結婚 できない 男での検索結果です
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「Creators File」はMebic扇町の周辺、扇町・天満・南森町界隈で活動されている「この街のクリエイター」をライターの視点でご紹介する連載コラムです。 『有限会社サウンドスタッフ』は“音楽出版社”というあまり聞き慣れない業種の会社である。音楽出版社とは音楽著作権の登録などの処理業務全般を行う会社のことで、レコード会社、音楽プロダクションとともに音楽業界を作り上げている。吉永安智さんは大阪営業所のディレクターを務めている。「本社は、和歌山で唯一の音楽出版社なんですよ。著作権業務以外にも、イベント運営などの企画段階から行っています」。 吉永さんがサウンドスタッフに入社したのは10年前。社長の桂さんとの出会いは、吉永さん曰く「今思えばとても失礼なものでした」。 高校を出てサラリーマンをしていた吉永さんは、ひょんなことがキッカケで音楽に興味を持ち、専門学校で学ぶことになった。しかし入学後すぐに自分の音楽を作る才能に限界を感じ「楽曲を作るのではなく、ビジネスとして音楽に取り組みたい」と考えるようになった。「そこで、自分で考えた企画書を音楽ビジネスを題材にした書籍の著者に見せるため、東京に乗り込みました」。 そんな吉永さんの行動力が幸いしてか、その著者の紹介で大手レコード会社の会議に出席できることになった。だが、当時は学生。会議では冷たくあしらわれ、企画のプレゼンも満足にできなかったという。 「当時、企画が通らないのは自分が学生であるせいだと思っていたので、とても悔しかった」と語る吉永さん。そんな中、友人に音楽出版社の知り合いがいることが判り、紹介してもらうことに。「企画書を通すために会社の名前を貸して下さい」と頼み込んだ相手が桂社長だった。「まだ学生だったとはいえ、かなり失礼なことをしたと思います。でも桂社長は企画に賛同してくれて、一緒に企業に売り込みまでしてくれたんです」。そのことがキッカケで、吉永さんはサウンドスタッフに入社。以来、企画部門のディレクターとして忙しい毎日を送っている。 専門学校生時代から、ずっと独学で企画書を書いてきた吉永さん。「文章を書く」ことについてあまり深く考えたことはなかったが、ライターの北村さんとの出会いで変わったという。「自分で書いた企画書を見てもらうと、ダメ出しされてしまいました。そこで彼に手直ししてもらうと、見違えるほどわかりやすい文章になったんです」。北村さんのお陰で「わかりやすい企画書はビジネスとしても効果的なことに気付きました」という吉永さん。「今までとれなかった仕事も、企画書の文章を直すせば通るようになるのでは?」と考えるほど、文章の持つ力に感銘を受けた。 そんな経験を元に「プロモーション専門の部署を持たない企業と、プロのライターとの橋渡しをしよう」と考えた吉永さんは、北村さんとともに2006年5月に合同会社『ライトスタッフ』を設立。ビジネス文書に関するコンサルティング等のほか、企業とプロのライターが直接やりするためのサポートも行っている。 そして会社設立の最も大きな目的が「関西ライター名鑑」の制作・発行。初版の2006年版には、関西圏のライター達が約30数名掲載されている。吉永さんと北村さんが苦労して調べあげ、奔走して掲載を承諾してもらったライター達だ。 吉永さんには近い将来実現したい夢があるそうだ。その夢とは、この街のクリエイターと共同で映像を制作し、フランスに持っていく事。「『midem』というカンヌで開催される音楽のビジネス展に出品したいんです」。 『midem』には毎年世界中から100カ国4000社が参加し、売れそうな曲の権利を買い求めにくる。サウンドスタッフは過去に3度、“和の音色”をベースにしたものを出品。吉永さんはプランナーとして参加してきた。去年出した『地球聖地 高野山』は仏具の音や読経の声をメインに作った音楽。高野山は、争いを行なった敵と味方が一緒に眠る世界的にも珍しい霊場であることから「世界平和」をテーマに制作した。それがフランスの大手レコード会社に評価され、クラブ音楽のオムニバスCDに収録されたという実績もある。 「現在、海外で勝負したいという夢を持ったこの街のクリエイターを探しています」という吉永さん。「曲やプロモーションビデオの企画から制作すべてを任せ、それを成功させたら、クリエイティブの街として世界で注目されるでしょう。そうして実績を作り、この街のクリエイター達に東京のアーティストからPV等の依頼が来るようにしたいと思っています」と夢は膨らむ。 「私達はお酒をほとんど飲まないので、飲食店はあまり知らないのですが……」と言いつつ紹介してくださった吉永さんのお薦めスポットは、天神橋筋3丁目商店街の和菓子屋「菊水」。天満の手土産を持っていく時はいつも「菊水」のどらやきを買っていくそう。職人さんが一つ一つ手作りしているどらやきは、ふわふわの生地に上質のつぶあんがたっぷり入って絶品。 穏やかな話し方とは裏腹に、まるで格闘家のような鋭い目。黙っていても強い意志をお持ちなのが伝わってくるようでした。夢のためには失敗を恐れずにぶつかっていく行動力は、見習うべきところだと思いました。
[] 持ち前の行動力で世界に挑む 有限会社 サウンドスタッフ 吉永 安智氏|Mebic扇町
[引用サイト] http://www.mebic.com/creators-file/sound-staff.html
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Last Updated 2007/ 03/ 05/ 14時07分31秒
パン屋からスポーツショップそしてゼッケン制作、さらに、マラソン競技での記録処理のコンピュータ化に挑戦、RFID応用のシステムを開発して、市民マラソン競技ビジネスへと業態転換を進める。また、ゼッケンにペットボトル再生材を使用し、持ち前のアイディアを付加しファブレスで商品化した。これに続きペットボトル再生商品の名刺、カラーレーザープリント用U−PET紙を開発、リサイクルマーク商品の認定を受け、消耗品ビジネスを展開している。 大木社長は、鯛焼き、今川焼きで有名な諏訪の老舗、大木商事の2代目、他にも喫茶店、パチンコ店など多角経営をしていた。事業継承後すぐに今までの事業を廃業してパンの製造販売にのりだした。事業は軌道に乗り年商が6千万円を超え、これがかえってこのまま続くのかと不安を募らせた。 スキー、スキューバダイビング、ゴルフなどスポーツに熱中していたこともあり、スポーツ店の経営を思い立った。しかし、地方のスポーツ店は学校を得意先に持たないと成り立たない。当時、学校は体操着の胸にゼッケンを付けおり、番号、名前などデータベース化が出来る。データベ−ス出力ができ、POP用の大きな文字が印刷できるコンピュータシステムを見つけ、早速480万円で購入した。 プリンタでホットメルト接着剤を張った布に印刷を試みたが当然うまく行かなかった。しかし、これを逆に接着剤側に印刷をしたところきれいに出来た。これをもとに「ホットメルトの転写」の販売を始めた。しかし、思ったほど売れない。他に何かないか と考えた末プラスチックの名札を思いつく。印刷したホットメルトをプラスチックにラミネータで接着したところ上手く行った。これを使うと時刻表など データベースを利用できる看板ならきれいに早くできる。国鉄が民営化される時期に売り込んだ。運良く新しいビジネスを模索していたJR東日本の人材開発事業部に認められて採用され、今でもJR東日本の関連事業として続いている。「熱転写プリンタ出力による看板製作」に関する特許を取得し台湾企業にも技術を供与して、消耗品供給をビジネスとしている。 市民マラソン大会が各地で行われ参加者が急増し、ゼッケン販売の格好の市場となっていた。新規参入に向けて高性能の着順判定システムの開発を思い立つ。当時はバーコードによる着順判定が行われていたが、リアルタイムに結果を出力することは不可能だった。当時では誰も考えもしなかった発信機(RFID)を利用したシステムを構築しようとしたが、高価でとても無理と一度は断念する。しかし、入退室システムの存在を知り、これを応用したマラソンシステムを大手企業に提案して共同開発に着手した。一年後、世界初のRFIDを利用した無線方式による市民マラソン着順判定システム「記録保持者」が完成した。 マラソン大会で記録処理の請負業務を始める。当然ゼッケンはついていく。翌年には国内で最も参加者の多い青梅報知マラソン大会に採用された。このとき「これで道は開ける」と思い「本当に涙がでるほど喜んだ」と大木社長は語る。これを契機にシステムが全国のマラソン大会で採用されていった。平成8年にはリアルタイムで記録入り完走証を発行するなど常にバージョンアップを心掛け,他社に先んじるサービスの追加を試み、また、ゼッケンのみの販売にも力を入れていった。 ある時、大手飲料水メーカーに関係している友人からペットボトルの再利用について「なにか出来ないか」と聞かれた。ペットボトルのリサイクルは用途が少なく30%位しか再利用されず、規制ができるかもしれないとの話。それではと、ペットボトルの再利用でゼッケンを作ることを考えた。 偶然、新聞記事で見つけた製紙会社の技術が応用出来そうだと感じて話を持ち込んだ。 レーザープリンタで印刷でき、且つオフセット印刷の できる再生合成紙の開発に着手する。当然、リスク はこちらが持つことを条件にした。試行錯誤の結果 ペットボトル再生材利用のエコナンバーカード(エコゼッケン)が完成、PETボトルリサイクル推進協議会から推奨品としてマークの使用を認められた。その後、思った通り環境問題が大きく叫ばれ、グリーン調達法が施行される中、各地の自治体が行う市民マラソン大会でエコナンバーカードが採用され始めた。また、平成14年11月には、エコナンバーカードが日本陸上競技連盟からはじめての推奨品として認定され、全国の陸上競技大会に採用される日も近いという。 また、ペットボトル再利用品を使った商品群も次々生まれている。「エコペット名刺」「エコペットネームプレート」など、何れもペットボトルリサイクル推進協議会の推奨マークを取得しホームページ上でもPRされている。また、「エコペット名刺」は(財)日本環境協会からもエコマーク商品として認定されている。 グリーン調達法が浸透するに従って、リサイクル製品は自治体や企業で優先的に採用され始め、ビジネスチャンスを増している。 いままでのPET再生紙はカラーレーザプリンタではきれいに印刷できず、商品としては不合格。もしこれが上手く行けば選挙ポスターなどPET再生紙の市場は大きく開ける。2年ほど前からこの課題に挑戦、試行錯誤を繰り返しているところへ友達がある溶液を持ち込んできた。大木社長は大学で化学を専攻しており、この溶液の化学式を見て閃いた。テストをするとレーザープリンタできれいに印刷ができた。早速この溶液を製造している大手化学会社に共同での特許申請を申し込んだ。これをもとに平成14年、関東経済産業局に創造技術研究開発事業の補助金を申請し、採択され製造設備の開発に着手した。PET再生紙をU-PET紙と命名し近日発売の運びとなっている。 U-PET紙は水を吸わないため耐水性に優れ、破れにくい、また、価格も少量印刷ではかなり低くできる。屋外のポスター類、特に少量の印刷枚数しか必要としない地方選の選挙ポスターには最適だと言う。 PETボトルのリサイクル、リユース、リデュースは廃棄ボトルの排出量に比べて圧倒的に少ない。しかし、今後はグリーン調達法の浸透で、行政をはじめ各企業の採用が増えると思われる。こうした付加価値の高い再生商品の開発と積極的な活用事例の提案で、需要開拓を進めて行きたいと考えていると言う。 大木社長はアイデアマン、アイデアが閃くと即実験、そして、特許戦略を展開する。できるだけ生産や開発は経営の身軽さを維持するために外部委託を中心としている。大手企業への委託が多い。大手企業もこちらがリスクを負えば真剣に取り組んでくれると言う。 「エコナンバーカード」用PETリサイクル紙も全量引取りを条件として委託開発されたもので、今でも当社が全量を引き取っている。 事業は大きいことが良いことではない、変革の時代、集中は返ってリスクと考える。ニッチ市場で1千万円程度の事業を次々に展開し「数多くの小さな事業の集積が経営の安定と新しい事業の芽につながってゆく」を事業展開の基本としている。 また、商品分野は消耗品やメンテナンスなど、繰り返し継続して売上が期待できる分野に焦点を絞っている。たとえば、マラソン大会は一度受注すれば、ほぼ毎年運営受託とナンバーカードなどの販売ができる効率の良いビジネスだ。PET再生紙、名刺、名札プレート、システムの消耗品などいずれも、消耗品分野のビジネスに絞った事業が展開されている。 着順判定システムによるマラソン大会請負業務、PETボトル再生ゼッケン・名刺・カード、サイン業界向シートの販売、ソフトウェア開発等
[] PETボトルリサイクルビジネスを持ち前の起業家意欲で実現
[引用サイト] http://www.icon.pref.nagano.jp/f2_chousa/recycle/html/recycle2_1.html
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音楽に関するあらゆるモノを、日々ちぎっては投げちぎっては投げますよ。読み捨て推奨、まるめてポイ。 本日を持ちまして、サマーソニック東京 2日通し券の追加販売分が、SOLD OUTとなりました。(公式サイト) というワケで、ええ、先週金曜をもちましてサマソの2日通し券が売り切れとなったんですけれども…日曜に買いに行きましたよ僕ぁ。たった2日、タッチの差ってヤツですよ。あと一歩のトコロで売り切れやがりました。ひでえヤツラだぜクリエイティブマンめ。まだ2ヶ月もあるってえのに、気が早えったらありゃしねえ。なってない、なってないよお前さんラ!…とはいえ、とっとと買わなかった僕が悪いと言うのも当然の話で、仕方ないのでスキをつくことにしました。 ええ、今日6月12日が何の日かと申しますと、去年来年は別として、少なくとも今年に限ればあの日なワケです。そう、今日は横浜ベイスターズが記念すべき今季初の4連勝を決めた日なのです、わっしょいしょーい!いやあ、先発の秦がぎこちないピッチングを続けていたトキはどうなるコトかと思いましたが、やはり代打鶴岡のホームランが効きましたねー!あの一打で試合が決まりましたよ。那須野が投げるトキ以外はベンチを暖めている鶴岡ですが、貴重な右の代打としても存在感を示してくれました。今日の勝利は明日に繋がるんじゃないですかねー。 って、違いますか、そうですか。じゃあ改めまして…今日は何の日か。W杯日本代表の初陣でございますよ。クロアチア、ブラジルと続く戦いの中で、オーストラリアとのこの一戦は絶対に落とせません。日本中が注目する…、そう、マサに日本中が釘付けになっているこの瞬間、このスキを逃さない天才ストライカーがココに。僕のコトですよー。そう、誰もが中田に、高原に夢中になっているそのスキに、見事ヤフオクでサマソのチケをゲットしてやりました。一人競ってきたヤツがいたのですが、ソコは持ち前のキープ力で譲らず、そのままゴール!日本代表の課題とされる決定力を見せ付けてやりました。 で、ホントは日本戦が終わる前に書ききってしまおうと思ったんですが…、負けちゃったね日本。しかも結構ダメージの残りそうな…アレはキツい。ジーコには今からでも遅くないぞ、と。タカハーラ、ヤナギサーワ、アマーキって言っても大丈夫だぞと言いたい。コッチはもうサマソ参戦を確定させているワケですし、体もあったまってまっせー!…なんて、そういう雰囲気で書けなくなるから、早く書いちゃおうと思ったのになあ…。
[] まるめてポイ。 - 持ち前のキープ力で/SUMMERSONIC'06
[引用サイト] http://marupo.blog3.fc2.com/blog-entry-297.html
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Last Updated 2007/ 03/ 05/ 14時07分31秒
昭和63年、金沢市三ツ屋町に本店を構えて以来、類まれな感性と看板商品「角(つの)パン」でファン客を増やし、今年6月、2店舗目となる野々市店を野々市町役場前にオープンさせたのが、フレッシュベイク ジョアンを営む藤沢謙聖社長である。独学でパンづくりの技術を身につけた藤沢氏に成功の秘訣を伺った。 羽咋市にあるパン屋でアルバイトとして職人の手伝いをしていた若き日の藤沢氏にとって人生を左右する出来事が起こる。2年あまり経ったある日、その職人が突然辞めてしまったため、自らがその後をやらざるを得ない状況に直面する。藤沢氏27歳の時である。「食べることは好きだったし、料理も作っていたが、パンはそんなに好きじゃなかった」と苦笑する。職人の下で2年余り仕事をしたとはいえ、補助的な手伝いをしていただけでパンづくりの知識はゼロに等しかった。それでも専門書を読みあさり、独学でパンづくりを身につけていったという。唯一、その職人から残り生地で作る角パンの作り方を教えてもらっていた。「このパンがなかったら多分パン屋を自分でやっていなかったと思う」と語るほど藤沢氏にとって角パンはインパクトがあった。 角パンの生地は他のパンと何ら変わらない。ただ、通常のパンは成形した後しばらく発酵させ、それから焼くのに対して、角パンは生地の段階で予備発酵させておき、成形するとすぐ窯に入れて焼くという違いがある。それによって独特の硬さ、モチモチ感、歯ごたえが生み出されるのだ。「難しいのは、牛の角をかたどったこの成形ですよ。これがなかなか簡単にはできないですよ」と企業秘密を匂わせる。売上に占める角パンの比率は12%と最も存在感を示す看板商品である。それだけに、品切れになっても10分程で焼きたてを随時提供できる体制を整えている人気ぶりだ。 角パンを看板商品に、独立して商売を始める決意を固めた藤沢氏は、羽咋市内は地価は安いものの、機械設備や建物にかかるコストはどこでやっても同じ、それなら田舎よりも人口の多い金沢市に出て商売をした方がやり甲斐があると考えるようになった。早速、金沢で有名なパン屋をくまなく回って食べ比べてみた。「実際に買ったパンを食べてみて、これなら自分が金沢で勝負しても最低限度は食べていけるだろうと意を強くした」と当時を振り返る。金沢に出店することは決めたものの、良い場所は高くなかなか店を出す具体的な場所が決まらないままでいた時、問屋の展示会が流通会館であり、その時に金沢市三ツ屋町にテナント募集の看板が出ているビルがあることを耳にする。早速見に行き、多少の不満要素はあったものの即決。18坪のテナントで5坪を店舗スペースに、残りは厨房として夫婦二人三脚の商いがスタートする。意気揚々と開店したものの、分かりにくい場所だったこともあって、当初はなかなか客が来なくて苦労したようだ。店のマークになっている自慢の角パンも「この変なの何?と言われる有様で、これは食べてもらうしかないと思い、お客さんに1本ずつサービスしたんですよ」と当時を振り返る。そんな努力の積み重ねで徐々に角パンのファンが増えていき、1年あまり経つと商売も軌道に乗りはじめ、角パン目当てのお客様が来店するようになった。 当時のパン屋では、クリームパンに使うカスタードクリームは既製品を使っているところが多かった。そこで、他店との差別化を図る手段として、まず自家製のクリームを炊くことから始めた。やむを得ず既製品を使う場合でもそのままではなく、ひと手間かけることで、味に自己主張を持たせることを常に心掛けた。そうした目に見えない部分の日々の努力によって、時間をかけて顧客の舌にアピールし、ジョアンのファンが増えていったことは言うまでもない。近年、喧伝される自然志向、無農薬栽培の野菜を使うことも何度か試みるも、安定して確保できないことや、実際問題として全て無農薬の小麦粉、砂糖、塩、油脂、牛乳を提供できるかとなると非常に難しく、価格が高い割には美味しいパンができないという現実に直面したことから、可能な限り添加物の少ない安心・安全な食材を選び、全て手づくりにこだわっている。 野々市店のトレードマークでもある石窯は、はるばるスペインから職人を呼び、この場所で煉瓦を積んで造り上げた、ここにしかない石窯である。「石窯は手作りだけに、出来上がってみないとどんなパンが焼き上がるか分からないというリスクもありましたが、幸いにして非常に良い石窯に仕上がりました。コスト的には機械窯の2〜3倍も高くついたものの、価格以上の付加価値があるだけに、どうしても石窯にしたかった」というこだわり。野々市店は敷地が700坪あることから、当初喫茶店やレストランという思いが頭を過ぎらないわけではなかったようだが、「考えれば考えるほど、基本はパン屋、私はパンしかできないのだからこれからもパン屋でいこうと決めた」という。敷地が広く駐車スペースがゆったりと取られた店舗は、自慢の石窯がアクセントになり、一見ペンションかと見まごうばかりである。店の外には洒落たテラスが設けられ、そこで無料のコーヒーを飲みながら焼きたてパンを食べられるのも一つの魅力になっているようで、カップルや親子、友人同士が心地よい秋の日差しを浴びながら談笑している姿が見受けられる。 藤沢氏がこれまでに育てた職人は10人あまり。既に小松、金沢、七尾、新潟で同店から独立して頑張っている愛弟子がいる。「独立するまでは手取り足取り教え込んでいましたが、独立したその日からは良きライバルですよ。少なくとも彼らにはまだまだ負けられない」と自信を覗かせる。 「経営は常に前向きに、商いである以上はしっかり利益を出していくこと。利益率が悪いと新しい機械も買えないことになってしまいます。常に現状に満足することなく、日々新製品を創り出すための感性を研ぎ澄まし、お客様の声を商品開発にも反映していけるような仕組みづくりも考えていきたい。さらにはホームページを充実することで、常に新しい情報を顧客に発信していくことにも努めていきたい」と藤沢氏の夢はまだまだ留まるところを知らない。次なるステップに向けて「今は投資の時期」と捉え、職人の育成を最重要課題に掲げる。 ■インタビューを終えて・・・ 角パンとの出会いでパン職人の道へ入り、持ち前の感性と経営センスで階段を一歩一歩着実に登り、ジョアンファンを増やしてきた藤沢氏。ご子息も加わり、これからのジョアンのパンづくりが益々楽しみである。
[] <商い益々繁盛店>(有)ジョアン オリジナル角パンと持ち前の感性でファンを掴む
[引用サイト] http://www.omisebatake-isico.com/hanjyo/joan.html
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Last Updated 2007/ 03/ 05/ 14時07分31秒
有馬智則は、営業職になって今年で4年め。メインの仕事は、S&Iの出資企業の1社である日本IBMのサーバー「xSeries」などを金融ユーザーに売り込むことである。以前はプログラマだったが「外に出て顧客と接したい」とS&Iに転職した。 営業職としての初仕事は、大手製造ユーザーで約50台のサーバーをリプレースする案件。「今考えれば、提案内容は難しいものではなかった」。だが当時の有馬にとっては、毎日が闘いだった。顧客は「この構成だといくら?」「ここを変えたら?」と、次々に見積もりを要求する。早く回答を出そうとあせるが、「どこをどう探せばよいのかも分からなかった」。会社からもらった日本IBMのカタログ「xSeries SystemGuideBook」は、じきボロボロに。「睡眠2〜3時間の日が続いた」。 今は、日本IBMと他のIBMパートナーとの3社協業体制で、金融ユーザー向けの提案活動を進めている。求められるのは、前面に出てバリバリやる営業スタイルではなく、顧客とパートナーとのバランスを常に意識しつつ、判断を下し実行していく“アライアンス型営業”である。有馬は「常に自社のポジションを考えて行動し、その行動をきちんと説明できるように準備しておく」という。 そんな有馬の大きな武器は電子メール。顧客への提案や、パートナーや社内メンバーとの打ち合わせの内容などをすぐ文書化して関係者全員にメールする。電話で話したことも、重要な内容であれば、同じようにメールする。S&I社内でも「会議の後、席に戻ってしばらくすると議事録が送られてくる」と評判だ。顧客やパートナー企業でも有馬のメールを「アテにしている」という声は少なくない。 当の本人は「思い出すことに労力をかけたくないだけ」とあっさりしたもの。だが、毎日これだけのドキュメンテーションをこなすタフさは、転職直後の闘いの日々で鍛えられたものに違いない。 1975年3月生まれ。政治経済学部経営学科を卒業後、独立系のソフト開発会社でプログラマに。100人規模の巨大プロジェクトで電話交換機向けソフトの開発に携わる。2002年7月、エス・アンド・アイ(S&I、東京都中央区、松本充司社長、出資会社はネットマークス、日本IBM、住友電気工業)に転職して営業職になり、製造業と中堅・中小企業を担当。その後、担当業種は流通業を経て金融業に。周囲の評では「とにかく誠実でまっすぐ」というキャラクターで、後輩からも慕われている。週末はトレーニングジムで身体を動かし、日々のストレスを発散。また年に1度は海外のビーチでリフレッシュも。 いよいよ離陸するRFID商談1枚5円のチップも今夏から量産へ本命“サプライチェーン市場”にSIerの期待高まる 2007年、RFID(無線ICタグ)市場は完全な離陸期を迎えた。市場拡大への本命であるサプライチェーン・マネジメントの領域で、実用化に向けた本格的な取り組みが動き出したからだ。ユーザー企業が待ちかねたUHF帯RFIDのソリューションが出そろい、業種別の実証実験ではメーカーや卸、小売りにまたがるサプライチェーン全体の効果を検証するステップに来ている。さらにRFIDチップを1枚5円で提供する、いわゆる「響プロジェクト」も最終段階。今夏からチップの量産が始まる。 今までのRFID商談は、図書館の蔵書管理や備品管理などニッチな領域が中心だったが、これからは違う。長い助走期間に傍観を決め込んでいたソリューションプロバイダも、市場開拓に向けて取り組まないわけにはいかない。 |ITproについて|ITproへのお問い合わせ・ご意見|情報提供・プレスリリース|日経BP書店|広告について||日経BPケータイメニュー|著作権・リンクについて|個人情報保護・プライバシーポリシーについて|Copyright (C) 1995-2007 Nikkei Business Publications, Inc. All rights reserved.このページに掲載されている記事・写真・図表などの無断転載を禁じます。著作権は日経BP社,またはその情報提供者に帰属します。掲載している情報は,記事執筆時点のものです。
[] エス・アンド・アイ 有馬 智則氏持ち前のタフさで“アライアンス”商談支える:ITpro
[引用サイト] http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20060329/233761/
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