だったのである。その繁栄振りは、京都に暮らす都人からすれば、「何を北方の
しかし一方で安倍氏は、強力な軍事力を持っていた。安倍氏一族を打ち負かし、有り余る資金力に更に増税を課すことは容易なことではなかった。それでも大和
政権は、現在の仙台市の東にある多賀城に、城柵を設け、これを奥州管理の一大政庁とし、陸奥守を置き租税の徴収や管理に当たらせたが、安倍氏はそこに転勤
する若き官僚たちを、自身の娘婿として登用するなどの有様で、多賀城は有名無実の存在となっていた。これに業を煮やした人物がいた。それが後に軍神と称さ
彼はある夜、頼時の長子貞任が自分の陣所を襲ったような工作をして、安倍氏に戦を仕掛ける。たちまち戦火は奥州全域に拡がった。これが世に言う「前九年の
役」である。腹を決めた安倍氏の棟梁安倍頼時は、敢然として、これに応じたものである。しかしやはり大和軍は大苦戦となる。冬将軍は容赦なく、大和軍を疲
弊させ、一時は頼義の安否さえ危うくなったこともある。ここで再び策を用いた頼義は、出羽の豪族清原氏に応援を頼む。東北勢を東北勢によって倒すという大
これによって明らかに戦の流れが変わった。応援部隊も続々と奥州戦線に投入され、さすがの安倍氏も次第に追い詰められていく。安倍頼時は流れ矢に当たり絶
宗任は、激しく葛藤したに違いない。父や兄の敵を討つために、最後まで勇ましく戦って死すべきか、それとも恥を忍んで、生き延びて、安倍氏の血を絶やすこ
となく子々孫々まで繋いでいくべきか。彼は自身の居城である胆沢郡金ヶ崎の鳥海柵(とりうみのさく)を放棄し一族郎等を引きつれて敵陣に向かい捕虜となっ
おそらく宗任は、京都に留学経験があったと思われる。深い教養と漢籍、和歌の道にも通じていた。しかし都人は、大柄な宗任の堂々たる体格を見て、北の野蛮
人どもが捕まってきたとしか、見ない。十二年も、京都中を揺るがせた奥州の安倍一族は、おそらく無知なる都人には、鬼そのものに映ったのであろう。
奥州から宗任は、引っ立てられて、京都市内は、騒然となる。皆奥州の鬼の姿はどんなものだろうと、集まってくたのである。折りから春、梅の頃、取り調べの
間違いなく侮蔑の問いかけだった。それに対して、宗任は、和歌でさらりと返す。「わが国の・・・」即興の歌とは言え、こんな応えが簡単にできるものではな
い。結局、この後宗任は都には入れず、伊予(愛媛)に送られ、さらに道真と同じく太宰府(福岡)に送られるのである。その墓は福岡県宗像市の安昌院にある
一説に、宗任は、九州肥前松浦に松浦党(まつらとう)という強力な武士軍団を興したと伝えられる。この血脈が安倍首相のアイデンティティだということだ。
また宗任の娘は、京に遊学し、奥州藤原氏二代藤原基衡(生没年不詳)に嫁ぎ、奥州の黄金時代を築いた三代秀衡を産む。宗任の思いは、こうして受け継がれた
のである。岩手には、未だこの安倍氏の残り香とも言うような伝説が、そこかしこにふわふわと浮遊している。衣川に、鳥海柵跡に・・・。
そうそう、盛岡に行くときには、安倍氏の末裔の東京都府知事を二期に渡って務めた政治家阿部浩(1852−1922)が、安倍氏のゆかりの地「安倍館町」

[] 義経伝説
[引用サイト]  http://www.st.rim.or.jp/~success/yositune.htm
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 Last Updated 2007/ 02/ 15/ 15時23分42秒

04年9月20日新庄幻のサヨナラホームラン、明日も勝つ→阪神は2連敗。、ファイターズもプレーオフ敗退
メジャーで、出塁時にマイクをつけた一塁手に「来年どうするんだ?」と聞かれ「今年で日本に帰る。帰ってムービースターになる」
92年5月バルセロナオリンピックのデモンストレーションのメンバーに選ばれて、「僕、世界にはばたきます」 しかし直後に中止が決定した。
97年開幕当初自打球を足に当てた新外国人グリーンウェルが新庄に、日本人は怪我をしても試合に出るのか尋ねたところ「でるよ」
98年オフ野村監督に、「バッティングはどっちの手でするもんや?」 と聞かれ「左です」と答えるも、「両手や」
00年4月センターライナーを転倒しながら捕球「打った瞬間シュートして、とる時にスライダーして、最後にナックルした」
「(鳴り物)がなければ集中して見てくれていると感じるし、あったほうが盛り上がるし・・・」(ロッテ堀)
00年7月故障でオールスターを欠場する巨人上原に対して電話で「お前の分も俺が打つ!」もちろん上原は投手である。
00年12月メッツ入団が決まり、メッツの印象を記者に聞かれて、「すごくユニホームが格好いい」 記者苦笑い。
02年 巨人松井のメジャー挑戦を受け、記者からのメジャーに必要なものは?との問いに、 「DVDとエレガード(静電気防止スプレー)」
開幕前「飛んだとこ、よしおちゃん」でシーズンが始まり、右太ももには違和感「もうムリ男ちゃん」でシーズンが終わる。
MLBに行って言葉が通じないときに英語が使えない彼は一生懸命努力してメッツの連中に日本語を教えていた。
メジャー移籍決定後,「最初の打席で初ヒットが出る気がする」と言い,本当に初打席でセンター前にポテンヒットを放つ
気になる選手は”イルハン”(サッカー選手)試合のない日は毎日日焼けサロン、風邪を引かないらしい?→でもひく
本気で野球を始めたきっかけは町内会のソフトボールの試合で負けたから、初めてスポーツで負けた、野球が一番難しいスポーツだから
中が赤いシャツで胸が見えるシャツで、チーム名の胸部分には”SHINJO”、背中に”FIGHTERS”
体を鍛えたのは練習やウエイトトレーニングなどではなく、父の家業(造園業)の石運びを手伝っていて鍛えられた
ミスターマリックとマジック対決、マギー審司直伝のマジックでミスターマリックから「Mr.ツヨック」の芸名を授かる。
D-1コーヒーシリーズのCMは今までで一番難しかった、素人さんが言われたことに、僕がぼける。ある意味M-1
白い毛皮グローブ「うしくん」を作成するも、規定違反で試合では使用できず。ボールをキャッチすると細かい毛が舞うらしい
メジャーシーズン前「早くブーイングの起こる選手になりたい」→シーズン後「全然ブーイングが鳴らない。悔しい」
「9月度月間MVP?それは、それは…。ほんとにセプテンバーは、“ラッキーマウス”だね。ラッキ、マウス、ラッキ、マウス、ラッキ、ラッキ、マ〜ス♪」(ミッキーマウスの曲を口にしながらご機嫌)
「いやあ、持ってるわ、オレ。このマンガみたいなストーリー。出来すぎって思いません? 今後、体に気をつけたいと思います」
タイガースで11年、アメリカで3年、ハムで3年 今シーズン限りでユニフォームを脱ぐことを決めました
普通の選手は、球団が選手に何かをしてあげるしかないが、新庄は球団のために色々してくれる唯一の選手」(新庄の外野広告の際の日ハムの偉い人)
ヒットに出来そうに無いボールを、毎回違うフォームで打っている新庄さんこそ本当の天才です。」 (イチロー)

[] 北海道日本ハムファイターズ新庄剛志SHINJO伝説
[引用サイト]  http://2chart.fc2web.com/shinjoy.html
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 Last Updated 2007/ 02/ 15/ 15時23分42秒

これは、1994年10月から3ヶ月間にわたってNIFTY SERVE「現代思想フォーラム(FSHISO)」に設けられた、「現代伝説研究会議室」での投稿発言を素材としたものです。その投稿ログから噂話を抜粋整理し、筆者の観点から論考を加え独立した作品といたしました。
かつての伝統的な村落共同体は、それ自体がひとつの閉鎖空間であった。外部との交流がすくなく自足的で閉じた社会をなしていた。そのような閉じられた空間で、独自の民話が語り継がれてきたのである。
しかし現代の都市文明ではそのような地域的閉鎖性はほとんど解体され、共同体の構成員のあいだで共有されていた伝説は成りたたなくなっている。では、そのような現代都市空間でいまなお語りつづけられる伝説とはどのようなものだろうか。
地域的閉鎖空間が崩壊する一方で、近代の都市には疑似密室的な空間が多くみられるようになってきている。新宿副都心にそびえ立つ高層ビルのひとつひとつも、それ自体がある種の密室だろう。ビル内のエレベーターやトイレも、当然ながら密室性をもっている。また高速道路を疾走する自動車も、かつては見られなかった移動する密室空間だとも考えられる。
このように共同体的な閉鎖性が消えていく一方で、現代の都市生活では個別的な密室空間が増殖しつつある。それは、われわれの現代都市文明の特長のひとつであるだろう。そのような観点から、現代伝説にあらわれる特異空間に着目してこの考察をはじめてみたい。もちろんここでいう空間とは、現代人がもつ「意識」の別名でもある。
ここにあげた空間の共通性は、人が裸になる場所だというところにある。現代人は他人に裸を見せる機会がすくなくなる傾向にあり、やむをえず裸になる場所は多かれ少なかれ個室性・密室性をおびてくる。
おもえば人が身にものをまとうという行為は、人間が他の動物と分かたれる文化的原初のひとつであろう。とすれば、人は衣服を脱ぎ裸になるとき、日常性の中で隠ぺいされている遠い原初の秘密をかすかに想い起こすのかもしれない。いまこの秘密を正鵠にいいあてることはできないが、このような日常の切れ目から、潜在的な物語がつむぎだされてもおかしくはないだろう。まずは投稿の中から、このような裸になる場所にまつわる噂話をいくつか挙げることからはじめてみよう。
《それから十数年前から結構何度も聞いた、パリの都市伝説を思い出しました。パリのブティックに入った日本の女の子が、試着室へ入ったまま、行方不明になった。しばらくして見せ物小屋に、手も足も切られてだるまのようになり、口もきけない女の見せ物が現れたが、顔を見ると、ブティックでいなくなったあの子だったというものです。
『試着室ダルマ』と称されて、若い女性のあいだを中心に流れている有名な噂話である。『オルレアンのうわさ(*1)』がその源流にあることは想像に難くないし、『うわさの本(*2)』でもとりあげられている。このように、書籍などを通じて二次的に流布していくのが現代伝説の一特長でもあるのだが、いまはこの点には立ち入らないでおこう。
《ブティックだるまの話。私も高校生の時、英語の授業のときに先生から聞きました。そのバージョンでは、日本人の観光客女性がハンブルクのブティックの試着室に入ると、奥の鏡ががんどう返しになっていて、そのまま裏へ引き込まれ、手足を切り落として、アラブの大金持ちの閨房に売り飛ばされるという内容でした。話者がアメリカ遊学歴のある若い女の先生で、学校にフルサイズのアメ車(それもボロ)で乗り付ける、という変わった人だったので、こういう話にも妙な信憑性があって、生徒は真剣に聞き入ったものでした。》
このようにいくつものバリエーションがみられるが、日本人の若い女性がヨーロッパなどの都市のブティック試着室から誘拐され、東南アジアやアラブなどの途上国であられもない姿で発見されるというところが共通している。
試着室のもつ象徴的な意味はいくつも考えられるだろう。ただここでは、多くの人が出入りするブティックのなかでの個室・密室であること、そして若い女性が衣装を着がえる場所であることに注目しておきたい。
個室・密室ではなにが起きるかわからないという不安がある。それがこの話題の伏線となっていると考えられる。また、衣装を着がえるというのはある種の変身でもある。美しく着飾るという快をもつとともに、自分が自分でなくなっていくという潜在的な不安も考えられる。そのような願望と恐怖のアンビバレントな気持ちで鏡に映るわが身をながめているとき、突然どこかへつれ去られたとしたら……。
自分がこれからどうなっていくかわからないという不安は、まだ身の定まらない若者、とくに若い女性には共有されやすい心情であろう。それが海外旅行中のブティック試着室から消失するというドラマティックな舞台設定と共鳴現象をおこして、噂を語りついでゆく原動力になっていると考えてもおかしくはないであろう。
そして結末は一転して、手足を切られた人間ダルマで見せ物にされるという無惨な状況で発見される。しかし、この話は主人公の女性に同情するような悲劇としては語られていない。むしろ、海外旅行という晴れやかな場から極端な落差のあるオチは、突き放した滑稽ささえ感じさせる。おそらくこの噂をつたえあう場では、軽い笑い話として終わる状況が想像される。現代伝説は、このような恐怖と滑稽が抱きあわされたところで生命をもつのであろうか。
またこの話題には、二重の変身が重ねあわされているところにも注目しておきたい。美しい衣装に着替えるという望ましい変身と、人間ダルマにされてしまうといういささかグロテスクな恐怖の人体変形とが。このようなロマンと恐怖のメタモルフォーシスは、人格の変貌と多種多様化といった現代の思潮とも接点をもってくると考えられる。このあたりの主題は、あらためて人体変形と人格変成の章で取りあげることになるだろう。
なお、この種の話がたんに書物などの受け売りではなく、口づての噂話として語られているという証言をいくつかあげてつぎの話題にうつろう。
友人でよくヨーロッパに行く当時20代後半の女性から2〜3年前聞きました。どこでもよく聞く(例の、手足をもがれて見せ物にされた日本人旅行者の話)ネタなので、「じゃあ具体的に誰に聞いたの?」と突っ込むと「友達からよ。これはホントの話なんだよ」と真剣な顔で返事が返ってきました。この手の話に突っ込むもんじゃないと反省しました。》
《OL時代、同僚から聞いたのが最初です。その後、母も知り合いから聞いてきました。もっぱら、女性の友人を中心に噂が広がっていたのが特徴的でした。》
トイレという場所も、部分的にであれ肌をあらわにする密室である。今回の投稿にはトイレに関する噂は比較的少なかったが、古くには、カワヤの神さまが現れるとか河童にシリコダマをぬかれるといった数多くのカワヤ伝説があった。この河童伝説と関連がありそうな話をひとつあげてみよう。
《 熊本市内のI商業高校のトイレから夜中に手がにゅうっと出てくる。そんな話しがあって、ある人が確かめてやると、そのトイレで手が出るのを待ち受けていました。やがて、話しのとおり、便器の中から手が出てきたそうです。そこでその人は手を掴んでおもいっきりひっぱたら腕だけが抜けて来たそうです。とれた腕を良くみるとその手は、猿の手だったとか。》
便器からでてきた猿の手というのもある種の妖怪にちかく、シリコダマをぬきにくる河童と共通性がある。ひとむかし前まで、民家のトイレは母屋から廊下づたいにはなれた場所にあったり独立した小屋であったりした。そのような薄暗い個室で不安定な姿勢で尻をだしていたりすれば、気味のわるい妖怪がせまってくるような妄想をいだいてもおかしくはない。そのような雰囲気のなかで、さまざまなカワヤ伝説がうまれたのであろう。
ところが現代の住宅では、日常の生活の場に明るく清潔なトイレがしつらえられている。かつてのような汲み取り式ではなく清潔に水洗化され、洋式の座式が大勢を占めさらにはシャワー式洗浄器なども普及する時代である。このような環境では、もはや妖怪たちは棲息する余地もないだろう。たしかに、現代は妖怪には棲みづらい時代となっている。
そんななかで、学校にだけはいまでもトイレ伝説が命脈をたもっている。上記の話も高校が舞台であるが、どちらかというと小中学校の子供たちのあいだで活発な噂が語られている。いわく「トイレの花子さん」、「赤い紙青い紙」、またその変種とおもえる「赤マント青マント」などなど、このような話が現実的な恐怖感をもともなって流されているのである。
噂を形成しやすい学校空間の特殊性はあとでふれるとして、投稿された「トイレの花子さん」の例を引いてみる。
《小学校の 1年生用のトイレの北から2番目の個室は,普通に使っているとなんともないが,<はなこさん>とよびかけると,なかから誰かが返事をする。
雑誌などにもよく紹介されている有名な怪談である。そういう意味では、二次情報が全国的に展開されている例ではある。しかし大半の子供たちは、あくまでもそれを噂として耳にし、また口づてにつたえていくのである。そのようすを示す証言をあげておこう。
《そういえば、中学の頃、一人でトイレに行くと変なオジサンがオチンチンをのぞきにくるという伝説がありました(これは西宮ですが)。学校の理事だという話しも出ていましたが(^^;)》
ここで出てくるのは妖怪ではなく、ちょいと変なおじさん、すなわち変人奇人である。さきにふれた「トイレの花子さん」や「赤マント青マント」もその姿は具体的には報告されていないが、なにがしか人の姿かたちをしていることが想像される。すくなくとも、河童などのように他の動物をグロテスク化したような妖怪の姿をしていることはない。
現代の伝説では、かつてのように自然と密接なつながりをもって空想されたような、動物の姿をデフォルメした妖怪はあまり登場しない。有名な「口さけ女」にしても、戦前から存在していた「怪人赤マント」にしても、あくまで怪人・奇人・変人の系列につらなる「ヒト」であるとみなせる。妖怪よりも人間そのものが恐怖化の対象とされやすいところに、現代人の心性が見いだされるようにおもわれる。
話題をトイレにもどすと、一般家庭のトイレは明るく快適になりもはや怪談の発生の余地はなくなった。そして、学校のトイレのような公共性のある場所で、しかも閉鎖的な同質集団が利用する特殊な状況でのみ怪談が発生するのであるかと考えられる。しかもそこに登場するのは、かつてのように自然との境界に棲息するような妖怪ではなく、人間そのものが恐怖化されて表象されているかのようにおもわれる。
裸になる場所といえば当然風呂場があげられる。風呂場には、温泉や公衆浴場のように多数がいっしょにはいる公共性のあるものと、家風呂のように個別性をもったものとがある。前者は密室とはいえないが、後者はトイレとならんで個室性・密室性をもったプライバシーの場でもあろう。まずは後者の例からあげてみよう。
《岸和田市民病院に勤務する知人に聞いた話。入浴中に、ぬるかったのでガスをつけたまま、心臓発作か何かで死んだ人がいた。知人が発見した時には、湯がグラグラ煮立っていた。慌てて救急車を呼んだ。やってきた救急隊は、とりあえず引き上げようとして、両肩を持って引き上げたら、湯につかっている部分の骨だけがズルズルっと持ち上がり、身は残ったそうだ。ちりなべを食べている時に聞いた。》
《たぶん、その温泉? は、気持ちよくなるなにか、温度だとか雰囲気、あるいはガス分圧などの状態がときとしてうっとりしてしまうようなことになっていて、ほんとに老人などが沈んでしまうのかもしれないな、と、思います。親戚が話てたけど、知人のおじいさんがガス風呂で「追い炊き」している最中に往生を遂げたらしく、そのまま湯が煮立って、人間スープになってしまったということです。》
浴室で老人などが亡くなることは、少なくはないとおもえる。浴槽に浮かぶ老人死体の光景からは、なにがしかの孤独感と悲惨さがうかがえる。また、それを発見した家族の衝撃も大きなものであるはずだ。そのような家族から、出来事が積極的に口外されることは考えにくい。
ところがいずこともなしに話がもれると、部外者の口さがない噂話へと発展されていく。そのような過程をへて、このような「人間ちり鍋」や「人間スープ」が作られていくのであろう。「試着室ダルマ」のような若い女性だと、いくばくかのロマンやエロスも共有される余地があるが、浴槽の孤独な老人死体にはそのようなロマンは含まれようもない。
ロマンなき恐怖は無惨なだけである。とすれば、そのような状況はできるだけ遠ざけておきたいという心理がはたらく。それには、滑稽化して笑いとばすのがいちばんということになろうか。試着室から消えさる若い女性にはいささかの秘密のにおいが漂うが、浴槽での老人死体のプライバシーなど一顧もされようがない。同じ密室であっても、主人公によってはまったく意味の異なった物語となるようである。
《東京の品川区と大田区の境界付近にM温泉という銭湯があります(新幹線から煙突が見えるので御存じの方もいらっしゃるかもしれません)。
ここは、温泉といっても地下の化石化した海水を温め直して浴槽に張っている方式のようで、入浴料金は通常の銭湯と同じです(関係ないか…)。
特徴的なのはお湯の色です。殆ど醤油同然の色合い、底のタイルは全く見えず、湯舟に浸かっても水面下20cmほどの我が身さえもう見えません。どんな成分なのか、入っていると肌がスベスベするからたいしたものです(これも関係ないですね…)。
ここに、年に数度は救急車が呼ばれることがあります。湯あたり等で倒れた人を運ぶのですからどうということもないといえばそれまでですが、近所で、永年、酒屋を営んでいるご主人の話によると、そのうち一度や二度は、湯舟の底に沈んでいた爺さん婆さんの死体をそっと運ぶんだそうです。
「笑っちゃだめだよ、*** さん。入ってる人の膝に触って『?! ワーッ! 』ってこともあるしさ、湯をしまって、お湯を抜きはじめて見えてきたりするんだから…」》
この投稿に連動して後日に掲載されたコメント投稿を、続けてあげてみよう。噂話の伝わり方に妙があるので、長めに引用してみる。
《えー、実は私、大田区M込には数年前まで住んでおりまして、今でも、週に一度はお稽古事で通っているのですが、残念ながら、M温泉に入った事(お肌がつべつべになるなら、いっぺん行ってみたかったな〜)も、その噂も知りませんでした。
「ええっ! 私、M温泉には、何度も行ったことあるのに、まあ、嫌だ!ホントなの?」(初耳だったらしい)
「んまあっ! 何て悪趣味な。 一体何処の誰なの、そんなデマを言うのは!」(そのまま、苦情を言いに飛んでいきそうな勢い)
その時「でも、お年寄りが、温泉に入っている時に亡くなる、ってのは、良く有る事なのね。 実は、ウチの隣もそうなのよ」 と話して下さったのが、十数年前、先生のお宅のお隣のご隠居さんが、正月、寒川神社へ参拝に行ったついでに、そこの温泉(何でしたっけ?名前)に入ったら、そこで、ぽっくりいってしまい、浴槽の底に沈んでいたのを、後から入って来たお客に発見された。 …と、いう話。
と、先生。 うーむ、これはホントの話なんでしょーか? それとも、お返しにひっかけられたのでしょーか(^_^;)》
この「お稽古の先生」からさらに別の人に伝わっていくとき、「M温泉で実際にあった話」となってしまうのかもしれない。それにしても、このお師匠さんの言葉をかりるまでもなく、この老人死体もたぶんに突きはなされた語られかたをしてゆくことが想像される。たくさんの人が出入りする公衆浴場や温泉の浴槽で、ひとり寂しく沈んでいる老人の死体。これには、大都会の雑踏のなかでの孤独といった、都会生活者の疎外感のような意識が重ねあわされているとも考えられるのではなかろうか。
さて、この論考では「水」のもつ意味がひとつの主要テーマになる予定である。ここでは、風呂の水ないし湯がもつ意味に簡単にふれてみよう。都会生活は、かつての伝統的社会とくらべれば相対的に自由ではある。しかし、当然のことながら無際限の自由などはなく、われわれは目には見えにくいさまざまな糸にしばられている。このような都会生活者を水族館の魚にたとえてみればどうだろうか。目には見えない透明な水、しかし魚はその外に出ることはできない。
もちろん物理的には都会から出ることはできる。しかしながら、たとえ外に出たところで、さまざまな都会生活のしがらみから完全に自由になることはないだろう。かつての田園生活はノスタルジーのなかにだけあって、たとえ物理的には田園にもどったとしても、それはかつて存在したような田園生活ではない。また村落で生まれそだって生活しているとしても、TVをはじめとする都会の情報がかれらを取りかこんでいる。われわれのまわりには、すでにそのような象徴的な意味での「都会」が蔓延しているのである。
このような目には見えない透明な「都会」を水族館の水にたとえれば、現代人が水族館の魚として生活せざるをえない状況もうかびあがってくる。ここで風呂の水底に沈む孤独な老人死体は、群衆のなかでの孤独をかこつ現代都会人と重ねあわさって見えてくるのではないだろうか。もちろんここで都会とは、目にはさだかに映らないもうひとつの大きな密室、という意味をおびてくるのである。
学校の噂話が、一冊の書物にもなるぐらい(*1)たくさんあることには注目すべきだろう。全国の公立小中学校はほぼ同じような造りになっていて、そこに同年齢の同質的な生徒たちが長時間をすごしている。かつての伝説をうみだした閉鎖的な地域共同体が崩壊したいま、その疑似的な機能を学校がになっているとも考えられる。
ただし、伝統社会で長老から子供へ語りつたえられたような垂直的な関係はなく、子供どうしのあいだで水平的な共鳴現象をおこすような形で伝播していくのが大きな特長である。さらに、TV雑誌などのマス媒体が仲介して全国に転移していく。そしてその受け皿となる学校には、全国どこへいっても同じような構造のトイレや理科室などが造られていて恰好の怪談の培養地となる。
典型的な学校怪談としては、さきにふれた「トイレの花子さん」「赤い紙青い紙」「赤マント青マント」などのほかに、つぎの「こっくりさん」もあげられる。
《先にご紹介した『怪談の心理学』の中に書いてあったのですが、本当にこっくりさんは流行りましたよね。小生が小学生の高学年の頃ですから1970年代なのですが、この本にも昭和48年からの流行の報告がされていました。何でも、この流行の発信元が群馬県だったというのです。群馬県のお隣の埼玉県でも、小生たちがこっくりさんを同じ頃やっていたはずで、どうも眉唾ものですが、どんなものでしょうか。あの頃、こっくりさんをはじめたきっかけは、少年まんが誌に連載されていた『恐怖新聞』や『うしろの百太郎』に載っていたからだったと思うのですが、いかがでしょうか。『漂流教室』も怖かった!》
この投稿には具体的な流れは書かれていないが、子供たちが机の上においた硬貨などに指を重ねあわせてじっと神経を集中しているとその硬貨が動いたりするといった話である。その結果、だれかに「こっくりさん」がとり憑いたといって、一種の集団催眠のような現象がおこる。このように、同質的な集団が共鳴現象をおこして恐怖を増幅していくのが学校怪談の特長であろう。
この恐怖の源泉は、閉鎖空間に同質集団が閉じこめられているという状況自体にあると考えられる。同質的な集団はその内部自体のみでは活性化しにくいし、また内部にはストレスなどの圧力がたまる。外部との直接的な交流があればこのような状況は解消されやすいが、そうでない場合には内部的に「異者」をつくりだしてその代替とする傾向がある。
特定の仲間を「徴つき」の異者と見なしてしてひき起こされる、いわゆる「いじめ問題」などはそのような構造をもっていると考えられる。積極的に異者をつくりだしかつ排除することで、同質集団は活性化されたりまた緊張も放出されたりするのだろう。伝統的な閉鎖社会ではそれが固定化されて異人や妖怪の伝説になっていたこととの相同性をみれば、学校伝説のはたしている機能もうかびあがってくるとおもえる。
「こっくりさん」の例でいえば、だれにでもこっくりさんがとり憑く可能性があるという前提のゲームである。そのようななかでお互いが牽制しあいながら「徴つき」をつくりだすといった不安とスリルが、この噂を成りたたせていると考えられる。
また学校のトイレのような妖しげな密室は、異界との境界であり通行の接点とも見なせる。そのような場所に、異人としての「トイレの花子さん」や「怪人赤マント」はあらわれるのである。もちろんこのような異人は外部からの闖入者などではなく、そこに生活する同質集団の不安の投影にほかならないであろう。
以上はまだ性的な意識が顕在化しない小学生などに多い事例であったが、これに性意識がくわわると恐怖というより艶笑小咄ふうの噂になってくる。かといってただの笑い話でもなく、まことしやかに伝えられなかば信じているような雰囲気もただよっている。そのような事例をあげてみよう。
「H中で、生徒同士が保健室でSEXしていて、抜けなくなって救急車で運ばれた」というものです。これは「H中事件」として固有名詞化していたほど、ポピュラーな噂でした。東京都大田区の中学校です。
と言われました。どうやら当のH中では、N中であった事件として噂されていたようです。ちなみに私はS中でした。》
具体的な学校名をそえて語られているところに、半分は事実として信じられていることがうかがえる。また学校の保健室というのも理科室・音楽室・体育館などとともに、噂の発生しやすい特殊な空間だということも指摘しておこう。
《「女性のなかで流通している特有の噂」というもので、女子高などで聞く「避妊または妊娠にまつわるもの」というのをころっと忘れておりました。
また、「顔つきがきつくなると胎児は男」「お腹がとがった形になると胎児は男」などというのも、年配の女性がしたり顔で言ったりします。
週刊女性雑誌で、「出産」にまつわる記事は人気があるようです。有名人のであれ、一般人のであれ。出産したことはありませんが、一種臨死体験のようなところがあるんでしょうか。とても特殊な時間帯というかんじがします。
学生などの寮や下宿も、同年輩の単身者が同じようなつくりの個室で生活するという同質性をもっている。若者のひとり暮らしということでそれなりの孤独感が強いであろうし、自殺者なども比較的でやすい環境にある。また同じような構造の生活空間にあるということは、噂を共有し伝えやすいともいえる。
自殺者を発生源にした噂を二例をあげる。まずは、開かずの間という「いわく因縁」に結びついた事例から。
そこの103号室は,昔そこで自殺した学生がおり,私が学生の頃誰も入っているものがいなくて,ドアーが開かないということです。
また自殺者の幽霊がでるというのも典型的な噂であり、それが現在寮として使われていない理由になったりもする。
あるとき、作品のアイディアを盗んだとか盗まないとかで同じ部屋の二人が争い、疑われた方の女学生が自殺したそうです。
《そういえば、下宿してる時代の話しを思い出しました。ワンルーム・マンションなんかない頃ですから、襖ひとつで仕切られた下宿屋です。下宿のおばさんが、ときどき気をきかして学校へ行った下宿生の部屋を掃除してくれてたんですが、ある学生の部屋の押入から、どうも変な匂いがする。空けてみると、ダンボール箱の中から人間の腕が、にゅーーーっと・・・。
もちろん、おばさんは腰を抜かしてフガフガー(^^)。医学部の学生で、解剖実習用の「腕」を持ち帰ってたそうで、そこの下宿生の間だけでで「ローカル伝説」となってたようです。》
学生寮・下宿ともに人の入れ替わりははげしいが、先輩から後輩へと語りつがれて独自のローカル伝説を形成する。このような噂を共有することで、めでたく共同体の一員としてみとめられるのであろうか。古老から子供たちへと語られたかつての在郷伝説の、ある種の縮小版とみなしてもおもしろいとおもえる。
いうまでもなく医学関係は、病気という生死の境界をとりあつかう世界である。しかも現在では、大半の人間がその死を病院でむかえるような状況となっている。とすれば、そのような死とむかいあう病院・医療関係に、多くの怪談があるのに不思議はない。
そのうえ医療世界は、われわれ一般人には閉ざされた密室空間でもある。診察をうけ検査をうけ治療をうけるとしても、自分のカルテになにが書かれているか知るべくもないし、薬をもらってもそれがどのように機能するのかよくはわからない。患者はひたすら、医師という専門技術者の指示にしたがうしかすべをもたない。
生死の境界に位置しながらその内実にはふれられない密室、このような医療世界のもつ境界性と密室性からさまざまな噂話が生まれでてくるのであろうか。まずは、もっともよく知られている医学伝説からとりあげてみよう。
この話の仕組みは、とても常人には出来ないようなことをさせるバイトがあるが、それだけに料金も高い、という仕組みになってますね。お金の欲と、恐怖心とのせめぎが、ポイントになるのでしょう。》
大学病院などで、解剖用の死体を洗うという高給のアルバイトがあるという噂で、自分も聞いたことがあるというたくさんの証言があげられている。いくつか引いてみよう。
《高校時代の事ですが、同級生の悪友が実際に大学病院に尋ねに行ったことがあります。向こうの人いわく、「あんたもだまされて来やはったんどすか。そんなもん、おまへん。だいたい、死体関係は、おたくらみたいな若い人には扱ってもらいまへん。1日やったらうなされて寝られんようになりまんがな。」
同級生の話しだと、「死体洗い」ではなく、解剖用の死体を水槽でホルマリン処理する仕事だそうです。時間が経つと死体がプカ〜と浮かんでくる。それを、竹竿かなんかでつついて沈めるだけでいいらしい。「楽そうな仕事なんやがな〜」と残念そうにほざいておりました(^^;。》
大江健三郎の小説『死者の奢り』の一シーンが噂の発生源だという説もあるが、それはともかく実際にそのアルバイトをしたという人はいない。
《 京大付属病院のバイトということで伝わっておりました。また、他に、人間モルモットのバイトの話も、ワリのいいバイト話として伝わっておりました。》
《高校生の頃、友人から(加藤という奴だった)死体洗いのバイトしないかと誘いがありました。聞くと、恐いがかなり高額のバイト料なるらしく、実際にK大学付属病院にで募集してると言います。それじゃ、やろうと言う事でその友人と、申込にいって、そんな話しはデマだって言われた経験があります。25年程昔の事です。》
外界からは見えない密室で洗浄される死体、あるいはホルマリンの浴槽に浮かぶ死体といった情景は、だれも見たことのないはずなのに不思議な現実感をもっている。このリアリティがこの噂の浸透力の強さなのであろう。
実際にはありえないのがあきらかな噂が多いなかで、医学伝説にはひょっとしたらと思わせるものが少なくない。これは実際にはのぞけない密室的な世界の出来事であるだけに、逆に現実的な可能性を感じさせるのであろう。つぎの話も、奇妙な現実感をもってつたえられる現代医学伝説のひとつである。
《<壁に耳あり>って,解剖教室で実験して,退学させられた医学生ってのは,(出典は永井 明)やっぱ噂なんでしょうね。誰か,当人をしってる人がいるのでしょうか?》
ここにあげられた出典が噂の起源になったのか、それとも先行してあった噂が書物を経由してさらに広がっていったのかはさだかではない。いずれにせよこの話も、噂として聞いたことがあるという人がつぎつぎにあわられる。
《うーん。そうかあ。「壁に耳あり」の話には出典があったのですね。でもそれ、いつの本ですか?私は10年以上前にこの話を知り合いから聞きましたよ。私の聞いたヴァージョンは
「ある医大で、解剖実習の最中に、学生のひとりが、御遺体の耳を切り取って壁に叩き付けて『壁に耳あり!』と言った。秀逸なジョークで実習室の雰囲気は和んだが、その学生は退学になった」
《壁に耳あり、のネタは、どこの大学でもあるらしく、どこの医学部生も、「それは自分の学校の話だ」といってはばかりません。本当はどこなんですかねぇ。》
現役の看護学生さんから聞きましたが、「献体なんかやめた方がいいよ」といってこの話をしてくれたんです。つい最近聞きました。
まさにこのように噂が広がっていくのかと思われるぐらい、投稿の連鎖は興味ぶかい。死体の解剖という常人からすれば異様な光景と、死体をただのモノとして取り扱う当事者とのあいだにあるイメージの落差からこのような伝説がつむぎだされるのであろう。
主人公の医学生は、遺体をモノとしてしか感じられなくなって玩具にするという、常人感覚の麻痺した医療関係者の代表としてとらえることもできる。また他方では、そのような感覚になじみきれない初心の学生の異常行動として、噂を伝えあう一般人の批判感覚をあらわしているともみなせる。そのようなイメージのねじれがこの話にリアリティをもたせている。いずれにせよ、噂の伝達者にとってこの解剖教室は、かいまみることのできない異空間としてグロテスクに想像されることはまちがいない。
治療現場では患者はすべてを医者にゆだねるほかはなく、あなたまかせの密室でどうされるかわからないという不安を、極端に拡大した噂話をひとつ紹介しよう。歯科医での話である。
医学関係者は常人の生理感覚を超越しなければやってられない、といった主題の噂も多くある。つぎの話も、一般人の感覚とのギャップが伝説のエッセンスとなっている。
《ある教授が学生の前でコップを手に語ったそうです。医学者には旺盛な好奇心が必要だ。このコップには糖尿病の疑いのある患者の尿が入っている。簡単に確かめるには、こうすればよい。と言ってコップの液に指をつけ、ペロリとなめた。そして、君達の中で、誰かやるか。次の試験で10点、上乗せしよう。と言ったので、一人の学生が手を上げ、やってみた後、その教授は言ったそうです。医学者には冷静な観察力も必要だ。私がコップに入れたのは中指で、なめたのは人差し指だ。
《糖尿病の患者さんの尿の話は、私も大学の知人に聞いたことがあります。私は現在学生なので、その話は、二十年前から現在まで語り継がれているって言うことですねぇ。あらまぁ、すごい。》
授業で、お互いに向かいの学生の歯垢を採取して顕微鏡で観察する、というのをやった。或る学生の向かいは女子学生だったのだが、その彼女の歯垢に見たことのない細菌があったので彼は教授を呼んで質問した
劇場やライブハウスといったパーフォーマンス空間には、やたらに霊や怪異現象の噂が多い。ほとんどすべての劇場にひとつやふたつの怪異譚があるといってもいいだろう。とりあえず「でる」といわれる劇場の報告を羅列してみよう。
《その1。東京の青山劇場は、以前、墓地があった所に建っている。その柿落としの時には、打ち上げを劇場の中でやった。すると、外部からは誰も入って来ないはずなのに、なぜかカウボーイ・ハットをかぶった見しらぬ人たちが大勢参加していた。以降も、ここには、よく出るそうな。》
《その2。サンシャイン劇場も、以前に墓地だった所であり、よく出るそうな。商業劇場では、深夜に仕込をすることは普通だが、ここは、よく出るので禁止されている》
《その4。明治座は、改装前、舞台袖の奥に建物の都合で隙間があいていた。そこは薄暗く、よく出たそうだ。》
ここまでは同一人の報告であるが、これを見ただけでも劇場にはやたらに「でる」という気がする。なにはともあれ、劇場という場所の特異空間性を確認しておかなければなるまい。
まず舞台が劇場の中心であり、文字どおりハレの場であることはいうまでもない。すべてのスポットライト・フットライトがあつめられ、演者・観客ともに全員の意識が集中される場所である。しかも、演者にとっては聖なる場所でもある。
ところが一歩舞台裏にはいると大道具・小道具部屋、舞台の袖、さらには地獄を想像させるところから名付けられた奈落と呼ばれる場所まで、とたんに妖しげな雰囲気のただよう猥雑な空間になる。このような極端な落差こそ、幽霊たちにとってはそれこそ恰好の舞台装置であろう。役者が舞台に登場するのと同じように、幽霊たちも自分たちの「舞台」に登場する。
また、舞台は演者たちが変身する場所でもある。役者たちが、その架空の役割に神憑り的に魂を入れこむ霊的空間でもある。他方観客席は、普通の人々がさまざまなパーフォーマンスを楽しみにくる娯楽の場である。このような両者の対照的な心理の落差もまた、異様な雰囲気をかもしだす。
さらには、興行がうたれているときの熱気と対比すれば、観客のいない劇場はがらんとした虚空間であろう。ハレの舞台のときのために黙々と稽古というケのときをすごす役者や舞台関係者たち。そしてひと気のすくない舞台裏の薄暗い空間。こういった状況から劇場伝説は生成してくるのであろうと考えられる。
青山劇場やサンシャイン劇場の噂に指摘されているように、もと墓地であったりという立地の因縁と怪異現象がむすびつけられることも多い。あるいは、劇場の舞台裏というのはさなざまな事故のおこりやすいところでもあり、過去の事故死者や自殺者の霊が伝説に登場したりもする。こうして舞台関係者のあいだでささやかれ出した噂が、外部にひろがるにつれてさらに尾ひれがついていくことであろう。
このような劇場伝説と似たようなシチュエーションで、ライブハウスの音楽関係者のあいだでも同様の噂が発生すると考えられる。
《目黒駅前のライブハウス「SONOKA」は、日本のジャズクラブの草分け的存在だそうですが、友人から聞いた話。彼女の同居人は活躍中のドラマーですが、SONOKAには「出る」というのがミュージシャンの間で定説になっている。0時を過ぎると聴こえる、ライブが終わって掃除をしていると聴こえる(ピアノの音など)、というのがその内容。前のオーナーの何かである、というようなことを言っていました。幽霊ネタは埒外かもしれませんが、話者が音楽関係者であること、場所がライブハウスであることなどから並べてみました。
劇場などでも同様の話があると聞きます。聞いたのは去年、友人はやはり音楽をやっている20代の女性です。》
さすがにライブハウスだけあって、ピアノなどの音が重要な役割をはたしているのが特異なところであろうか。
墓地という因縁のかわりに、もと監獄という歴史が反映された奇っ怪な劇場伝説をも紹介しておこう。あの極東軍事裁判でさばかれた、A級戦犯たちの記憶につながる巣鴨プリズンとむすびついた話である。
《池袋にあるサンシャイン劇場は、墓場ではなく、軍隊の関係施設かなにかがあって(正確なものを忘れてしまった。ごめんなさい)、「でる」というのは有名です。
スーパーエキセントリックシアターのゲネプロで、幕をあけたら、誰もいないはずの客席に軍服姿の方々がずらっといたというのが、私の聞いた話です。
ああ、思いだした。巣鴨プリズンがあったんだ。そうそう。たしか、そうだったと思います。昔のことはよくわからない世代なので、(なにせ東京オリンピックもしらん)もしかしたら、違う施設かも知れませんが。》
もうひとつ、建物そのものの外観の異様さとむすびついた話を引用して、つぎの稿にうつろう。京都大学西部講堂という、大学の講堂とはおもえない寺院の本堂のような瓦葺きの木造建築での伝説である。かつての大学紛争の舞台にもなり、その屋根瓦には色とりどりのペンキが塗られているという不思議な外観からしても、噂のひとつやふたつあってもおかしくないとおもわれる。
《それはともかく、京都大学の西部講堂の怪談の話はもう出ましたか? とにかく、この話がしたくてはるばるやってきたので、まあ聞いてください。
実名は出しませんが、これをぼくに語ってくれたのは、友人の女性ピアニストです。ぼくはちょっと芸人のまね事もやるので、彼女と一緒に西部講堂でイベントをやったこともあります。その時は、講堂の客席真ん中にコンクリートの台みたいなものがあって、そこでぼくは演技をしたのです。さて、そのコンクリートの下には、何があると思います?
西部講堂は中世の寺院の一部をどこかから移築したものだとか。だから、昔から居ついた幽霊がいっぱいいるんですね。講堂でお芝居をやると、そういう幽霊が見物に出てくるので、もぎりを通った人は少ないのに、暗い客席の中は静かな観客たちでいっぱいになっていることが、しばしばあるそうです。また、そういう時は、悲しい場面でもないのに、俳優の声がみんな泣き声になってしまう現象も起きると聞いています。
その西部講堂に、ぼくもよく知っているパフォーマーが、ある時出演しました。この人は語り手であるピアニストのご主人で、パフォーマンスの分野では世界的に有名な人です。
その彼が出演した時、客席、といっても土間ですが、そこに穴を掘り、幽霊を穴に封じ込める儀式を演じた後、そこにしっかりと杭を打ち込んだのだそうです。終演後、その講堂を管理している学生たちに彼は「この杭は抜かない方がいいよ」と、なにげなく言ったのだとか。しかし、学生たちはそれを気にとめず、杭をぽいっと抜いてしまいました。
その夜、学生たちが講堂の中で眠っていて、一人がふと目覚めると、その穴からぶわーっとものすごい勢いで、たくさんの幽霊たちが飛び出してくるではありませんか。わわわわ・・・! そして、学生に「こっちへおいで、こっちへおいで」と手招きするんですって。ふらふらとそっちへ行きかけた学生。その彼をからくも止めたのは、最後に穴から出てきた学生の祖母の幽霊でした。彼女は生前キリスト教徒だったのですね。「こっちへ来てはいけない」。制止する祖母の姿に、学生ははっと我に返りました。間一髪、彼は救われたのです。
翌朝、彼から事の次第を聞いた学生たちは驚き、神社から神主を呼んできて、おはらいをしました。そして、そこをぶ厚いコンクリートでしっかりと塗り固めたのでした。あのコンクリートの台はそうやって、できあがったものなのです。それから、幽霊たちはどうなったかって? さあ、その後のことは知らないのですけどね。》
ここで取りあげるのは、明確に仕切られた閉鎖空間ではないが、ほかとは違った特異な現象がみられるような空間である。まずは、荒唐無稽な噂の引用からはじめてみよう。
「狭山湖周辺を深夜ドライブしていると、道端に[超能力研究所→]という朽ちた看板を見つけることがある。矢印の方向に車を進めると、
*『ドーン』という車の屋根になにか大きなものが落ちた音と衝撃を感じるのだが、車は何ともないし別に大きなものも落ちていない
これは5〜10年程前に東京の学生(免許を取って深夜のドライブをしたくなる年頃)の間で結構広まっていた噂話です。》
この話のおもしろいところは、「超能力研究所の看板」というひとつの創作だけで、不思議な現象のおこる空間ができてしまう点であろう。なにしろ原因が超能力なのだから、いくらでも不思議な現象の話はつけ加えていくことができるのである。そういう意味では、きわめて発展性の大きい噂であるといえる。
このような超能力ではなくても、電磁力・放射線といった目に見えない力のはたらく場が噂の原因となっている話は多い。
《成田空港開港前の話だったと思います。どこで聞いたのか、読んだのか忘れてしまいました。正確な話があったら教えてもらいたくもあります。
木枯らしが強く吹き付ける中、一日の仕事が終るった鳶職人さんが、コントロールタワー近くのビルの屋上にやってきました。夕日が真正面に見える、眺めの良い場所です。そこで沈む太陽を見ていると、身体の芯からあたたまってくるようで、なかなか居心地が良かったのです。
言うまでもなく、レーダーは電子レンジと類似の強い電磁波を使った機械です。そこは危険区域でもあったのです。》
われわれのまわりには、目には見えない電磁波が飛びかっているのは間違いない。しかしその人体への影響は、素人にはよくわからないしまたその量も測定しようがない。そんな不安が噂をつむぎだすのであろう。次のような、プラスにはたらく影響の噂もある。
また、放射線の脅威は一般に知れわたっている。したがって、原子力を取りあつかう機関についてはその安全性が強調される。それが逆に不安をあおり噂の発生源にもなる。そしてまた、その内部情報がほとんど表にでてこないことも、噂を増幅するようにはたらくであろう。
《福井県の若狭地方の国道には、やたらと積雪用の遮断機が充実しているのは、原発事故の時に封鎖をするためだそうだ。
かつての伝統社会では、内と外を明瞭に区画する結界があった。ところが上にしめしたような現代伝説では、そのような結界が目に見えなくなり、いつのまにかその結界を踏み越えて危険な領域にはいり込む不安を物語っているようにおもわれる。現代の都市空間にも、そのような目には見えない結界が張りめぐらされているのではないだろうか。
また、ファクシミリやパソコン通信ネットなど情報伝達媒体の発達により、物理的には遠くへだたった地域も瞬時につながれることになり、独特の特異空間が形成されている。この論考もパソコン通信で集められた噂が素材となっているが、つぎの例はファクシミリで全国に広がっている噂である。「電子伝説」とでも名付けるべき、あらたなフォークロアであろうか。
《また、「例のFAXネタ」に関しては、わたしがかつて勤務していた会社にも同じFAXが流れてきたことがありましたので掲げておきます。
2〜3年前でしたね? あれが流行ったのは。どなたかがおっしゃっていたと同様の文面「関西方面からクルマの当たりや集団が関東方面(首都圏?)に進出してきているので十分気を付けましょう」が、送付者名なしで流れてきました。車種は忘れましたが、「白いクラウン」「泉州ナンバー」(こんなのありましたっけ)などと特定されていたと記憶しています。総務の女性(東京下町に生まれたときから住んでいる)が、さかんにいろいろな人に宣伝して回っていました。》
まずは、首都圏方面からみた関西という土地柄のイメージの特異性を指摘しておきたい。このあたり異界性については次項以下でふれる。このファクシミリを使って流される噂も、つぎつぎと追認情報がよせられた。
《○ 時期を置いて、色々なところで(小)流行するらしい。私が最後に見たのは、***さんの説明よりももっと最近です。
○ 車のナンバーや車種がもっともらしい。和泉(いずみ)とか難波(なんば)とか河内(かわち)とか、いかにも「ヤバそうな(族車に多いとされる)」ナンバーが並んでいる。
○ この手のファックスは総務部門に届いた後(黙殺されなければ)、各部門に現物のコピーを添えて回覧されます。各部門に回覧されるコピーが、また、新たな怪ファックスの元になるように思います。私が見たのはファックスとしてもかなり不鮮明でしたから。黒い斑点がぽちぽちしていてコピーを繰り返した感じでした。
○ 後、差し出し人は実際には不明であるにも関わらず、コピーに付く前書き(総務が作った説明書き)では、いつのまにか、『所轄警察署からの通達』になっていたりします(本当)。》
《これって、再FAXされるだけではなくって、ネットワークにも流れてくるんです。旧 junet でも数ヶ月に一度この種の情報をみかけたらしく、今ログを調べて見ると、1990年11月ごろの記録がありました。》
《実はこの部屋を覗くまで、流言だとは思っていませんでした。というのも、この記事、以前勤めていた会社で、堂々と社内回覧板の中に閉じ込んで対応策まで朱書きしてあったものですから・・・(^_^;。ここでログを読んだ時、一瞬、まさかうちの会社の人が面白がって外部にFAXで流していたのではあるまいな?と、思ってしまったほどです。》
このような新しい情報空間をながれる噂と、従来にみられた流言飛語などの噂とを比較対照してみるのも大きなテーマとなるとおもわれる。それにはあらためてふれる機会もあるだろうが、ここでは独特の噂空間を形成する可能性を指摘するだけにとどめておこう。
生き馬の目をぬくとも言われる株式市場や金融市場では、日常の生活感覚とは異なった金銭感覚や雰囲気が支配しているようである。そのような世界に生きる人たちの間でも、利害が密接にからんだ噂やデマがみだれ飛ぶであろうと想像される。ここでの噂は、もっぱら意図と狙いをもってながされるのが特長であろうか。この世界もまた、特異空間といっておかしくはない。
《俺は 株やってないけど,日本の資本市場の本拠地の兜町では,噂がしゅちゅう.意図的であったり. 例えば,今では,「JT株で多量の失権株が発生する」なんて,まことしやかにささやかれるし.》
この世界では、多くの自殺者を出した噂やデマも多いにちがいない。しかし自殺者はいったん死んでしまった以上、利害で動くこの空間ではもはや噂の種にもならないのかもしれない。ここでは、戦後もっとも大きな噂で幾人もの死者も出したとされる、いわゆる「M資金」の話も忘れるわけにはいかないであろう。
《現代日本のフォークロア(??)と言えば、よく、色々な詐欺事件やら有名人の自殺やらで名前が出てくる「M資金」を忘れるわけにはいきません。と、いいつつ、この関係の話を直接聞いたという話もないし .... (^^)。誰か、M資金の話を本当に誰かから*直接*聞いた人はいませんか?》
自殺者の集中するメッカとでもいうべき場所が各地にたくさんある。投稿の話題に出てきただけでも三原山・華厳の滝・青木ヶ原・東尋坊などなど、ふるくから自然の自殺の名所がいくつもある。それらの投稿でもふれられているが、自殺が自殺を呼び寄せるという傾向がある。ここでは高層住宅団地など、あらたにできた自殺多発地での噂の流され方をみてみよう。
小生、かつて自殺の名所としてマスコミを騒がせた某高層住宅の住人で(ミエミエだ(冷汗笑))、こちらに移って以来2年間、自殺のうわさなど聞いたことがありませんでした。
しかし、依然自殺はよくあるらしく、ただ入居者が入居に際して二の足を踏むのを恐れて、役所ぐるみ伏せているだけだそうな。
「パトカーも救急車も、サイレンを鳴らさず出動するということか」などとトンチンカンな質問でカミさんを悩ませ、再度聞いてくるように頼んだのですが断わられました(惜笑)。
こういう住宅は、人が密集しているわりに隣近所の交流が極度に希薄で、このことがこの手のうわさに奇妙なリアリティーを与える条件になっているような気がします。つまり確かめようがないということです。
以前、確か3人目までが地元の人で、以後は外部から自殺者を呼び込むようになったというのを本で読んだことがあります。現在は、その本にも書かれていたように、玄関側の共用通路の手すりから上にかけて格子がはめ込んであり、屋上にも出られないようになっております。飛び降りようと思えば、玄関を入ってベランダからということにどうしてもなるはずです。つまり地元住民しか自殺は可能でない。
疑問は尽きませんが、「やっぱり」のたぐいより「ウソでしょ、でも......」のような話の方が、一般には伝播力はあるように思います。》
「情報の欠落が噂を増大させる」という法則がある。事実が伏せられる結果噂がより増幅されるという状況は、この投稿者の手によって如実にしめされている。あえて長文を引用した所以である。つぎのレスポンスも同様の理由で引用させていただこう。
《ぼくも11階建ての高層住宅に住んでいますが、飛び降り自殺のニュースはやはり完全に伏せられてしまいますね。「天井が剥がれて落下した」とか「火事になった」という話は必ず掲示板などにお知らせが出るんですが、自殺だけはたとえ衆人環視の中で起こっても黙殺されます。
たとえば引っ越してきた最初の頃、したがってもう20年近く前ですが、うちの真下に未明に飛び降りた人がいて、新聞配達が死体を発見したそうです。その現場で線香を炊いてお坊さんが読経をしたので、事実であることが分かったんですが、正式発表がないもんですから、死んだのは男性だ、いや女子高生だとさんざん噂が飛び交いました。
また、つい最近も午後の買い物をする奥さんたちで人通りの多い時間に、飛び降りた人がいて大騒ぎになったそうです。でも、やっぱり黙殺。》
自然の名所が伝統的な自殺場所にえらばれたのだとすると、巨大な高層住宅群の無機的な景観は、現代の自殺者の無表情な心性をあらわしているといえよう。そのような人工の虚空間が、思いつめた自殺志願者の心をひき寄せる磁場をもち特異な空間として彼らの前にあらわれる。そしてまた、その噂を語りあう都市住民たちも、噂に接することで日頃は生活におわれて忘れている都市生活の無機質性を想い起こすことであろう。
この節で最後に取りあげるのが「縁切り伝説」のある特異空間である。その場所で男女カップルがデートをすると縁が切れるという噂であって、特にストーリーのある伝説というよりはほとんどジンクスに近いものである。まずは有名な井の頭公園の別れ伝説の紹介から。
《●カップルでお参りしてはいけない場所 …ってゆーと、関東でメジャーなのは、通称「縁切り寺」だと思うのですが、バラバラ事件のあった(^_^;)井の頭公園の弁天様も、霊験あらたかだそうです。 もともと弁天様は、未婚の女性の神様なので、夫婦や恋人が揃ってお参りすると嫉妬されるので、良くないとか?(だったら、全国の弁天さまに同じ逸話が有るのかな?)正しいお参りのしかたは、男女バラバラに、時間差をつけて行くのだそうです。》
東京井の頭公園弁天池・埼玉大宮公園のひょうたん池・東京ディズニーランド・津田梅子のお墓・関東の通称「縁切り寺」・京都嵐山の渡月橋・京都植物園・大阪万博公園エキスポランド・神戸ポートピアランド・名古屋東山公園「東山タワー」・太宰府天満宮・伊勢神宮
どれもこれも各地の行楽観光の名所がずらりとならんでいる。若い男女がデートをする場所なのだから当然のことである。また、その多くのカップルがその後なんらかの理由で別れていくのも自然のながれであろう。とすれば、多くの観光名所に縁切り伝説があるのになんの不思議もない。
しかしここでは、そのような噂の存在の合理的な理由をみつけるのが狙いではない。むしろ噂とは、しばしば非合理な状況から発生し伝播していくものである。またそのような非合理性にむけて、それなりの納得をあたえる役割をももっていることが多い。
恋愛に終局があるのは事実だとしても、いままさに恋愛中のカップルにとって別れにおもいをむけるのは不合理なことだ。また恋愛そのものが多くの偶然によりはじまるのと同じく、両者とも納得のいくような別れがあるわけでもないだろう。これらはそもそも、恋愛そのもの自体にはらまれている偶然性であり非合理性であろう。
とすれば、そのような偶然性に支配されている恋愛に、さまざまな占いやジンクスがともなっているのも不思議ではない。恋い占いに熱中する男女があれば、その一方で別れにささやかな理由づけをしてくれるジンクスも必要なのかもしれない。水の上に浮かぶ木の葉のような不安定な状況では、タロットカードの恋い占いに願いをかける少女もいるだろうし、弁天さまの嫉妬に別れの原因をみつけて苦笑する男の子がいてもおかしくはないであろう。
《現代風俗研究会の年報『現代風俗'92 恋愛空間』で、岩井正也さんが「別離伝説のフォークロア」というのを書いておられます。カップルが別れるといわれる場所についての噂を、弁天さんなどの女の神様に起源を求めたりしていますが、おもしろいのは噂を集めたデータです。関西では嵐山・エキスポランド・ポートピアランドなど、東京近辺では井の頭公園・東京ディズニーランドなど、あと伊勢神宮などがあげられています。ボートがあるというのがキーになっているでのはという推理をされています。そこへいったときの救済方法についての噂もあるようです。各地の噂を集めたら、このジャンルだけでもおもしろいかもしれませんね。ご参考までに。(リブロポート 1991.11.30 発行 ISBN:4-8457-0686 / 2,474 円)》
この資料にはまだ直接あたる機会がないが、ボートのある場所という指摘は興味深い。前にあげたジンクスのある場所をざっと見わたしても、ほとんどが水とむすびつけることができる。そして、その多くには遊覧用のボートがあるようだ。さきに恋愛心理を水にただよう木の葉にたとえてみたが、ボートそのものが木の葉と見なすこともできる。恋愛の不安定な心理状態とボートをむすびつけるのも、ひとつの視点ではなかろうかとおもう。
ここでも水にたいする解釈が重要なポイントだとおもわれる。水の分析はあとの章の課題となるが、ここでは、海ではなく池・川といった陸水がほとんどであることを指摘しておこう。
『試着室ダルマ』のところでふれたが、主人公の若い女性はヨーロッパなどの都市の試着室からつれ去られ、東南アジアやアラブ世界などの第三世界でダルマとなって発見されることが多い。ここで、われわれ日本人が抱く「外国」には、対称的な二つのイメージがあるのが容易に想像される。
明治維新以来尊敬と模倣の対象としてきたエキゾチックな西欧世界と、一方ではわれわれがそこからの脱出を目指した遅れて野蛮な第三世界。もちろんこれは正しい事実認識ではないが、「脱亜入欧」のスローガン以来われわれの意識に沈潜している「二つの外国」イメージであることは間違いない。
うら若い女性が手足をもがれた悲惨な姿にされるという落差とともに、あこがれの対象である西欧から妖しげな第三世界へ売り飛ばされるという、噂の舞台のもつイメージの落差も物語の印象に寄与しているといえよう。『オルレアンのうわさ』の登場するユダヤ人が特殊な意味をもたされているのと同じように、物語の本筋にひそませるかたちで無自覚な差別意識に訴えかけるような舞台装置が仕組まれている。
このような「あやしげな外国」のもつ意味を指摘した投稿を引用して、その投稿者の見解に賛意をしめしておこう。
《ドイツのフォークロアにも「海外旅行で妻子が行方不明になる」「病院で臓器を抜き取られる」といった「だるま」の類話の一群があります。これらの舞台は、あちらではトルコ、モロッコなんですよね。
かつての伝統社会での伝説では、自分たちと異なった生活文化・風土をもつ人々が異人や妖怪として排除の物語に組み込まれることが多かったが、世界のグローバル化とともに「あやしげな外国人」が第二の異人とされる可能性も増大していくのであろうか。
《そうそう、電子レンジに猫といえば、「イギリスから香港にペットの犬を送ったら『おいしくいただきました』と、お礼状が返ってきた」というのも、「伝説」なんでしょうか。》
《1〜2年前、インドネシアの回教徒の間で、某食品メーカーの製品に、ラード(豚の脂)が使用されているという噂が立ちましたね。回教徒が大多数を占める国のことですから、インスタント食品であっても、パッケージにはおそらく「ハラル済み」マークが入っていたのではないかと思います。不買運動が起きたり、何かと大騒ぎになり(ああ! どういう騒動が起きたか忘れてしまいました)、とうとうイスラムの高位者がテレビ出演して、そのメーカーの食品を食べてみせ、「安全性」を保証する、というオチがつく事件でした。
このメーカーというのがご存じの通り華僑経営で、一連の噂は常日頃からの華僑への反感が作り上げたもの、というのが当時のマスコミなどの見解でした。
このころ、「市場の食品にラードを入れる女性がいる」という別な噂も流れ、誤解を受けてけがをさせられた若い女性の記事を読んだこともあります。》
日本国内でも、特殊な場所やその住民を噂の素材にしたものがある。もちろん、この手の噂には差別意識を土台にしたものが多く、その取扱いには慎重を期さなければならない。今回の試みでは、パソコン・ネットという開かれた場なので、露骨に差別的な噂は遠慮されたかとおもわれる。しかし、その種の噂が影で根づよくかたられているのも事実であろう。となれば、噂と差別の切り離しがたい関係にメスをいれるのも大きな主題となる。
次の投稿はその種の噂だとおもわれる。ことの性格上、投稿者もかなり慎重に扱っているので引用してもゆるされるであろう。
私の家から,A地内をとおって,B地に通じている道があります。その道を走るときはA地内では,最徐行しなくてはなりません。いつなんどき人があたりにくるか解らないからです。あたられたら,ひと身上なくなるからです。
この,20年間に,この道の,この部分で,事故は起こってないようですが,そういえば,例の<当たりやグループ>ファックスのときにも,車にのっているのは,ここの人だといわれていました。
北海道や沖縄がその歴史的経緯から、本土とは異なった特殊な異界として噂の舞台とされることもある。たとえば、簡単な笑い話のたぐいであるが。
また東京都心のど真ん中、風俗化し無国籍化しつつある新宿歌舞伎町のような街も、異界として噂の恰好の舞台となる。
《ある女子大生(話してくれた子の、例によって友達の友達)がたまたま夜の歌舞伎町を歩いていたら、一人のヤクザと目が合ってしまった。次に気が付いたとき、彼女は香港にいた。(10年前、女子大生)》
無国籍化した街とあやしげな第三世界とが、闇の地下水路でつながっているかような想像をさせる噂である。
異人や妖怪が棲むと空想される世界を異界だとすると、それらのもっとも登場しやすい場所はわれわれの住む世界と異界のあいだにある「境界」であろう。それらの境界は、かつての伝統的な地域社会では国境などにある峠や川であったことが多い。したがって妖怪なども、そのような峠や川によくあらわれた。
そのうちでも峠は、近年の道路整備などにともない多くがトンネルでバイパスされるようになった。とすれば、出没する妖怪・幽霊のたぐいもそのトンネルに移行していることが想像される。たしかにトンネルにまつわる現代伝説は、あちこちに多くみられるのである。
トンネル伝説の中でも代表的なのが、バイク仲間でささやかれる幽霊の噂である。薄暗いトンネルの中の冷気に直接肌がふれるバイクのほうが、自動車よりも霊と遭遇しやすいということはうなずける。
トンネルの中で前を走るKの後ろに誰かが乗っている。誰か友達だろうと思ったが、次に見るといなくなっていた。
この種の自動車やバイクにまつわる噂は、つぎの『カー伝説』の章であらためて取りあげる。ほかにも二つほど、トンネルに出る幽霊の例をあげておこう。
《山梨県でのお話です。私も詳しい場所は忘れてしまいましたが(むかし習ったのに(;_;))、太宰治が・・・には月見草がよく似合うなどと言ったというお茶屋さんの横のトンネルのなかで幽霊が出るそうです。友人の友人が俗に霊感が強いというような人で見えたそうです、その人はよくあそこにいるとか言うそうですが(^_^;)》
峠やトンネルと並んで、川も境界とされやすい地形であろう。そして、その境界を往来する場所にはおもに橋がある。となれば、橋にまつわる噂が多いのも当然であろうか。
《この「渡月橋」は「十三参り」に行くとき渡るので有名ですね。お参りで橋を渡るとき「絶対に振り向いてはいけない」という言い伝えがあります(親から聞いたような)。振り返ったらどうなるかは聞いた記憶がありません(だれか知らない?)。自分がお参りするときには振り返ってみてやろう、と企んでいたんですが、どうも連れて行ってもらえなかったようです(^^;。
その後トシゴロになってからこの橋を渡るときには、ベッピンサンを見かけるたびに「振り返って」しまうのは、この時の怨念からでしょうか(^^)。》
十三参りでは一般に「振り返ってはいけない」と言われるが、とくに橋で振り返れないとなると別の意味が付加されているのかもしれない。橋は境界のこちらからあちら側に渡っていくことになるから、境界を越えるときの特別な儀式としての意味あいを考えてみてもよいだろう。
《たしか、岩国の錦帯橋の話だったと思いますが、この場所にかかっていた橋がすぐに流されてしまうので、通りかかった座頭を人柱にして橋をつくったとか、あるいはそれを止めさせるために、流されない構造の橋を考案したとか。》
これらの橋にまつわる話しは、伝統的な噂の範疇に入れておいてもよいだろう。では峠がトンネルに移行したように、現代伝説としての橋はどのように変化したのだろうか。これはあくまでも仮説であるが、高速道路のような橋脚をもった建造物が「あらたな橋」として噂の素材となるかもしれない。あるいは車の流れを水とたとえれば、高速道路自体を境界をつくる「川」と見なしてもおかしくはないであろう。高速道路に出る妖怪の例をひとつあげる。
《誰に聞いたか忘れましたが、北陸道の滋賀県と福井県の境あたりには、夜、高速で走る車に併走する老婆がいるそうです。もちろん老婆というのは高齢の女性で、何とかローバーの類ではありません。》
最後に、噂ではなく創作の中の話ではあるが、川のもつ境界性を象徴するような逸話をあげてつぎの話題ににうつろうとおもう。
戸田橋付近(東京都と埼玉県の境界をなす荒川にかかる橋)に水死体が流れ着き、その死体を、警視庁と埼玉県警とが、竹竿で押し合って、相手方の事件にしようとする話なのですが。
これを読んだ時には、大笑いしてしまいました。毎日、通勤で通っていることもあって、身近に感じられたからかも知れません。川上から流れ着いた土左衛門は、捜査も難しいのでしょう。まあ、お役所仕事で、面倒を回避したいという気質を風刺したものでしょうが。》
一般の住居にも怪異にまつわる話はたくさんある。借家・アパートなどで、あらたに移り住んだところ霊がいたという流れの話が多いようだ。
妹夫婦が,秋田に転勤して,たってから少したっている家を借り生活するようになった年,私と娘Y子,で,その家にあそびに行ったときです。夜ねることになって,Y子は2階の3間続きの一番奥の部屋に寝ることになったのですが,<この部屋に,何か居る>と言いだしました。妹の子供もいぜんから同じことを感じてその部屋はつかわれていない部屋だったのだそうです。
翌年,妹夫婦が,私の家にあそびにきたとき,その話をきいたら<あれはいつのまにかいなくなった>ということで,今は普通になったそうです。
この種の霊はだれにでも感じとれるというものではなく、とくに霊に敏感な人にだけわかるようである。つぎの例もそうである。
《私の友人が一昨年の暮れ、結婚しました。で、新居となるアパートにいよいよ引っ越しの当日、手伝いに行った私の目に飛び込んできたのは、その男が従兄弟の女子高生といっしょに、部屋のあちこちに生米と塩を盛っている姿でした。
結婚式より一足先に実家を引き払い、彼はすでに独りでアパートに居たのですが、「何かこのアパートにいると、猛烈に頭が痛くなる」のだそうです。おまけに、夜寝ていると、耳元で何やら女の声が喋り続けていて眠れないのだとか。そこで彼も考えました。「こりゃ、もしかして、“いる”のでは?」
もともと彼の家系は霊感の強い人間が出ていて、中でもこの日来ていた従兄弟の女の子は、その素質が強く受け継がれているそうです。そこで彼女を連れてきてみたところ、部屋に入るなり第一声が「お兄ちゃん(彼のこと)、これすごいわぁ!」だったそうです。》
人に憑くのが幽霊、特定の場所にあらわれるのが妖怪という分類にしたがうと後者になるのであろうが、いずれにしても一種の地縛霊と考えられる。伝統的な地縛霊は、その場所にまつわる因縁があってあらわれるのであり、当事者にもその理由がわかるのが普通である。しかしながら移動のはげしい現代では、その霊に遭遇した人にも由縁がわからないままに終わることが多い。
したがって、土地に縛り付けられた怨霊を特別に慰霊するといった物語には発展することなく、なにげなく消えていったり、あるいは居住者のほうが引っ越してしまうことになる。住民と地縛霊の葛藤というよりは、居住者と霊が簡単にすれ違っていくあたりが現代的であるといえようか。
出現する幽霊のほうにも、なにがしか現代的な孤独の陰がさしているような事例をあげてみよう。とくに祟るというわけでもなく、ただ現れてまた消えていくというだけの奇妙な話である。
《5年ほど前、ある有名レコード会社の若いディレクターと、真夜中にタクシーに乗っていたとき、聞いた話です。
彼の友人の住んでいるアパートの部屋には、毎晩だったか、ある決まった日だったか、とにかく深夜の同じ時刻になると、椅子に座った老婦人の幽霊が現れるんだそうです。
その幽霊の出現のしかたがまた変わっていて、その時刻になると、部屋の一角に小さな点のような大きさになって現れてきて、それが次第に拡大して普通の人間の大きさになるんだそうです。そして、暫くそのままじーっとしていて、またある時刻になると次第に縮小していき、消えてしまうのだそうです。》
会社や各種の事業所も、日中は活気にあふれているが深夜ともなるとひと気のない密室と化する。深夜のがらんとした密室を想像すると、そこになんらかの怪異現象があっても不思議ではないであろう。
《東京のサラリ−マンが、夜中に酔ったあげくにじぶんの会社に電話したところ、笑い声がきこえたのでびっくりし、翌日しらべてみたら、そんなにおそくまで残業した人間はひとりもいなかった、ということです。》
「普通の煎餅やごま煎餅は、工場から出荷するのだが、海苔のついた煎餅だけは、工場からもうひとつ別の場所を経由する。そこは大きな倉庫で、薄暗い倉庫内に草加中の老婆が集められている。老婆は、片手に醤油煎餅を、片手に海苔を持ち...煎餅をぺろりと一舐めしては海苔を貼り付けるのだ」
これは、「噂話」というより、「こういう噂が流布している」という「噂」なのかも知れない。或は、人面犬とか口裂け女とかの噂がマスコミで取り上げられて行った中での誰かの「創作」かも知れないとも思える。若手の漫才芸人あたりが作りそうなお話だからだ。この「噂」は5年ほど前に友人とのバカ話の中で聞いたもの。》
噂の中での老婆の役割には特異なところがある。男の老人がどちらかというと枯れていく傾向にあるのとくらべて、老婆という存在は一種独特の生気をはらんでいる。そのような老婆の生臭さと、ひと気のない倉庫との対比がこの噂のエッセンスであろうか。かつての伝説から現代伝説にいたるまで、老婆というキャラクターのもつ生命力だけは健在であるようにおもわれる。
その他事業所関連の噂では、一連の就職面接の話題が集まった。就職面接の会場というのもある種の密室性をもっている。その場にいるのは面接官と受験者だけである。そのような閉じられた場所でくりひろげられる両者のやりとりが、おもしろおかしく噂としてながされてくる。二つほど投稿を紹介しておこう。
近年の就職難でみんなあの手この手のアピールをする。前に、CMソングを面接で歌った学生が受かったらしい。で、去年、ある製菓メーカーを受けに行った学生が、なぜウチなの?という質問に、「CMソングでずっと馴染んでいました。(ここにオンプマークがあるつもり)チョッコレート、チョッコレート、チョコレエトは、……」と途中で詰まってしまった。受けていたのはライバル社だったからだ。
こんなような話が書いてありました。続いて、マヨネーズを一気のみした奴とかも出ていました。マヨネーズは別として、この「チョッコレート」ネタは、私が就職活動をしている年にもありましたから、もう7年前にもすでに存在していました。当時はバブル黎明期で不況絡みの説明は入っていなかったんですが、たしか落ちたと聞いた記憶があります。
就職関係の噂はかなりいろいろあるのではないかと思いますが、どうでしょう。あの「内定蹴りお茶かけられ事件」「内定蹴りお茶一気のみ事件」なども同じ類になるんでしょうかねえ。ちなみに、この熱いお茶を学生にかけた企業は、かのノルマ証券と聞いております。これは、内定蹴りをした学生が人事担当者から眼の前にあったお茶をかけられたという話があり、次に内定蹴りをした学生は、まず眼の前の熱いお茶を一気のみしてから内定を断ったという話です。これらは87年夏の時点ですでに語られていました。》
《「サッポロビールの面接で質問に一言も答えない奴が居て、怒った面接担当者が『何で何も言わないんだ!』と言うと、一言『男は黙ってサッポロビール』と答えて、採用になった」
ホテルの個室というものも鍵ひとつでへだてられる究極の密室である。大都会の高層ホテルの一室で多数の人々が孤独な一夜をすごすとき、そこで「なにか」がおこる。そしてその部屋ではかつて自殺者がでている、というのがもっともありふれたホテル伝説であろう。
《たしか去年(1993年)の話です。北海道の千歳のビジネスホテル。各自の部屋に荷物を置いた出張班一同が、ふたたびロビーに集まった時の会話です。
「僕の部屋、なんか窓の枠が真っ赤にふちどってあって、『開けないでください』って書いてあるんですよね。高層でもないのにヘンなの」
ここで一同ピーンときました。何しろ一年の半分以上を出張している人たちですから、その辺の勘も磨かれています。値段も千歳界隈では格安なのに、建物も新しい。さらに「開けないでください」の窓枠……。「これは」とひらめいた彼らは、フロント氏に尋ねました。
あっさりと負けを認めたフロント氏によると、以前ホテルの外には墓地があり、ホテルの建設に伴って廃止されたか移転したそうです。しかしその後も妖気だか霊気は残り、夜な夜な宿泊客を脅えさせるのだそうです。
仕事の都合で一足遅れてやってきた、A係長が着いたのは深夜近く。他の班員はもう寝ています。酒好きの係長は、あらかじめ外でしこたま飲んできて、ご機嫌でベッドに入りました。
酒飲みはまた、一種の暑がりでもあります。係長は部屋に入ると、ぱあっと空気の入替えをしたのだそうです。案の定。
フロント氏のコメントによれば、たぶんその係長さんは、霊感とかそういうセンシティビティが弱い方なんでしょう、とのこと。
これはいつの話だか知りません。“課内で伝わってる”というレベルらしい。場所は確か四国の宿だと思いました。
例によって旅の宿に泊まっていた出張班、今回は地方とて旅館だったそうです。A課長だけは個室に寝ていましたが、深夜、誰かが入口の障子をノックする。開けてみると誰もいない。それが繰り返される。こいつは若手の班員が、酔っぱらってオレをからかっとるな。とっちめてやらにゃ。
長い廊下をあわてて逃げていく影を、課長は追いました。なかなか素早い相手は、広い旅館の敷地を、庭のすみにある離れの方に走っていきます。その離れの中に隠れたのを見届けた課長。ついに追い詰めたと見て、離れの引き戸を「コラッ!」といいざま開けた目の前に、上から女の顔が下がってきたとか……。
多くの見しらぬ他人が替わるがわる宿泊するホテルや旅館には、幾多の噂が発生する。これは身近にすれ違いながらなんの情報もない他人に対する不安が、都会人の心理にひそんでいるところからくるようにおもわれる。
いきずりの男女が一夜をともにするようなとき、もっとも身近にふれいあいながら相手に対する情報がまったく欠落しているという皮肉な状況がおこる。つぎのものは、アメリカを起源とする典型的な現代伝説と言えよう。
《 これは、女をナンパしてすることして、翌朝起きると女が消えていて、トイレの鏡に口紅で『AIDSの世界にようこそ』と書いてあった(--;)、という超有名な話です。アメリカ原産なんだそうですが。これ、身近で聞く限り、あんまり食らったって話はなくて、『○○子(面識のない奴)が、(ぴぃ)なので頭に来て、やったって言ってた』とか『知り合い(女性)でいたずら半分(??)にやった奴がいる』というパターンに変わっているようですね。何故だろ??》
都会の高層建築物への潜在的な不安も多い。不特定多数の出入りする高層建築物は、一旦火災などの災害がおこると瞬時にして地獄と化する。都内赤坂の某ホテルの火災による惨事はいまでも記憶になまなましい。赤坂という場所は、四谷・青山などと並んで江戸期以来の心霊スポットといわれているだけあって、いまでもたくさんの噂がながされているようである。
ホテル以上に多くの人間がつめ込まれている百貨店でも、いくつか悲惨な火災がおこった。当然その跡地にも幽霊伝説は語られている。
《火事により死傷者が沢山出た都内某ホテル跡地に、出るという話がありました。大阪千日ビル(でしたっけ?)も、やはり火事で死傷者が沢山出たところですが、ここも出るという話がありましたよね。熊本の某デパートの火事の話は、すでに以前ご報告されていましたが、熊本出身の同僚に聞きますと、知っておりました。このデパートの後日譚として、デパートを再開する際、デパート名を『火の国デパート(!)』にしようとしたのだが、さすがに縁起が悪いということで現在の名になった、ということでした。》
《らくだという噺があります。らくだと言われる男が死に、その兄貴分と、たまたま行きあわせた故紙回収業者が、葬式を行うという噺です。さて、二人は飲んだ後、死体を火葬場、当時の言い方だと「火屋か火家か、とにかくヒヤ」に運びますが、途中で漬物屋から脅し取った桶から死体を落としてしまい、代わりに酔っぱらって寝ていた神主か坊主を入れて、ヒヤに持って行き、置いて行きます。さて、目を醒ました酔っぱらいは、火を付けに来た人にここはどこだと聞きます。「ここは千日のヒヤじゃ」、「ヒヤでもいいからもう一杯」というのがサゲです。つまり、千日前には昔から火葬場があって、千日デパートの火事がある前から、人が焼かれていたのです。ですから、千日前に幽霊が出るのは、火災のせいとばかりは言えません。》
混雑時の地下街や百貨店にいると、ふと災害時の不安にかられることがある。そのような心理から派生するとおもわれる噂もある。
《京都の中心部にあるT百貨店は、戦前に途中まで作って、戦後に継ぎ足している。エスカレーターをつける時に梁も抜いている。だから構造的に弱く、地震が来たら、真っ先に崩れる。》
この章の最後でとりあげるのが「平面の世界」である。なかでも鏡は、古来より神秘的なものとして崇められてきた。写真や映画のなかった時代には、そっくり自分の姿かたちを写すものはおそらく鏡しかなかったであろう。自分と同じ姿が映るのは考えてみれば不思議なことである。そして、自分の分身がすぐそばの鏡の中にいるというのは、不気味でもある。
「真夜中の12時に鏡を覗くと、○○が見える・・・」というパターンの噂話です。わたしが知っているのは、以下の3つです。いずれも小学校で聞いた噂だったと記憶しています。鏡を覗く時の条件は、「灯りを消す」または「蝋燭の光で見る」です。
あと、「真夜中の12時に鏡を両手に持って合わせ鏡にしていると、片方の鏡面からもう一方の鏡面に向かって小人(もしくは小鬼)が走ってゆくのを見ることができる」というのも聞いたことがあります。》
鏡の向こうには、もうひとつ別の世界がある。そして、その二つの世界は鏡によって仕切られている。この話では、鏡のもつ境界性がキーワードではないかと考えられる。深夜の12時というのも、日にちが変わる時間上の境界である。そのような「境界」を通すことによって、未来の自分が見えたり日常では目につかない霊や角が見えたりする。
そして、そのような別々の空間を自由に行き来する特殊な存在として、ここでは「小人(小鬼)」がいる。日常世界と異空間の境界にあわられるものというと妖怪などが思い浮かべられるが、ここでは小人がそのような妖怪の位置にあるといえよう。
《「合わせ鏡」はある程度大きな鏡でやれば、鏡の中の世界に向かって無限に映像が繰り返されてゆく感じになりますからなかなか神秘的(不気味?)ですね。私が某オカルト雑誌で読んだ読者手記はこんな話でした。
合わせ鏡ともなると、二つの世界がさらに複合されて無限世界が現出する。有限存在である人間にとっては、無限な世界とはなにやら不安をひきおこすものであろう。そのような不安が、悪魔や不気味な男をひきよせてもおかしくはない。
《中国の黄帝にまつわる逸話で、ある日、黄帝が軍隊を連れて道を歩いていたら、向こうから、黄帝そっくりの一行が近づいてきた。黄帝が「お前達は何者だ」と問うと、相手は「われこそが本物の黄帝である」と答えます。そこでお互いが、自分達のほうこそが本物だと言い張って譲らず、とうとうそこで戦いが始まってしまいました。最後に黄帝は、この正体不明の軍隊を打ち負かし、鏡の中の世界に閉じこめてしまいます。以後彼らは、こちら側(わたし達の世界)の人間の、一挙一動を真似なければならなくなった・・・というお話を、何かの本で読んだ覚えがあります。(渋澤龍彦さんの本だったかな(^_^?)》
そっくり同じ世界の住人どうしは、かならずしも親和性をもっているとはいえない。この話のように、両者が出くわすとなんらかの闘争がおこる。お互いにとって相手は自分のアイデンティティを侵略する存在なのであるから、これはむしろ当然のことかもしれない。そして、いずれかが他方を拘束し支配していないと、それこそそれぞれが別個の行動をする不条理の世界となってしまう。こうやって、世界の一元性を回復するためには黄帝のような霊力をもった存在が要請される。
日常のわれわれは、自分の存在が自立的であり鏡はそれを忠実に映しているだけだと思っている。しかし、鏡像に映る世界のほうが自立的であり、われわれの日常世界はそれを模倣しているだけだとしたら……。黄帝のような霊力がないわれわれ凡人は、鏡像の分身に支配され拘束されている可能性も考えられるではないか。
鏡ではないが、模写された自分が現実の自分を規定するという主題は、オスカー・ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像画』などにも描き出されている。そのような分身といえば、影法師もよく似た役割をする。
《それに、自分の分身にまつわる怪異としては影に関するものも古くからありますね。「影が薄くなる、影の一部が映らなくなると死期が近い」という俗信(最近では「手、足が写真に写ってないと事故にあう」なんていう心霊写真の解説もありますね)、影と話しているうちに主客が入れ替わる小説「影法師」、「三歩下がって師の影踏まず」、etc.自分の分身(ドッペルゲンゲル)を見たという体験談も今だに雑誌などでよく見ます。》
今回の投稿には出てこなかったが、この引用にあるように「心霊写真」なども現代における分身の恐怖と不安を反映したものといえるであろう。古来からの鏡像世界への不安が、現代伝説に転化すると次のような恐怖の物語ともなる。
妻カトリーヌが化粧や着替えをするのを夫ジョージが待っていると、突然妻の悲鳴が聞こえた。駆け付けてみると、妻が鏡の中から恐怖に顔をひきつらせて、もがいており、警官も来たがなす術もなく、やがて妻の姿は見えなくなってしまった。
この説話では、あきらかに鏡の中の世界がはっきりと密室性をもって登場してくる。だれの声も届かない密室に閉じこめられてしまう恐怖、それは現代人の心の奥にひそむ不安であり、現代伝説の大きな主題となるであろう。
鏡以外に、われわれにもっとも身近にある平面画像の世界というとテレビであろう。閉じられた屋内とまったく別世界とを、目に見えない電波がつないでいる。テレビのブラウン管は、まさに茶の間と異界をつなぐ境界にある平面なのである。その異界から、ときたま得体の知れないメッセージが送られてくる。
《これも小生が小学生の頃聞いた話なのですが、TVの空きチャンネル(当地では2とか5、7、9、11など)を見続けていると、ザーという映像が突然消えて、番組表には載っていない番組が始まる、という話が広まりました。エッチな映像ではないか、などと言う訳知り顔のマセたクラスメイトもおりましたが、ニュースだったという話も伝わって、夜中ずっと砂の嵐の中の怪映像を探し続けたことがありました。結局は、その映像を見ることもなく、眠ってしまったのですが。》
《先日TVで「サザエさんの最終回の噂」なるものをやっていたそうですが、私は、「ドラエモンの最終回の噂」が出回った、と聞いた事があります。
2年前、広島の知人からなのですが、その時聞いた2つの最終回のパターンのうち、(1つは忘れてしまった)覚えている方を紹介しますと…
ある朝、のび太が目を覚ますと、そこは病院で、お母さんが心配そうに覗き込んでいる。「のび太ちゃん、あなたは交通事故で、ずーっと意識不明だったのよ」「お母さん、ドラエモンは?」「一体何を言ってるの?」「じゃあ、あれはみんな夢だったのかぁ…」 場面がかわってのび太の部屋、ボロボロになった人形(ドラエモン型)が部屋の隅に転がっている。
話題の素材が「どらえもん」というのも興味深い。異次元の世界とこちらの世界を自由に行き来するどらえもんは、異界との往来ができる現代の妖怪とも想定することができる。現代っ子にも受け入れられるように修正された、愛敬のある妖怪であろう。
番組の最終回というのも、ある意味では境界を画する隠喩ととらえることができる。そして、最終回ではのび太の夢の世界の出来事となって彼は現世だけの世界に連れ戻される。やはり現代社会では、どらえもんのようなコーディネイトされた妖怪でさえ存在しづらいのかもしれない。
ブラウン管・最終回・どらえもん・夢という、4つもの異界と日常性をつなぐ媒介が重ね合わされているところがおもしろい。それらの媒介の「むこう」と「こちら」で、はたしていずれがリアリティをもつ世界であろうか。
伝統世界で妖怪や異者により表象された異界は、明瞭に「内」と「外」が区分できる場所であり、それを排除することにより「内」の世界はより確固たる世界になる。異界の住人たる妖怪どもは、いったん内に招き入れられあらためて排除されるためのトリックスターでもあろう。共同体内部を活性化し、より強固に維持するための儀式のために異人たちは活用される。
しかし、そのように活性化し維持すべき共同体がもはや失われているとすれば……。そのような状況で、内と外はつねに反転する危機をはらんだあやうい世界となってしまう。ブラウン管のこちらとあちら、どらえもんの物語とわれわれの日常生活と、はたしていずれに現実性があるかはもはや明瞭には画定しがたい。われわれの現代都市空間は、いくつもある異空間の相対的なひとつであるにすぎなくなっているかもしれないのである。

[] 現代伝説考(1)
[引用サイト]  http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/txt_den/densetu1.htm
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 Last Updated 2007/ 02/ 15/ 15時23分42秒


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