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理由とは?

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東京都荒川区の超高層マンションで起きた凄惨な殺人事件。殺されたのは「誰」で「誰」が殺人者だったのか。そもそも事件はなぜ起こったのか。事件の前には何があり、後には何が残ったのか。ノンフィクションの手法を使って心の闇を抉る宮部みゆきの最高傑作がついに文庫化。
荒川の高層マンションで起きた一家四人殺し。しかしそこに住んでいるはずの家族はほかの場所で暮らしていた。殺されたのは誰か、殺人者は誰なのか。事件はなぜ起こったのか。家が、家族が、そして人が徐々に壊れていく。
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だんだん読み進めていくに従ってなんとなく展開がわかってきて、雑な読み方になって、予想通りの終わり方。「理由」、登場人物にみな理由を語らせるとこの分厚さになったということか。しかし殺人の理由を語るのが難しいように、家族であり続ける理由を語るのも難しい。だからこれだけのボリュームを擁して家族のあり方を問うているのに、浅薄な感じを抱いてしまう。
家族をこれでもかと描いているわりに殺人そのものはあっさりしたもので、感情の暴発と偶発的なものだったと。確かにこの作品は殺人自体に重きはおいてないが、こんないい人ばかりなら、何も人を殺さなくてもっと穏便にことは運んだだろうと突っ込みたくなる。もっともらしいようで、展開に無理があるように思えた。
それとこの「ルポルタージュ」形式は小説としては斬新かもしれないが、ノンフィクションを好んで読む者にとっては読みやすいが新鮮さは感じず、必ずしも成功しているとは思わない。逆にウソっぽく見えてしまってマイナスではないか。
レビュアー:ヲサム - レビューをすべて見る巨大なマンションで起こった殺人事件を関係者のインタビューを交えてノンフィクション風に描いた小説。面白い手法で書かれているが、タイトルに納得できない。理由とあるから加害者が殺人を犯した理由かなと思っていたので、それが違ってガッカリ。ちなみにミステリーではない。
レビュアー:こうちゃん - レビューをすべて見る たまに民法や執行関連の本で、占有屋の実態は『理由』に書いてあると記されています。しかし、本書の内容は授業等で聞く内容と同じであり、とりわけ新しい情報はありません。(既に法改正がなされましたので本書の内容はもう妥当しなくなっています。)
ミステリーでもなく、ドキュメント風でもなく、また細かな生立ちなどが連ねてあるが、それが人物の心情や性向の描写に結びついていると思えず、分らないものは分らないまま絡み合って進んでいく「エヴァンゲリオン」的な面白さはない。「何となく」とこうなってしまったというのが「理由」なのであろうが、それにしては登場人物は特異な人ばかりである。
レビュアー:bobkun (横浜) - レビューをすべて見るたまたま最近起こったような高層マンションでの殺人話。
宮部さんの本は今までほとんどワクワクを楽しんでいたけど
今回は人間の憂いが強かったが、興味深読み進められる。

レビュアー:chu-chan - レビューをすべて見る全体の8割位まで、飽きずに一気に読めるのですが終わりに近づくと、ちょっと「ここまで引っ張ってこれが真相?」と思いませんか?宮部作品はどれも好きですが、9.5割位までハラハラ・ドキドキ感がほしいと思います。
しかし、充分に読むに値する作品です。
レビュアー:tyrol (ほっかいどう) - レビューをすべて見る長いけど、あきさせない、うまい書き方なのは他の作品でも共通した長所であるが、結末が尻すぼみになってしまうのも、他の作品と共通してしまう欠点かな。
タワーで遺体となった人々は誰に殺されたのかが結末前にわかってしまった。
ジャンル別 > 文学・評論 > ミステリー・サスペンス・ハードボイルド > 日本の著者 > ま行の著者 > その他

[] Amazon.co.jp: 理由: 本: 宮部 みゆき
[引用サイト]  http://www.amazon.co.jp/c??c?±-aRRe?¨-a??a??a??/dp/4022642955
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 Last Updated 2007/ 03/ 27/ 13時11分32秒

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リージョンコード: リージョン2 (このDVDは、他の国では再生できない可能性があります。詳細についてはこちらをご覧ください DVDの仕様。)
   死刑廃止論者の法学部教授ポール(ショーン・コネリー)は、8年前に白人少女誘拐殺人事件の犯人として逮捕され、死刑判決を受けた黒人青年ボビー(ローレンス・フィッシュバーン)からの無実を訴える手紙を受け取り、早速事件の再調査に乗り出す。やがて真犯人を名乗るブレア(エド・ハリス)という男の存在が浮かび上がるのだが…。    名優ショーン・コネリーが製作総指揮も兼ねて主演したサイコ・スリラー。死刑囚の無実を説くというプロットはありがちではあるが、次々と予測を裏切る展開の数々に、思わず引き込まれてしまう。L・フィッシュバーンとE・ハリスの名演はいつもながらとはいえ、やはりお見事。また、コネリーの娘役に『ロスト・イン・トランスレーション』のスカーレット・ヨハンソンが扮しており、その少女時代の姿を見られるだけでもファンにはお得かも。監督は『バウンティ・キッド』などのアーネ・グリムシャー。(的田也寸志)
あなたが信じたものを、あなたが疑い始める… 戦慄のショッキング・サイコ・スリラー 1986年、フロリダ州オチョピー。わずか11歳の白人少女ジョウニー・シュライヴァーが無残な死体で発見された。逮捕されたのは、黒人青年ボビー。死刑判決を受けた彼は、8年後にある行動を起こす。死刑反対論を唱えるハーバード大学教授ポール・アームストロングの元に無実を訴える手紙を出したのだ。過去に遡って調査を開始するポールの前には、次々と意外な事実が浮かび上がってくる…。 製作総指揮と主演にショーン・コネリー。ローレンス・フィッシュバーン、エド・ハリスら個性派俳優が脇を固める。観る者を次々と裏切り続けるショッキング・サイコ・スリラー。
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このネタのアイデアは、二時間サスペンスドラマで良くありそうなもの。
でもこれだけの名優をそろえて、脚本をキッチリ組み立てると、なかなか面白い映画になります。特にショーン・コネリーが入ると、映画の格が違って見えます。非常に凝った筋立てで、最後まで飽きさせません。
そして、あのスカーレット・ヨハンソンが、子役で出ています。しっかりと、人気女優の片鱗を見せています。今の彼女を見ていて、この映画を見ると色々と想像させてなかなか面白い。

[] Amazon.co.jp: 理由: DVD: ショーン・コネリー,アーネ・グリムシャー,ローレンス・フィッシュバーン,エド・ハリス
[引用サイト]  http://www.amazon.co.jp/c??c?±-a?・a?§a??a?3a?≫a?3a??a?aa??/dp/B000GDIAQ2
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 Last Updated 2007/ 03/ 27/ 13時11分32秒

皆さんは、色温度というのをご存じでしょうか?いま見ているパソコンの画面。背景が白くなっていると思います。この色は何でしょう?「白」と答える方が多いと思いますが、実際には違います。写真をやっている方などは詳しいと思いますが、この白く見える画面にもちゃんと色がついています。ですから、フィルムの種類を間違えて撮影すると、青かったり赤い写真ができるんです。でも、人間の目はすぐ慣れるので、そういうことはあまり気にしませんよね?
千と千尋をはじめ(たぶん)、ハイビジョンのスタジオでは、この色温度を6500Kという色で作業しています。これは日光と等と同じ色温度で非常に一般的な色です。ちなみに、色温度は高いとか低いとかいいます。食堂やレストランなど赤く見えるのは低くて5000K位、オフィスなどの青白い蛍光灯は6700K位です。ちなみに、一般的なテレビは9300Kと非常に青白い設定になっています。(手違いで、この後テレビ(NTSC)の色温度を9700Kと書いてありますが、9300Kが正しい数字です。)
さて、では、ハイビジョンで作成された映像を一般のテレビで表示させるとどうなるでしょう?答えは、下の図の通りです。(誇張して表現してあります。)例えば、オリジナルで灰色の物をテレビで映すと青みがかって見えてしまうのです。これでは問題なので、色温度を変換させる必要があります。
さて、変換してみました。これで、9700Kで普通に見えるようになった…のはいいのですが、今度は6500Kでは、赤っぽく見えるようになってしまいました。でも、これは色温度という制限があるので仕方のない事です。
実際には、こういう補正もやらないという話もききますが、とりあえずこの補正自体に問題はありません。
さて、問題はここからです。基本的には、色温度を変換する時に色補正をして、作ったテレビの色合いはほとんど変更しません。ところが、プロデューサー鈴木氏曰く「ひとことでいって青っぽかった。」ということで、変換後の画像を「通常はやらないことなんですが、NTSC上でも、さらに色調整を行なったんです、フィルムの色に近づけようと。」どういう要件か分かりませんが、「宮崎駿監督の制作意図に応えるために、DVDの現場スタッフががんばったんですよ。私たちにとって、あたり前のことですから。」というわけで、次のような処理を行いました。
テレビの画像は、R(レッド)G(グリーン)B(ブルー)の光の三原色というものを利用して作られています。これらの色を全て点灯させると白になり、消すと黒くなります。青く見える画像を赤くするためには、赤い光をより一層強くするか、青い光を弱くするかです。千と千尋では、9700Kで綺麗に表示されるように、赤の光を強くして、青い光を弱くしました。下の図は実際に千と千尋でやった比率で調整した物です。(下に映画から引用して例で挙げる画像の服の白の部分が真っ白だったと仮定した場合です。)
さて、テレビで見た場合、とんでもない色だったのが(本当に、ちょっと、どうしていいか分からないような色なんですが…・・・。)補正されて、ちょうどいい色になりました。ハイビジョン環境(スタジオ)で見ると赤すぎるけど、色温度の関係で仕方がない…。そう、おもったそこの貴方、良く見比べてみてください。
上の補正済みの画像を見て、他のDVDはこんなに赤くないぞ!と思った方、まったくその通りです(笑)他のDVDは具体的にどの様な処理をされているか、詳しく書きましたので、こちらをご覧下さい。
さて、ここまでの説明で、どうして千と千尋が赤く見えるか、ご理解頂けたと思います。では、ここでは、何故こんな突拍子もない事をする事になったのか説明していこうと思います。
色温度というのが、どのようなものか理解して頂けましたか?上の図では分かりにくいかと思い、もっとシンプルな図を用意してみました。次がその図です。一番最初の説明の通り、ハイビジョン環境のスタジオで作った画像を、そのままテレビで表示させると青白く表示されてしまうので、補正を行います。下の図は、補正済みの色です。
補正済みなのに、色温度が低い方は赤く、高い方は青く見える?…実際は、両方の画面とも、真ん中のように背景は白く見えるのです。でも、実際には上の図のように色がついているのです(誇張してあります。)いまいち分かりにくいですか?
人間の目は非常に良くできています。例えば手紙を見ているとします。その手紙を持ったまま、レストランやトイレ(色温度低い)に行ったり外に出てみたり(色温度普通)、オフィス(色温度高い)に持って行ってみてください。どれも同じように白く見えますよね?これは、目がかってに補正してくれるからなのです。(ここら辺の説明は、写真やっている人じゃないと、わからないかも…)
補正さえすれば、色温度の差は目が慣れます。…しかし!スタジオジブリの人やブエナビスタの人はそうではなかった!やっぱり青く見えてしまったのです(笑・上図右端)これは、そういう仕様なので理屈上どうしようもないのですが、そこで終わらないのがこの方々のすごいところです。なんと、変換した画像を、自然に見えるように補正したのです。先に書いたように、赤を強くして青を弱くします。すると、こうなります。
画面が暗すぎる?補正前の画像が青すぎるからです(笑)でも、実際にこのような補正が行われています。では、この補正を行った物をハイビジョン環境のスタジオ(色温度低い)で観賞するとどうなるでしょうか?…こうなります。
上の補正済みの画像を、ハイビジョン環境のスタジオなどで表示させた物と、オリジナルデーター
さて、まとめますと、テレビで見た時には映画で見た時より青っぽく見えるので、画像を赤くしたとそういうことです。えー、先にも書きましたとおり、人の目は色温度を自動的に補正する機能に長けているので、少しぐらい赤かったり青かったりしても気になる事はあまりありません。単独のソースしか無い場合は、「こういう色なんだ」と納得してしまう事の方がおおいと思います。
が、ジブリのスタッフはそれでは納得しませんでした。「色温度の高い画面で低い映像を再現する」この目的を達成するために、画像を赤くしてしまったのです。そうする事により、確かに色温度の高いテレビでは期待通りの色を表示する事ができるようになりました。が、オリジナルデーターは赤いんです。ハイビジョンテレビでも赤く見えるかも知れませんし、補正に使ったテレビの色温度が必要より高かったためか、一般のテレビで見ても、やっぱり赤っぽく見えるんです!
「普通の補正」で補正した画像は、慣れないと確かに青っぽく見えるかも知れません。が、普通に見る分は、普通に見えるのです!それなのに、多くのデーターを捨てて、一部の環境で綺麗に見えるような商品を作ったのです。
DVD化の具体的な手順は下の通りです。(HiVi8月号の記事を参考に推測で書きました。)
「千と千尋」のデータはコンピュータ上にしか存在しません。セル画の場合、セルの色を見ればどんな色なのか確かめる事が出来ますが、コンピュータの場合、表示するデバイス毎に色が変わってしまうため、確認する事は不可能です。これを解決するために、撮影監督・奥井敦氏が使っている「バルコ製マスターモニター」を基準の色として、奥井氏立ち合いの元補正が行われました。色温度は6500K、2010×1068ピクセル、24Pの48bitRGBデータです(たぶん)。これが「正しい千と千尋」です。
まず、上のマスターデータをハイビジョンの形式に変換します。まず、大きさをハイビジョンサイズの1920×1080ピクセルにトリミングし(サイズが微妙に異なるため、画面に出ないといけない部分がはみ出る恐れがあるので、どの部分を表示させるか調整します。)、走査線数1080本、24コマのプログレッシブハイビジョンマスターができました。ハイビジョンは6500Kということになっているので、恐らく6500Kだと思います。…撮影監督はこの時点で立ち合い、補正を行ったということです。(コンピュータ上の発色とハイビジョン上での発色が違うため、色の補正を行う必要があります。)
モニタの色温度を勘違いしていたので、実際にはこの段階でも色温度の変換が行われていた可能性もありますが、詳細は不明です。
ちなみに、DLP上映用データは1280x1024(RGB 8bit)だそうです。(同上)モニタの方をフィルムに合わせているので、こちらは特に変換することなく出力できていると思います。
次にハイビジョンマスターを480/60iにダウンコンバート(画像をDVD収録用に小さくして、プログレッシブ画像をインターレスに変換する)して、D1マスターテープ(スクイーズ収録)を作りました。色温度は9300K(誌面に明記されています)で走査線が480本、30コマインターレスのコンポーネントマスタができました。(現行では、480/24Pで保存する規格が無いためD1の480/60iになったということです。)プロデューサーの鈴木氏の発言によると、この段階で、「青っぽかった」という事になり、NTSCモニター上で確認しながら調整したということです。特典映像では、フィルムから映像をとり、普通やらない調整が行われていないので、一般的な色合いで楽しむ事が可能です(制作サイドから言えば、やや青みがかっているとも言えます。)。
(スクイーズ収録という事なので、実際には、画像が縦長に記録されているんですが、気にしないでください。)
DVDで保存するために、画像を縮小します。基本的にはこの段階では色補正をする必要はないと思うのですが…、
ハイビジョン→D1の時に色温度を変換したときに、「青っぽかった」ので赤をかぶせました。
9300Kで見た時には、最初の画像を忠実に再現して見えますが、データは赤くなっています。
そして、やっと、DVDに収録です。DVDでは、逆2-3プルダウン処理を行う事により、走査線480本、24コマのプログレッシブ、9300KのDVDの完成です。実際には、色温度は便宜上つけてあるだけであり、DVDの映像の色温度が何色である…という指定はありません。9300Kで表示させれば、制作者側の意図した表示ができるということです。尚、ビデオもDVDと同じマスターを利用しているため、環境によっては赤く表示されます。
ここで書きました事は、鈴木氏のHiVi誌での発言を根拠に、推測で書かれています。ここで書かれている内容に疑問をお持ちの方は、まずこちらを読んで頂ければと思います。氏の発言の概要を書きますと、「ハイビジョン(デジタル)で映画を作成し始めてから今まで、DVD化の際には、ハイビジョンマスターからテレビ(NTSC)に、色温度変換も含めて単純にダウンコンバート(変換)して、テレビ(NTSC)と同じ9300Kのモニターで確認してきた。が、千と千尋では、監督がこだわっていたこともあり、DVDの現場スタッフが、テレビ(NTSC)上で色補正を行った。(青かったので。)」ということです。
色の話が出てきた時に、赤だとか黄色だとかいう事が取りざたされますが、色温度は図に表すと、だいたい下のようになります。低い色の場合、黄色、橙、赤の順を追って色が変わっていくように見えます。実際は、人の目には「白」にしか映らないので、写真に撮ったりしないと分からないと思います。(ネガフィルムは、現像時に補正をかけてプリントするので、同じくわかりません。)
ちなみに、テレビ(NTSC)の色温度は9300Kです。間違って途中から9700Kになっていて、引用した画像も9700Kで撮影致しました。たぶん、それほど差はないので、読み替えて頂ければ幸いです。ハイビジョンのほうは6500Kで問題ないです。
↑6000〜6500K=太陽の表面温度を基準にして相対的に表した図、とのことです。(絶対的に見ると、中央付近にも色が付いていおり、例えば中央付近の6500Kだったら黄色い色が付いているということです。)上のような図しか見た事がなかったため、なんの疑いもなく掲載しました。ご指摘有難うございます。
上にデーターの損失量を挙げていますが、これは引用した画像の服の白い部分が真っ白だった場合を仮定した時の数値です。DVDは、プレーヤーによって出力される画像が違ったりするので、この数値が絶対である保証はどこにもありません。参考程度にご覧下さいますようお願い致します。(正確な情報は、リッピングする必要があります。一部リッピングしてデーターが赤かったと確認されたという情報もありますが、詳しい情報は得ておりません。)
●色かぶりを自動的に補正する機能(オートホワイトバランスやRGBゲイン補正機能)が付いている場合、機器が色かぶりしていると判断して、色合いが自動的に補正される事があります。これは、映像自体の色がおかしかったり、ケーブル等の損傷で正しいデータ転送が出来ていない場合に画質を確保するための機能です。この機能でかなり、正しい色合いで表示する事が可能です。
●特典映像では、フィルムから取り込まれ普通やらない補正は行われておらず、単純にダウンコンバートしたものが使用されているため、普通に市販されている一般的なDVDと同じように視聴する事が可能です。逆に、制作者の意図からすると、やや青っぽい画像を見ている可能性があります。
●外国版では、放送方式の違い等により、日本よりも低い色温度でテレビが放送されていたりするので、その国用に作られたDVDは、赤みが抑えられています。例えばアメリカではテレビが6500Kで放送されているため、データ自体、赤くなっていることは無いと考えられます。
●日本版も9300Kのモニターで表示させれば、制作者の意図通り表示されるはずです。たぶん。
千尋DVD(千と千尋の神隠しDVDに関して2ちゃんねるで出ている情報を集めてみました。)−主に、掲示板群「2ちゃんねる」に寄せられた投稿などを整理、収集しているサイトです。通称「赤問題研究室」。大量の情報が掲載されています。
赤い「千と千尋」リンク−「千と千尋」が赤い問題についてのリンク集です。マスコミ及び掲示版へのリンクが充実しています。
ブエナ・ビスタ・ホームエンターテイメント−「千と千尋の神隠し」DVD及びビデオの販売元、ウォルト・ディズニー・ジャパンの映像ソフト販売部門。同社はこの問題は不具合ではないとしている。
スタジオジブリ−「千と千尋の神隠し」を制作したスタジオ。色彩の決定はこちらで行われた。こちらも、不具合ではないとしている。両者間の意志の疎通がうまく出来なかったか、ジブリがこのことを承知で処理を強行させたかで責任の所在が異なる。

[] 千と千尋が赤い理由
[引用サイト]  http://www.synapse.ne.jp/komurano/taiki/sen/
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 Last Updated 2007/ 03/ 27/ 13時11分32秒

隣国同士で非常に友好的な関係を結んでいるという国は案外と少ない。善隣は実はむずかしいのである。「呉越同舟」という中国故事があるが、これは、善隣を装わなくてはならない悲哀をよく表している。「遠交近攻」とは、善隣のむずかしさから生まれた国家存亡の戦略である。
中国と韓国は嫌日感情が強い。日本に反発し、日本ゆえにあなどろうとする感情は日常的に存在している。逆に、日本でも、嫌中・嫌韓感情が生まれている。いくら「友好」を強調しても、すればするだけ「善隣」のむずかしさが大きくなる。実は中国は、日本ばかりでなく、他の近隣諸国からも嫌われている。ベトナム人もインド人、ロシア人、チベット人も嫌中感情が強く、中国国内の回族のようなイスラム教徒は歴史的にはげしい文化摩擦が生じていたので、ほかの国より漢族に対する嫌悪感が強い。隣国同士の反感は、国同士の利害に関わることばかりに原因があるわけではない。こと中国に関するかぎり、この国の人々に共通している性格に起因することが断然多い。およそ百年前、宣教師として中国の山東省で三十数年間伝道活動を続け、つぶさに中国社会を見てきたA・H・スミスは不朽の名著『支那人の性格』を著した。私は台湾に居住する中国文壇の最長老で、かつて『醜い中国人』を著して日本人の中国人イメージをー新した柏楊氏に、スミスの分析とくらべて現在の中国人は変わったかどうか、尋ねてみたことがある。
柏楊氏の答えはノーであった。西欧文明の東漸による近代化の荒波をうけても、中国人の国民性はほとんど不変であった。現在、世界の企業が中国で事業を展開し、海外経験のある中国人も多数いる。これほど対外的に開放されたにもかかわらず、中国人の保守的傾向はますます強まっているといってよい。中国が嫌われるのは、近隣相嫌うという隣国の原理というよりは、変わらぬ国民性から来ることが多い。本論ではその国民性を徹底的に探ってみたい。
「自己中心的であ」を略して「自(ジ)己(コ)中(チュー)」などと呼ぶが、こういう人間が好かれることはまずない。中国人はまさにジコチューが国民性といってよい。そしてそれが国家規模に拡大され、自国中心主義になる。「中国」という自称がその最たる証拠である。
客観的に見て、この丸い地球上に中心となる地点があるわけはない。天下(世界)の中心を意味する「中国」は、地理上の中心点ではなく、精神的な中心である。ごく簡単に言えば、自分が世界の中心、文化の中心であるという強い思いこみだ。この精神的な中心意識から生まれたのが、中国文明至上主義である。中国文化が最も優れており、周辺に伝えて文明の恩恵を与えているという同心円的な観念が中華思想の精神構造で、それは揺るぎない優越意識でかためられている。
中国人は古来、近隣国を蔑視してきた。この蔑視観は、文化の違う人々を人間と見なさないほどまでに強い。その優越意識はアパルトヘイト以上である。その証拠に華人以外はみな禽獣として、民族名称には獣へんや虫へんのついた漢字を用いて書いた。盛唐時代の代表的な知識人である韓愈は、著書「原人」で、夷狄のことを「半人半獣」とし、獣より進化したと評した。作家の魯迅は「中国人は人間を人間とも思わない」と、中国人の国民性を批判している。
このような中国人の人種差別意識に対抗しようとしたため、日本人は中国人からずいぷんと嫌われてきた。一八九八年の戊戌維新のとき、伊藤博文は維新派の康有為らに政治顧問として北京に招聘されたことがあった。明治維新の成果を清国維新派が評価して、維新の秘訣を徴されたのである。そのとき伊藤はこう忠告している。「まず、外国人を夷狄と呼ばないことだ」。
西欧諸国が清国に対して通商要求をするときに、どうしても耐えられなかったのはあの屈辱的な「三脆九叩」の礼をさせられることである。アヘン戦争終結後の一八四二年、外国人を夷狄あつかいする清国に対し、イギリスは南京条約第一七条でわざわざ英国を「英夷」と呼ばないように規定した。それでも中国が守らないので、一八五八年、アロー号事件後の天津条約の締結のさいに「夷狄」呼ばわりしないことを再度明文化させている。清末に中国人と接した外国人のほとんどがその傲慢さに苛立ち、イギリス通商特使として北京に派遣されたマカートニーは逆に中国人を「半野蛮人」と呼んだ。イギリス公使兼香港総督J・F・デビスは中国文明を「半文明Lとみなし、初代総税務司のN・レイに至っては「アジアの野蛮人」と呼んで軽蔑した。こうなると、中国人とイギリス人のジコチューくらべである。
ジコチューは自分の都合に従って行動する。したがってご都合主義が普遍化されるのである。他人の都合や思惑は二の次、三の次というより、最初から考慮されていない。政治の流れを見ても、一九五〇年代、「向蘇一辺倒」などといわれ、ソ連と蜜月の関係を結んでいたにもかかわらず、六〇年に入って突然「ソ連修正主義反対」、「ソ連社会帝国主義打倒」のスローガンを掲げて豹変した。そして六〇年代、日米安保、アメリカ帝国主義反対を唱え、旧日本社会党と共同声明まで出した中国は、七〇年代に入るやある日突然、日米安保賛成、反ソ親米に急変した。
このとき日本の旧社会党員は肩すかしを食らい、いわゆる進歩的文化人はどれほど困惑したことだろうか。日本にかぎらない。文化大革命を礼賛した世界の文化人たちは、文革収拾とともに、文化大革命そのものが「動乱の十年」となって評価が逆転して、中国人の敵として振り落とされていく。中国人のご都合主義についていくのはたいへんなことである。
戦後、日本の世論は「中国人とは、原則を重視する民族」という神話を信じていた。それは中国政府がいつも「平和五原則」「周恩来四原則」「日中三原則」と原則ばかりを唱えていたので、つい幻惑されたためであろう。実は、これは原則ではなかった。偏執、強情、拘泥を「原則重視」に読み間違えたのである。ジコチューの中国は、原則(建前)と本音を実にうまく使い分ける。日本人はまったくこの点を読むことができない。あまりに思いやりのある民族であるため、日本人は相手の意に添うことばかりを考え、ときには迎合することさえある。ジコチューの中国人と、相手の意に添うことの上手な日本人ならば、これほど理想的な友好カップルはないはずだ。だが、それはあくまで日本人がついていかれるならばの話である。人治国家の中国では、法はあっても自分の都合で利用したり、無視したりするのが通常である。したがって、朝令暮改、契約反故などが頻繁に起こり、たいていの日本人は中国人の独断にふりまわされ、最後にはノイローゼになってしまう人までいる。
仏教と儒教は中国から朝鮮を経由して日本に伝えられた。宗教が共通なのだから、精神文化も共有しているように思えるが、根本となる死生観がまったく異なっている。日本人は「死ねば神」「死者悉皆成仏」といって、死後にまで生前の利害や怨恨を問わない心を持っている。だが、中国人には強烈な勧善懲悪の倫理意識があり、自分の敵は死後もその墓を暴き、屍にむち打ち、魂まで食らおうとする。人は死しても安らかに眠ることができないのである。しかも信仰の自由はなく、国内で邪教とされた宗教は徹底弾圧し、日本の総理の靖国神社参拝にまで政治的に干渉してくる。
中国の内政干渉は靖国問題にとどまらない。歴史教科書、政府高官の発言、南京事件の評価、日本の生存権問題に属する日米安保、憲法改正論議、ダライ・ラマや李登輝前台湾総統の訪日、航空会社の空港使用、ホテルでの国旗掲揚など、ありとあらゆることに干渉し、外交問題にしようとする。
かつてテレピ朝日の二ュースステーションで、キャスターの久米宏がチベットに関して発言した内容に中国が圧力を加え、翌日の放送で中国に対して謝罪した事件があった。同じように、テレピ各社の中国特番で、中国政府と協力して制作されたものであるにもかかわらず、放送後、中国の一方的な抗議を受け、公開謝罪させられたケースが何度もある。中国の独善的な思惑の押しつけは、日本に対してだけではない。世界のいたるところにおよんでいるのである。
たとえば、旧西ドイツやデンマークなどでチベットの人権侵害問題をとりあげる議会に圧力をかけ、決議をしたら報復すると恫喝した。また江沢民主席はかつてスイスでデモ隊に遭遇したときに、迎えに出たスイスの首相に対し、自国の管理もできないのかなどと、いちじるしく礼を失する発言をしたことがある。アメリカに対しでも同様の干渉を加える。李登輝が総統の座にあったとき、卒業したコーネル大学の訪問のために訪米を申し入れたことがあった。アメリカの上下両院が李氏の訪米を受け入れる決定をしたにもかかわらず、中国はこの決議に関しても「誤った
一党独裁、全体主義国家の中国は違うが、アメリカ建国の理念は議会制民主主義である。議会は民意を代表し、いかなる決議も民意の反映であることには変わりない。議会の決定は大統領といえども無視することはできないことが、江沢民にはわかっていない。アメリカ議会に対する反省要求は、中華思想の露骨な表現であった。日本ならばすぐに反省し、謝罪してしまうだろうが、アメリカは相手にしなかつた。
「悪いのは全部他人で、成果は全部自分のおかげ」という責任転嫁と絶対無謬の独善意識が中華思想の真骨頂である。
私は台湾で生まれ育ったが、小中学校時代に、近代中国が貧困・落後したのは列強の侵略と清朝の腐敗、軍閥内戦に原因がある、と教えられた。中華人民共和国では、それがすっかり国民党政府の責任にされている。
また、文革が終焉すると、「動乱の十年」の責任は全部四人組のせいにされた。毛沢東の過ちに触れられることは決してなく、あれほどの社会的混乱の責任をすべて四人の政治指導者に押しつけたのは、裏返せば、中国人の破廉恥な無責任意識のなせるわざである。改革開放になると、急激な経済開放のために強盗殺人、賭博、麻薬密売、買売春、人身売買、詐欺、迷信など、「六害」「七害」と呼ばれる凶悪犯罪が横行するようになった。これはある意味で当然の結果である。こうした無秩序は中国本来の姿であり、百年変わらぬ国民性の復活にすぎない。ところが中国はそれを認めず、資本主義の精神汚染だと決めつけ、今度は「社会主義新文明を創造せよ」と呼びかけ、党大会のたびに決議などしている。資本主義のモデルについていくだけで手一杯だというのに、何主義だろうと新文明の創造などできようはずがない。
西欧文明が東アジアに大きな影響をおよぼしたのちの中国人の不幸、落後はすっかり西欧のせいにされてしまったのである。近代中国の没落はアヘン戦争以後、すべて列強の侵略の結果に帰され、中国自身にどんな問題があっても、それに目を向けることはない。こうした責任転嫁は、中国文明の優越性に対する固執の表れともいえる。自己の無謬性の過信によって独善的となり、ことに日本人のような自虐的な国民に対しては、反省や謝罪を要求することをやめようとしない。明末、異端の儒学者といわれた李卓吾は、その著書『蔵書』の中で、中国人についてこう指摘している。「いかに自己礼賛するかについては苦心惨憺するが、自己批判についてはまったく関心を持たない」と。最近、中国駐在の日本人商社関係者が中国人気質について調査をし、以下のような中国人像がまとめられたという。
「絶対自分の非を認めない。それは中国人が責任感の意味を知らないというよりも、失敗を他人のせいにする習性があるからだ。もともと、中国は熾烈な競争社会であり、責任をとる段になったら、なるべく自分の身にふりかからないようにしなければ生き残れないからだ」
中国人は国家を信用していないばかりか、社会も人間も信用していない。妻さえ住用しないのは、もともと他人だからとしても、血のつながった親子や兄弟でさえ信用できないのである。毛沢東の極左政策の時代に、「父母よりも毛主席が親しい」と言う言葉が流行り、当時は中国社会の砦とも言うべき家族まで階級の敵と目され、子が父を告発することさえ頻発した。劉少奇や林彪は、政敵ではなく我が子に密告され、一人は獄死し、一人は逃亡する途中で死亡したのである。
中国のことわざに「一人で廟に入るな、二人で井戸をのぞくな」というものがある。一人で廟に入ると、悪い坊主のカモにされ、殺されて金品を奪われてしまうかもしれない。二人で井戸をのぞくと、相棒に突き落とされる危険があるという意味である。この人間不信社会で生き残り、競争に勝つために兵法が発達した。孫子は「兵は脆道なり」と言った。つまり戦争は詐欺の道だというわけである。中国人気質の最大の特色も「詐」にある。中国人は「詐の民」だという人もいる。親は子に対して「人にだまされるな」と教育し、常日頃口うるさく教えている。
戦後、日本人は中国人の詐欺ぶりを目の当たりにして驚愕した。偽残留孤児、偽難民、偽装結婚、偽造パスポート、闇銀行、偽造卒業証書、偽造プリペイドカード……。自分の利益のためにはどんな物でも平気で偽造するし、どれをとってとも日本人の想像を絶するものばかりだ。
世界中で今大きな問題になっているのは、中国の偽ブランド品である。知的所有権の盗用は別としても、薬、タバコ、酒、食品など、人が健康を害したり、悪くすれば命を落としたりしてもおかまいなしに、どんどんコピーをつくってしまうク中国政府は「打仮運動」と称して偽ブランドの追放キャンペーンを行っているが、効果はまったくない。現在の中国は、公金横領、賄賂横行、汚職天下の国であり、偽物天国である。今日も中国のどこかで偽プランド品が製造され、世界にばらまかれている。
嘘でぬりかためられた人間不信の社会の中で、中国人は上から下までだましあっている。政府はマスコミを通じて民衆をだまし、民衆は面従腹背で良民を装いながら国家を食い物にする。中国人社会で詐欺師が暗躍し、偽物が氾濫するのは当然なのだ。
この数年来の日本における中国人犯罪の急増はいまや常識といえる。実際、外国人犯罪者の半数以上が中国人犯罪者で、新手のピッキング強盗となるとほとんどが中国人の手によるものである。石原慎太郎都知事も、この類例を見ない凶悪犯罪を新聞で指摘しているし、ある自衛隊関係者は、警察署に収容された中国人に提供する食事の一食分の経費が、自衛官のそれよりも高いことをぼやく有様だ。
日本ばかりではない。世界の多くの大都市が中国人密入国者の問題に悩まされている。シベリアヘの中国人密入国者は年間五十万人にのぼるという信じがたい数字も出ている。蛇頭の年間総収入は世界の麻薬密売の収入の数字をとうに超えている。
中国人が海外流出すると、流出した先で社会が大きく変化する。台湾の生活環境の変化は、その代表的な一例である。台湾は戦時中、疎開して家を離れても物が盗まれることがなかった。しかし、戦後、四十万の日本人が台湾から追放され、代わりに二百万の中国人が大陸から流入すると、台湾はたちまち泥棒の国と化した。泥棒の多さは高層ピルの上階でも窓に鉄格子がはまっていることが如実に物語っている。あの特異な建築群の景観は、泥棒のせいなのである。台湾では「中国人を見たら泥棒と思え」という教育を親がするようになった。
九四年、中国の浙江省杭州の千島湖で、台湾入観光客二十四人を乗せた遊覧船が湖上で強盗にあい、全員が船室で焼き殺された事件があった。台湾では有名な事件である。当時の中国政府はこの痛ましい事件が強盗殺人事件であったことをひた隠しにしていた。李登輝総統は激怒し、中国を「土匪国家」だと非難した。
中国が「土匪国家」であることは、歴史的にも知られている。清代の乾隆帝時代、英国の通商使マカートニーは、『奉使記』の中で沿道には乞食と盗賊ばかり目立つと記している。中華民国初期は、「賊のいない山はなく、匪のいない湖はない」と言われるほどで、賊の数は推定二千万人、軍隊より多かった。その当時、上海や満州の各都市では公共パスに武装兵士が最低二人同乗していた。そうでなければ安全が確保できないのである。現在でもいたるところで「車匪路覇」に注意を呼びかける看板がかけられ、改革開放後の中国を特色づけている。九〇年代、匪賊との銃撃戦で殉職した警官は毎年二千人あまりにものぼる。
なぜそれほど匪賊が多いのか。結論を言えばそれが伝統文化なのである。「天下は馬上で取る」「勝てば官軍、負ければ賊軍」という歴史の法則に基づき、王朝末期には生活手段を失った民が賊に変身し、やがて易姓革命の原動力となった。易姓革命は、盗賊を正当化する中国の歴史の原理といえる。チペットに対しても、台湾に対しても、この強奪行為を正当化し、周辺諸国との領土をめぐる紛争は絶えない。増え続ける密入国者によって中国人犯罪が世界に広がり、かつて白人に恐れられた黄禍が華禍となって、ますます嫌中感情が増幅されることだろう。
親善、好意を示す「友好」という言葉は、本来嫌われるはずがない。だが、中国人との「友好」だけは別である。新聞やテレビなどのマスコミは、米、英、仏、独と日本との大人のつきあいには普通「親善」という言葉を用い、「友好」というキャッチフレーズを使うことはあまり見られない。だが、中国に関するかぎり、なぜか「友好」という言葉が使われ、日中交流の専門用語のようになっている。
戦前、戦後を通して、日本と中国は「友好」と「非友好」に二分されていた。一時、中国との関係はもっぱら「友好人士」や「友好商社」という、中国からお墨付きをもらった一部の日本人に独占されていた。一九七二年に日中国交正常化がなると、日中間の交流は「友好人士」の独壇場でなくなり、やがて「子々孫々にいたるまで」という形容がつけられて「友好」が強調されるようになった。普段、人間不信の社会で生きているので、中国人は人間関係についてことさら「友好」を強調しないと不安に襲われる。
しかし、中国を相手にする側にとって、中国が強調する「友好」ほど不安なものはない。なぜなのか。その理由は「友好」の解釈権がもっぱら中国の側にあり、中国の規定する「友好」におとなしくついていかなければならないからだ。ことにしたたかさをあまり持ち合わせていない日本人は、腹芸が下手でタヌキとキツネの化かし合いができない。しかも日本人は外圧に弱く、中国流の「友好」パフォーマンスに対抗するのがきわめて下手である。
「友好」という言葉を額面どおり受け取っていると、思わぬ落とし穴にはまることになる。実は中国が「友好」を語るとき、ことに相思相愛を語るときが最も危険なのである。それは歴史を振り返ればわかる。たとえば、中ソ、中印、中越戦争が起こったときは、いずれも両国の「友好」関係が蜜月のピークに達した時期にあたり、まさに老子のいう「物極まるときは必ず反(かえ)る」という結果になった。
だいたい人間の歴史で、民族間、国家間に「子々孫々の友好」などあったためしがない。中国との「友好」は、すなわち彼らの独善的な価値観を全面的に受け入れることでしかない。日本人は中国がたたみかけてくる友好の嵐に翻弄され、身も心もくたくたになってしまう。そして考えれば考えるほど嫌悪感を越えて怒りがこみあげ、やがて「日中友好」の滑稽さに気づくことであろう。

[] 中国が嫌われる七つの理由
[引用サイト]  http://www.geocities.jp/taiwan_assoc/bs01x25.html
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 Last Updated 2007/ 03/ 27/ 13時11分32秒


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