結婚 できない 男での検索結果です
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スクラムはラグビーにおいて最も危険な段階であり、それというのも、潰れたり不適切なかみ合い方をすると、前列のプレーヤーが怪我をしたり、首の骨を折る危険すらあるからだ。?Wikipedia 私が子供の頃には、コレステロールは体に悪いものだった。これは覚えやすかった。脂肪は悪い。コレステロールは悪い。塩分は悪い。みんな悪い。しかし近頃では、コレステロールが「いい」コレステロールと「悪い」コレステロールに分かれている。私たちがこの2つをどうにかして見分けられるとでもいうように。そしてその切り替わりは奇妙なものだった。FDAが突然プレスリリースを発表して、殺鼠剤には2種類、いい殺鼠剤と悪い殺鼠剤があり、いい方はたくさん摂って悪い方は摂ってはならず、そして決して2つを混ぜたりしてはいけないのだと言ったかのようだった。 一年くらい前まで、私はいわゆる「アジャイル」プログラミングに対して、ごく一次元的な見方をしていた。すなわち、それはマーケティングのペテン師によるばかげた一時的ダイエットであり、「銀の弾丸はない」を読んだことのないうぶなプログラマや、延長保証や自己啓発本を買ってボスは自分のことを人として心から気にかけてくれると信じているようなプログラマや、友達を作ろうとカンファレンスに参加し、空港でチラシを配っている狂信者とアイコンタクトを避ける方法を知らず、インデックスカードに書き散らすことでソフトウェア開発が突如として易しくなると信じているようなプログラマに、また新たなテクノロジーウィルスを植え付けているのだと思っていた。 ああ、間抜け。それが私が探している言葉だ。私の悪いコレステロール観は、アジャイル方法論は間抜けのためのものというものだった。 しかし私は最近、実践されているアジャイル主義の様々な変種を観察する機会があり、今では自分は90%くらいしか正しくなかったと思うようになった。いい種類のアジャイルもあるということが分ったのだ。 スクラムやそのほかのものをめぐるあらゆるハイプとへつらいと熱にうかされた呻きにまぎれ、はっきりと見極められるようになるのにずいぶんと時間がかかった。しかし今ではすごくはっきりとわかるようになった。 冗談だよ。見つかるのは悪い種類のアジャイルのセミナーばかりだ。もし私がいつかアジャイルコンサルタントとして講演してまわって、私のアジャイル開発に対する深い知恵と洞察を聞こうという聴衆からお金を取っているのを見かけたら、私のタマを切り落としていい。あれは冗談だったと私が言ったなら、私がそう言うだろうと言ったと言えばいい。それに対して私が自分はタイラー・ダーデンで、私のタマを切り落とすなと命ずると言ったなら、私がそう言うだろうと私が確かに言ったと言って、即座に切り落としてかまわない。 いいアジャイルと悪いアジャイルを切り離して話すのはちょっと難しい。だから一緒に話すことにしよう。いい方には幸せなネズミ、悪い方には惨めな死んだようなネズミで印をつけておくので、いつでもどちらの話をしているのかわかるはずだ。 面白いことに、これは非技術系の会社(たとえば、クライスラーとか)がソフトウェア開発を処理していた方法でもある。違うのは、彼らはエンジニアを雇わなかったということだ。かわりにソフトウェアコンサルタントと契約し、そのコンサルタントに2年間のプロジェクトの仕様書を渡し、すべてを期限までに終わらせ、かつ、顧客が投げ込んできたクズと、契約後にした変更をすべてやることを要求した。それからプロジェクトは破綻し、請け負った人たちは支払ってもらえず、みんな本当に腹を立てることになった。 そのためコンサルタントたちはこんな風に考え始めた。「なあ、企業が子供みたいに振舞い続けるというのなら、連中を子供として扱おうじゃないか」。そしてそれを実行した。企業が「機能AからZまでがほしい」と言うと、コンサルタントたちは例の大きなインデックスカードを取り出し、最初の1枚にAと書き、2枚目にはBと書き、と言う具合に、機能を見積もり付きで書き込んでいく。そうしてそれを壁に貼り出す。そうすると顧客が何か追加したいと言ったときに、コンサルタントは壁を指差して、「OK、じゃあどのカードと交換しようかな、僕?」と言うことができる。 それでコンサルタントたちは、今度は主要な顧客を失うことになってしまい、バーでくだを巻いていたら、あるとき、彼らの1人(L・ロン・ハバードという名前の男)がこう言った 自分の宗教をはじめなきゃ」。そんなふうにしてエクストリームプログラミングとサイエントロジーは始まった。 人々はほどなくXPがごみの山であることを示すことになった。たとえばペアプログラミングだ。これはXPの中でも特にひどく失敗したもののひとつだ。アジャイル主義者もこれについてはあまり話したがらない。それを誰もやってないという事実から目をそむけないことだ。ペアプログラミングの論拠はこういうことだった。「端末の前に座る1人のプログラマが良いなら、10人はもっといいはずだ。多い方がいいに決まっている! 彼らを少し大目に見てやらなきゃいけない。彼らは幼稚園児同様の企業をずっと相手にしていたのであり、それは本当にわずらわしいことなのだ。 しかしそいつは、ウィルスというやつは殺すのが本当に難しく、ミームのたぐいは特にそうだ。みんながこのアジャイルというのに夢中になり(みんな間違いなく、より生産的になりたい と思っている)、失敗を認めることで面子を失う人がたくさん出た。それで別な種類のアジャイル「メソドロジー」が現れ、他のが全部駄目でも自分の方法はうまくいくのだとみんな主張していた。 そういう人たちのサイトを覗いてみるといい。インフォマーシャルじゃないのがあれば教えて欲しいものだ。ほら、試してごらん。見るのさえ気恥ずかしいよ。 そう、確かに彼らは大もうけしているが、それはちょうどサイエントロジーと同じことで、P・T・バーナムの法則のためなのだ。彼らを批判することはできない。ある人たちは、お金も尊厳も投げ出してどうしても入りたいと思う。 そういう人たちを別にすれば、アジャイル方法論がばかみたいだというのはみんな知っており、それは次の良く知られたマーケティングの法則を適用すればわかることだからだ。 - 「エバンジェリスト」を必要とし、セミナーを提供しているものはすべて、もっぱら金儲けのために存在している。 ここで「間抜け」と言っているのは、「間抜けな人たちをターゲットとする極めて優れたマーケティング」という意味だ。 いずれにせよコンサルタントたちはつやつやしたパンフレットを作って巡業し続けた。最初私は、彼らが企業を追いかけているのだと思っていた。「何でもいい」から「2週間」で作ればいい、というような融通の効く契約の兆候を探し、クライアントが破産するまでそれを繰り返すのだと。しかしそんな契約にサインするほどばかなクライアントは、そうたくさんは見つからないだろうとも思っていた。 そしてその時こそ、コンサルタントがその巡業先を開発者たち変える時だ。企業の中に入って行って開発者に売り込んだらどうだろう? 前に述べた鞭打ちサイクルで開発している企業はたくさんあり、ミドルマネージャやテクニカルリードの中には、その地獄のような境遇から抜け出せる安上がりな方法があるという話を素直に聞いてくれる人 そしてこれが、まさに彼らが「害のない馬鹿」から「潜在的な危険性」に変わった瞬間だ。以前は彼らは頭が悪くて自分のソフトウェアを開発できない企業から金を騙し取っていただけだが、今では廊下で私とすれ違うマネージャが影響を受けるかもしれないからだ。そして多くの場所では、この厄介な状況を隔離できるあまりいいメカニズムが 存在しない。本来は頭のいいマネージャが「病気にかかり」、XPの本とインデックスカードを振り回し、この新発見になる余計な官僚主義で自分のチームがいかに生産的になったかとまくし立てるのだ。 そう、これは扱いにくい問題なのだ。扱いにくい問題に違いなく、そうでなければ今頃はすっかり暴露されていたはずだ。しかしよく知られている様々な理由により、ソフトウェア開発の生産性の測定というのはきわめて難しい。ソフトウェア開発に対して有効な科学実験みたいなことをするのは、さらに難しい。同じプロジェクトを同じチームで2回行うことはできない。2回目のときには多くのことが変わってしまうからだ。2つのチームに同じプロジェクトをさせることもできない。あらゆる変数をコントロールするのはあまりに難しく、またそのような試みはどのような場合であれ高く付きすぎるからだ。同じチームが2つの異なるプロジェクトを続けて行う場合というのも、やはり実験にはならない。 できることと言えば、たくさんのプロジェクトをやっているたくさんのチームについて統計的なデータを集め、類似性の同定を試み、ある種の回帰分析を行って、何らかの意味のある相関関係が見出されることを期待するくらいのものだ。しかしデータはどこから持ってくるのか? 企業は、仮にそのようなデータを持っていたとしても、内部データを提供しようとはしない。およそありそうにないことだ。彼らはスケジュールの失敗を隠し、どこまでも楽観的に進み続ける。 実験することができず、証明することもできないなら、あまり科学的とは言えない。それが扱いにくい問題だという理由だ。一時的なダイエットにすごく人気があるのも同じ理由だ。人々は一時的なダイエットに効果があることを期待する。そのはずで、私だって効果があって欲しいと思う。そしてあの統計的に意味のない 「ジョーはこの方法で35ポンド痩せました」という事例を取り上げることができ、どうしても痩せたいと思っている人たちは、「なに、別に害があるわけじゃなし、ちょっとやってみよう」と思うのだ。 これはまさに開発チームがアジャイル方法論を試してみようという話をするときにみんなの言っていることだ。別に偶然ではないのだ。 しかし悪いアジャイルについてばかり書いているのは効果的ではないだろう。サイエントロジーがいかに説得力がないかとか、一時的なダイエットがいかに効果がないかと書いたところで、それで誰かの気持ちを変えられるかはわからない。バイラルミームをやめるのは、タバコをやめるのより難しいのだ。私はどちらもやり遂げたが。適切なインパクトを与えるためには代替案を示す必要がある。しかし私ははっきりと示せるようなものを、以前には持っていなかった。 悪いアジャイルの(たくさんある)問題の1つは、彼らが非アジャイル開発をすべて見下して、ウォーターフォールとカウボーイの2種類に分類していることだ。ウォーターフォールが悪いことはよく知られている。このことは今日では自明の理と認めてもらえることを期待したい。しかし、いわゆるカウボーイプログラミングについてはどうだろう? アジャイルの人たちはこれを「チームのメンバがそれぞれ自分で一番良いと思うやり方でやること」と定義している。 他に開発プロセスはこれしかないというのは本当なのだろうか? そしてカウボーイプログラミングは実際悪いものなのだろうか? アジャイルの人たちは明らかに悪いかのように言っているが、それがなぜ、どのように悪いのかははっきりとは説明しておらず、ただそれは「カオス」なのだと決めつけている。 前に言ったように、この一年私は悪いアジャイルといいアジャイルの両方について、実践されているところを観察し、チームやテクニカルリードから(いい方法と悪い方法のどちらも使い)いろいろ聞く機会に恵まれた。どんな風にやっているのか、どんな風に感じているのか、プロセスはどう機能しているのか。私は本当に興味を持っていたのだが、それはある部分では、去年のクリスマスにそれを試してみることに同意し(「別に害はないって!」)、インデックスカードに書くメタデータが正確に何であるべきかチームメートと議論になり、うんざりしてやめてしまったという経験をしたためだ。これはまた、デスマーチと見えるプロジェクトで憔悴しているチームに友達がいたためでもある。そのようなことはGoogleではあまり起こらないように見える。 Googleのソフトウェア開発プロセスについて少し話そうと思う。これはもちろん全体像というわけではないが、今日のところはこれで十分だと思う。私はGoogleに来てほぼ1年半になり、少し時間がかかったが、今では分かるようになった気がする。だいたいのところは。私はまだ学んでいる最中だ。しかしこれまでにわかったところをお教えしよう。 高いレベルでは、Googleのプロセスは、もっと伝統的なソフトウェア開発会社の人から見ると、たぶんカオスのように見えるだろう。新しく入ってきた人には、次のようなことが目に付く。 - 一種のマネージャはいるが、彼らのほとんどは少なくとも時間の半分はコードを書くのに使っており、テクニカルリードに近い。 開発者は、自分のチームやプロジェクトを、いつでも好きなときに、何も聞かれることなく変えることができる。ただそうすると言えば、運送屋がやってきて翌日には新しいオフィスで新しいチームと働くことになる。 - Googleには開発者に何をやれと言わない哲学があり、開発者たちはそのことをとても重く受け止めている。 開発者は20%の時間(これは週末や個人の時間にということではなく、月-金、8-5時の間でということだ)を、自分のメインのプロジェクト以外でやりたいことに使うよう強く促されている。 - ミーティングがあまりない。平均的な開発者はたぶん週に3回くらいのミーティングに参加し、これには自分のチームのリーダーとの1対1のものも含まれる。 - 静かである。エンジニアは1人で、あるいは2-5人の小さなグループで、静かに自分の仕事に集中している。 - ガントチャートや、日/タスク/担当者が書かれたスプレッドシートや、そのほか何であれ、目に見えるプロジェクト管理を示すものは見たことがない。 比較的まれなクランチ期間においてさえ、みんなランチとディナーは食べにいき、それは(良く知られている通り)いつも無料で美味だ。そして自分でそうしたいというのでない限り、ばかげたくらい長時間働くようなことはない。 これはもちろん一般化している。長くいる人は若干違った見方をしているだろう。私のAmazonに対する見方が、それがまったく狂った場所であった1998年にそこにいたということによって若干バイアスがかかっているのと同じことだ。しかしGooglerたちの多くは、私の一般化がごく正確なものだと認めてくれると思う。 私は何度もそう聞かれた。私自身聞いてみた。エンジニアがみんなトラブルプロジェクトやバグだらけのシステムの運用の悪夢から逃げ出すのを止めるのは何か? 何でも好きなことをやれるというときに、会社のゴールに向かってエンジニアを働き続けさせるものは何なのか? 最後の疑問に簡単に答え、それから他の疑問に答えることにしよう。簡単に言うと、私たちにはNoogler*1 Fifteenと呼ばれるものがあり、これはFrosh*2 Fifteenをもじったものだ。多くの大学一年生は、ストレスとピザの国に降り立つと15ポンド太る。Googleは戸口に油を塗ることでこの問題を解決している。 最初に、そしておそらく最も重要なのは、Googleがインセンティブで行動を促しているということだ。重要なプロジェクトで働くエンジニアは、平均では、重要性の低いプロジェクトで働くエンジニアよりも多くの報酬をもらう。誰のためにも実用となりそうにない突飛で研究的な類のプロジェクトで働くことを選ぶこともできるが、その場合仕事は 自分で報酬を生み出す必要がある。あなたが正しくて他のみんなが間違っていたことが分ったなら(これはスタートアップの夢だ)、あなたの小さなプロジェクトはすごく大きなインパクトを持つようになり、あなたはそのことで報われることになるだろう。間違いなく。 報酬とインセンティブは、ここで話すにはあまりにたくさんあるが、金銭的なインセンティブということで言うと、商品券やマッサージクーポンから巨大なボーナスと無償増資まであって、「巨大」を正確には定義しないが、Googleのスケールを考えれて、想像を少たくましくしてみれば、それほど大きくはずすことにはならないだろう。 他の種類のインセンティブもある。1つはGoogleがピアレビュー指向の文化であり、ここでは同僚の尊敬が大きな意味を持っているということがある。他のどこよりもそうだと思う。これはある部分では単にそういう文化だからとしか説明できない。早い時期に生まれ、根付いたのだ。それにまた同僚たちがまったくもって頭のいい連中なので、彼らの尊敬を勝ち得るというのはすごく大きなことなのだ。そして勤務評定もほとんどピアレビューに基づいてなされるため、間接的な金銭上のインパクトがあるのも事実だ。 もうひとつのインセンティブとして、四半期ごとに欠かすことなく行われている全員参加のイベントがあり、そこではローンチされたプロジェクトの1つひとつが全員に紹介され、そのローンチを行った(常に小さい)チームのメンバの顔と名前が映し出されて、みんなから喝采を受けることになっている。私は考えただけでもぞくぞくする。Googleはローンチを重要なものと考えており、何かクールなものをローンチしたと認められることは、この会社で最も強いインセンティブなのではないかと思う。少なくとも私はそう感じている。 さらに他のインセンティブもある。このリストはどこまでも続いていく。臨時手当は過度であり、報酬は過度であり、そこにあるすべてがおかしなくらい過度で、部外者にはリクルーターの言うことが真っ赤な嘘にしか聞こえず、それは一個の会社がすべての社員に対してそんなに気前よくできる方法があるとは思えないからだ。すべての社員というのは、 マイクロキッチンの掃除をする契約社員まで含めてということで、彼らはすごくかっこいい「Googleマイクロキッチンスタッフ」シャツとフリースをもらえる。 そんな場所はこの地上に他にない。Googleで働くことがどれほど驚くべきことか話し出したら、何時間、何日話し続けても止まらないだろう。そして彼らも止まることがない。毎週のように、新しい手当や、特典や、改善や、それにGoogleでの生活をよりよくできる方法が何かないかと全員に聞くアンケートがある。 私は実のところ間違っていたかもしれない。四半期の終わりに大きなスクリーンに自分の名前と写真が表示されるのは最大のインセンティブでないかもしれない。Googleで適切な行動を駆り立てるのは、他の何よりも、他のすべてを組み合わせたよりも大きいのは、感謝の念だ。Googleのために最善を尽くそうとせずにはいられない。それほどまでに気遣ってくれる相手に対し、借りがあるように感じるのだ。 インセンティブについてはいいだろう。どんなものか分ったと思う。いくらかは。つまり、その概観はつかめただろうということだ。Googleで働いていない友人にGoogleで働くのはどんなかと聞かれたなら??これは私が働いたことのある会社に限らず、Google以外の会社にいるすべての友人たちにも同じように当てはまるのだが??私はこんな風に感じる。刑務所からちょうど出所したところで、刑務所の中で友達になった、10代のはじめから服役している人たちが手紙をくれて、彼らは「外の生活」はどんなかと聞いている。あなたなら、そういうときに何と答える 私ならこんな風に言うだろう。そんなに悪くないよ。まあ文句は言えない。全体としてすごくまともだと思う。 インセンティブに基づく文化というのが、Googleを動かす上で大きな要因となっているのは確かだが、それはどうやってエンジニアに「適切」なことをさせるかということに関わっているだけだ。いかにしてそれを効率的に、効果的に行うかというのは別な話だ。だから彼らのプロジェクトへのアプローチの仕方について少し話すことにしよう。 プロジェクト管理の基本的なアイデアは、プロジェクトを完結に向けて推し進めるということだ。これは顕在的なプロセスであり指導ということだ。リーダーシップの力と、組織力と、全くの意志の力によって、自然には起らない何かを起こすということだ。 プロジェクト管理には、軽量のものから重量のものまで、様々な趣のものがあるが、共通しているのは、組織に対して働く外部的な力だということだ。 Googleでプロジェクトが立ち上がるのは、それがシステムにとってもっとも低いエネルギー状態だからだ。 先に進む前に、これが甚だ大胆な主張で、完全に正しいわけではないことを認めておこう。私たちのところにもプロジェクトマネージャや、プロダクトマネージャや、人事マネージャや、テクニカルリードそのほかの人たちはいる。しかし彼らがシステムに与えなければならないエネルギー量は、私たちの業界で通常必要とされるものよりはるかに少ない。継続的に全力で押し続けるというよりは、ときたま突っついて合図するというのに近い。時にはチームにもっと大きな突っつきが必要になり、そういうときは、他の組織と同様、上級のマネジメントがやってきて突っついてやることになる。しかし押されたりすることはない。 ついでながら、Googleは礼儀正しい会社で、怒鳴ることはなく、泣き叫んで歯ぎしりすることもなく、エスカレートして指さし合うこともなく、上級マネジメントがよく怒鳴っているような会社に見られるものは何もない。ホッブスが組織はリーダーを反映すると言っている。私たちは皆そのことを知っている。Googleのトップにいる人たちは礼儀正しく、だから他のみんなもそうなるのだ。 ともかく、プロジェクトを立ち上げることはGoogleの内部的なエコシステムにおいては自然な状態なのであり、それはプロジェクトが1つの方向を示して多くのエネルギーがそこに注ぎ込まれるようにするからだ。開発者に必要なのは、プロジェクトに集中できるように面倒を見てやることだけであり、前に言ったように、Googleが気に入ることに集中することへのインセンティブはたくさんあるからだ。 このことにより、標準的なプロジェクト管理におけるアイデアや方法の多くは必要でなくなる。怠け者の扱いとか、はったりの見積りの実行を迫るとか、共有デザイン上の問題にコンセンサスを求めるとかいったことは必要なくなるのだ。「戦争チームミーティング」は必要なくなり、状況報告も必要なくなる。それが必要ないのは、彼らがすでに適切なことをし、共同して働くことに対するインセンティブを持っているためだ。 Googleのやっているプロジェクト管理のテクニックは、燃料よりはオイルに近い。プロジェクトを前に推し進めるための強制力ではなく、プロジェクトがスムーズに動き続けられるようにするものということだ。ミーティングルームはたくさんあり、おしゃべりができるオープンスペースもたくさんある。チームは金魚鉢スタイルの自由席で集まって作業しており、ペアプログラミングはまさに必要なとき(5%くらいの時間)に行われ、必要がなければ行われない。 Googleでは、静かな会社であっても1日の真ん中あたりの時間帯には邪魔が入りがちなものであると一般に認識されていて、多くのエンジニアは稼働時間をずらし、とても早く来るか、あるいは遅くまでいることで、プログラミングに本当に集中できる時間を確保できるようにしている。だからミーティングは1日の中間の時間帯にしか行われない。午前10時前に始まるミーティングや、午後4時半以降に始まるミーティングというのは滅多にない。この時間帯の外にミーティングをスケジュールすると、そのミーティングの対象となっているものをエンジニアが実際に作る時間に食い込んでしまうので、そうしないのだ。 Googleがプロジェクトをこのような仕方で運営している唯一の場所というわけではない。Googleのアプローチを考えるとき、私の頭に浮かぶ他の組織が2種類ある。スタートアップと大学院だ。Googleはスタートアップと大学院のメンタリティを融合したものと思っていい。一方には、さあ急ごう、何かを世に出そう、できるだけシンプルに動くものを作り、後で成長させよう、というスタートアップスタイルがある。もう一方には、我々は誰も解いたことのない難しい問題に取り組んでおり、それは短距離走よりもマラソンに近く、激したミーティングではなく深い集中が必要になるという、比較的リラックスして抑えた雰囲気がある。そしてこれら2つに共通しているのは、スタートアップも大学院も豊かなイノベーションの下地を持っており、参加者が結果に対して大きな個人的責任を負っているということだ。 そういったことは今までにもなされてきたことだが、Googleの本当に驚くべきところは、それをスケールさせているということだ。 このスケールしているということは偶然ではない。Googleはこの問題に実に熱心に取り組んでおり、ここまでスケールしてこられたということが、この先もスケールし続けられることを保証しないのをわかっている。だから彼らは用心深い。これは褒め言葉だ。彼らは自分たちの成長とともに、社内の生活のあり方や、全体の生産性のレベルが保たれているか(あるいはいっそう向上しているか)、常に目を配っている。 Googleは、ソフトウェアエンジニアの視点から見たとき、際立って統制のとれた会社だ。彼らはユニットテストや設計ドキュメントやコードレビューといったことを、私が聞いたことのあるどの会社よりも真剣にやっている。彼らは自分たちの環境が常に整理されているよう熱心に働いており、どこかのエンジニアやチームが自分勝手な方法でやらないようにする厳格なルールやガイドラインが実施されている。結果として、コードベース全体が同じように書かれ、チームを変えたりコードを共有したりすることが、他の会社でよりもずっと簡単なことになっている。 エンジニアはもちろん優れたツールを必要とするので、Googleは自分で使うツールを作るために優れた人々を雇っている。彼らはエンジニアたちに、その方面への興味があればツール作りに協力するように(インセンティブを使って)奨めている。結果として、Googleは世界でもトップクラスの優れたツールを手にしており、それは改善されつづけている。 このリストはどこまでもつづく。Googleのソフトウェアエンジニアリングへのアプローチの背後にある驚くほどの厳しさについてなら何日でも話せる。しかし一番言いたいのは、彼らが(技術的にも組織的にも)スケールしているのは偶然でないということだ。そしてひとたびGoogleのやり方に慣れたなら、すべて苦もなく進めていけるようになる??再び、平均として、他の多くの会社におけるソフトウェア開発と比べればということだ。 話はほとんど済んだ。最後に話しておきたいと思うのは日程についてだ。伝統的なソフトウェア開発は、ほとんど例外なく、日程指向プログラミングと呼べるだろう。 スタートアップには投資家と予算によって定められる時計がある。大きな顧客企業はコンサルタントに目標とする日を設定する。セールスの人たちとプロダクトマネージャはマーケットの状況の評価に基づいて定めた目標日を設定する。エンジニアは以前にやった似た作業から導いた見積によって日程を設定する。見積りはすべてバラ色の眼鏡を通して行われ、前にやったときどれくらい苦労したかをみんな忘れている。 みんな日程を何もないところから持ってくる。「これは3週間くらいであるべきだという気がする」「第4四半期の始めまでに顧客に届けられれば都合がいい」「がんばって明日までにやろう」 私たちの業界ではほとんどの人が日程ドリブンで動いている。常に次のマイルストーンがあり、常に締め切りがあり、常に日程ベースのゴールがある。 日程を決めるのは当たり前のことだとほとんどの人は思っている。私のお気に入りのソフトウェアプロジェクトマネジメントの本である「人月の神話」でさえ、スケジュールの見積りが必要であることを前提としている。 作っているソフトウェアについて前もってアナウンスする習慣があるなら、一般の人々はそれがいつ頃になるのかを知りたいと思い、それは日付ということになる。私の考えでは、これがGoogleが前もってアナウンスをしないことが多い理由なのだ。いい料理を手早く作ることはできず、赤ちゃんを手早く産むことはできず、そしてソフトウェア開発を手早くやることはできないということを彼らは知っているのだ。 ある部分では、それは創造への欲求であり、何かを作りたいという欲求だ。すぐれたエンジニアがみんな持っているものだ。(私たちの業界には、この仕事を「生活のため」にやっており、家に帰ったら次の日まで考えもしないという人たちが多い。オープンソースソフトウェアは、それよりましな人たちがいるからこそ存在している。) しかし注意しよう。創造への欲求がすべてではない。それは必ずしも十分な方向付けがなく、必ずしも十分なインセンティブとならない。Googleも間違いなく時間によって駆動されているが、それは彼らが「可能な限り早く」ものごとを成し遂げたいと思っているという意味でだ。彼らにはたくさんの恐ろしい、頭の切れる競合がおり、成長を求める投資家たちの渇きをいやす必要もある。そして私たちの1人ひとりにも、人生の時間の中で達成したいと思っている長期的なプランや成果がある。 違うのは、Googleは物事にどれくらいかかるか分っていると主張するほどばかでも傲慢でもないということだ。会社全体にかかわる日程として私が気付くものとしては、四半期の終わりがあるだけだ。あの大きな画面に出て、喝采と贈物とボーナスとチーム旅行そのほか、Googleにとって大きなインパクトのある何かをローンチすることに伴ういいものを手に入れようと、みんなが先を争う。 間にあるのは、ただ日々の連続だ。その間みんな、それぞれにとっての最適な生産性で働いている。私たちは仕事と生活のバランスを自分で選択することができる。Googleは理にかなった選択は受け入れられ、報いられるような場所なのだ。最適な生産性はまた 、トレーニングの賜でもある。Googleはトレーニングを山ほど提供しており、毎週内外の講演者によるテクニカルトークが何ダースも行われている。それらはすべて恒久的にアーカイブされており、いつでも好きなときに見られるようになっている。Googleでは仕事を成し遂げたり、仕事の仕方を学ぶために必要なリソースは何にでもアクセスできる。それから最適な生産性は作業するマシンやコンテキストにも依存する。コードベース、ツール、ドキュメンテーション、コンピューティングプラットフォーム、チームメートのクオリティ、それに1日に過ごす時間のクオリティさえ、生産性に影響する。そのために食事の提供や多くの時間を邪魔されずにいられることが必要になる。 あとあなたに必要なのは作業キューだけということになる。それで全部だ。何か気の利いた計算式が欲しい? 私は以前待ち行列理論でモデル化されたソフトウェア開発というのを勉強したことがある。そんなに的はずれでもなかったが。私たちの業界の人の多くは、組織モデルがソフトウェアモデルに似ていることに気付いている。 作業キュー(もちろん優先度つきだ)さえあれば、アジャイル方法論の魔法の利点だとされていることの多くは即座に達成できる。そして間違わないで欲しいのは、それはインデックスカードの山ではなく、ソフトウェアに入れた方がいいということだ。納得できないというなら、あなたのインデックスカードを取ってしまうから。 優先度つきキューは、プロジェクトが進むにつれて人々から出てくるあらゆるアイデア(それにバグ)を投げ込むゴミ捨て場のような場所だ。このキューが空(これは定義により、プロジェクトが完了されたことを意味する)にならない限り、どのエンジニアもアイドル状態になることはない。タスクを保留したり再開したりするには、単に適当なメモやドキュメントをつけてキューに戻すだけだ。どれだけの作業が残っているのかいつでも分かり、望むなら残っているタスクに基づいて時間を見積ることもできる。クローズされた作業アイテムを調べてバグの回帰率から(望むなら)個々人の生産性まで、様々なことを推定できる。何のタスクがよく見送られるかわかり、これは組織における苦痛の原因を見つける役に立つ。作業キューは完全に透明なものであり、作業がだぶって行われるリスクはほとんどない。 残念ながら、作業キューはセミナーやカンファレンスで人を呼べるいいマーケティングツールにはならない。あんまり見栄えがしない。それは作業の山のようにしか見えないのだが、それは実際その通りだからだ。 私は高いレベルでの概要について説明した。ある会社のソフトウェア開発へのアプローチは、アジャイル方法論でもウォーターフォールサイクルでもなく、カウボーイプログラミングでもない。それは小文字のaではじまるアジャイル(agile: 素早い)だ。Googleは早く動き、早く反応する。 私が言ってなかったのは、良いソフトウェア開発プロセスの上に大文字のアジャイル方法論を被せたらどうなるかということだ。あなたはこう考えるかもしれない。「まあ、別に害はないだろう!」 手短に言うと、それは害になる。もっとも苦痛な部分は、自分のチームにアジャイルを選ぶテクニカルリードやマネージャが、状況の現実に盲目になるということだ。悪いアジャイルはいくつかの仕方でチームに害を与える。 第一に、悪いアジャイルは最悪な仕方で日程に集中するものだ。短いサイクル、短期の成果物、頻繁な見積りと再見積り。サイクルの間隔はひと月(これはまだ許容範囲だ)から、最悪の場合1日にまでになりうる。そういうのは理想主義的な世界の見方だ。 現実世界においては、プロジェクト関係者の1人ひとりが人間であるということがわかる。私たちには調子のいい日も悪い日もある。ときにはエネルギーが満ちあふれ、18時間ぶっ通しでコードを書けると感じる。ある日には、エネルギーはあるが、コーディングに集中する気にならないということもある。ある日にはすっかり疲れ切っている。みんな生物時計とバイオリズムを持っており、それについて自分ではほとんどコントロールすることができない。そしてその時計は、チームの時計が日とか1週間の半分といった単位で動いている場合には、チームの時計とずれがちなものなのだ。 個人的な時計については言うまでもない。仕事以外の生活でも様々な出来事が起り、仕事時間中に注意を向ける必要が出ることもある。 これらはどれも悪いアジャイルでは問題とされない。大きな納品のあと、気持ちが高揚していても、狂ったようにコーディングしようとはしないだろう。次の大きな全力疾走に備えてエネルギーを貯めておく必要があるので、少し安静にしていようと思うのだ。このインピーダンスミスマッチにより、優れたエンジニアが並の働きしかできなくなる。 課外活動時計というのもある。それは自分のメインプロジェクトとは別に成し遂げたいと思うことで、たとえばソースのクリーンアップやその他のことだ。これは最終的にはチーム全体の生産性を向上させる。悪いアジャイルはこれの扱いがはなはだまずく、大きなマイルストーンの後にみんながサイドプロジェクトの作業ができるように時間を取 るのをやめてしまう。彼らがクリエイティブに感じるか感じないかにお構いなしに。悪いアジャイルの連中はいつもゴールを見続けており、それはイノベーションを損なうことになる。確かに、彼らも各自が自分のコードベースをクリーンアップするための時間は取っておくかもしれないが、みんな会社の他の人を助けようと思うほど利他的ではない。 悪いアジャイルは、何かの理由で早起きの人に歓迎されるようだ。「夜明け前に起きる」「静的型付けは好きだが、型推論は嫌い」「偏執的なほどに系統立っている」「チームミーティングが好き」といった性格傾向と、「悪いアジャイルが好き」だということの間には、何か神秘的な関連があるように思える。それが何なのかはっきり分らないが、そういうのを多く目にする気がする。 エンジニアのほとんどは早起きではない。週に少なくとも一度(通常数回)朝8時のミーティングに出なければならないチームというのを知っている。そのあと彼らは昼までメールを開いたままゾンビのように座っている。それから家に戻って居眠りをする。夜になって働きに出てくるのだが、充血した目をしており、いつも疲れ切っているように見える。彼らに話しかけると、通常十分に陽気なのだが、しかしいつも言葉を最後まで言い終わらない。 彼らに(個々に)、アジャイルアプローチが好きかと聞いてみると、彼らはこんな風に答える。「うまく行くように思えるけど、ある種のしきたりが破られているような気がする・・・」。「よくわからない。何かを試みようとしているんだとは思うけど、何の意味があるのかよく分らない」。すべて新しいものであり、はっきり意見を言うことを恐れており、問題を起こしているのがアジャイルなのか、あるいは会社のあり方なのかさえ、誰も確信を持っていない。 これは(小文字の)「アジャイル」ではない。ばかげているものの山にすぎない。そしてこれは、いつであれ、どこであれ、誰かマネージャが間抜けになろうと決めたときに手にするものなのだ。 こういうのをよく耳にするだろう。私はアジャイルに関する本をたくさん読んでおり(自分が扱っているものが何なのかはっきり分るのに十分なだけ読んだ。それはウィルスだ)、そして他の人々のアジャイルに対する批判もたくさん読んだ。アジャイルが批判をかわすときには、上に挙げた2つのようなスタンダードな戦術を使う。何であれいいものは手柄にし、何であれ悪いものは認めないのだ。 あるプロセスに良いものである可能性があったとしても、90+%の場合に頭のいい善意を持った人たちが失敗するなら、それは悪いプロセスなのだ。本当はチームのミスではないのに、チームのミスなのだと言っているだけだ。 私は「アジャイル」という用語に懸念を感じるようになった。今や過剰に使われ過ぎている。いい開発者はこの言葉とその含むところをすっかり避けるようにした方がいいと思う。「アジャイルプログラミング」の2つの形態について話したが、(まったくちゃんとした)第三のものがあり、それはテクノロジーを使って生産性の向上(つまり「アジャイル性」)を達成しようとするものだ。「Ruby Railsによるアジャイル開発」とか、「アジャイルAJAX」とか、あるいは「アジャイルC++」というのまである。これらは私の持っている本の中でもごくしっかりしたものなのだが、「アジャイル」という言葉の乱用に拍車をかけている。 だから私がもしあなただったら、履歴書からアジャイルという言葉は取るだろう。スクラムやXPの本は静かに閉じ、どこかにしまい込む。タスクはバグデータベースか、そのほかの作業キューソフトに入れて、インデックスカードはゴミ箱に捨てる。自分の組織からアジャイルを消すべく可能な限り速やかに動く。 しかしこれは単に私の意見だ。それにもう朝の4時になる。好きなように結論を引き出すといい。どちらにせよ、私は明日早起きはできそうにない。 そうだ、私は注意書きを書き忘れるところだった。私はGoogleを代表して話しているわけではない。これらの意見は私個人のもので、彼らが私のブログを見たら、あなた方同様に驚くことになると思う。それが「誕生日のサプライズ」のような驚きであって、「野生のサイがびっくりさせられた」というようなのではないことを願っている。ではまた!
[] いいアジャイルと悪いアジャイル
[引用サイト] http://www.aoky.net/articles/steve_yegge/good_agile_bad_agile.htm
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Last Updated 2007/ 03/ 05/ 14時07分31秒
画期的な映像+音楽のコラボ作品集。全員購入でお願いしたい。There She Goes Again / 戸田誠司 捨て曲なしの珠玉のポップソング集。久々に衝撃を受けたすごいバンド。買って損なし。ファンファーレ / 口口口 すかんちの一番良かった時期の日比谷野音ライブとPVを収録。何より安い!Live OPERA and/すかんちぃず CLIPS / SCANCH 長年廃盤だった宍戸留美の復刻ベストが。『地球の危機』も『恋はマケテラレネーション』も収録。『ママ、悩んでるよ』は超名曲。アイドル・ミラクルバイブルシリーズ 宍戸留美 / 宍戸留美 前シリーズのDirectors LabelはこうしたPVのDVDとしては異例の8万枚という売上を記録したそうな。マストバイ。DIRECTORS LABEL 4+1枚組スペシャル・パック (初回限定生産) いろいろなiPodがあるが今買うなら価格と性能のバランスでこの30Gモデルがオススメ。Apple iPod 30GB ホワイト 音楽配信 (48)お知らせ (42)音楽業界全般 (24)CCCD (23)著作権 (20)小ネタ (11)携帯型プレーヤー (10)ネットラジオ (7)デジタル音楽勉強会 (7)ファイル交換ソフト (6)Amazonネタ (5)サイト紹介 (4)コンテンツ戦略 (3)ビジネス動向 (3)DRM技術 (2)インターネット全般 (2)中日ドラゴンズ (2)輸入権問題 (1)少額決済 (1)レビュー (1)音声圧縮技術 (1)ソフト紹介 (1) ※このエントリを初めて読まれる方は以下のエントリも併読していただくことを強く推奨します。http://xtc.bz/index.php?ID=397http://xtc.bz/index.php?ID=398http://xtc.bz/index.php?ID=399http://xtc.bz/index.php?ID=400http://xtc.bz/index.php?ID=401http://xtc.bz/index.php?ID=445年の瀬も差し迫った今日の早朝、驚くべき内容のメールが自分のメールボックスに入っていた。差出人は烏賀陽弘道氏。「Jポップとは何か」(名著!)「Jポップの心象風景」でおなじみのジャーナリストだ。まずは下記に内容を転載するので読んでもらいたい。※12月19日早朝、烏賀陽さんのサイトに、ご本人自らのコメントがアップされました。訴状が送られてきた日時の修正と、チェーンメールを呼びかける文面の削除が行われたので、下記転載部分も混乱を避けるため修正します。■「オリコン」が烏賀陽個人を被告に5000万円の損害賠償訴訟■意見が違うというだけで、企業が個人に5000万円を求めるなんて!これは武富士と同じ手口の言論封殺の恫喝訴訟じゃないのか。オリコンは雑誌だってたくさん出しているのだから、烏賀陽の言うことが間違っているのなら「烏賀陽のいうことはウソです。なぜなら××」と反論すればいいのだ。それこそがまっとうな「言論」というものじゃないのか。意見の異なる者を高額訴訟で社会的に抹殺するなんてのは、民事司法の体裁をとった言論妨害じゃないのか。緊急事態が起きました。どうか、みなさんのお知恵、お力を貸してください。06年12月13日、月刊誌「サイゾー」編集部に東京地裁から損害賠償訴訟の訴状が送られてきました。原告は、音楽ヒットチャートでは知らない人のない巨大独占企業「オリコン」。その企業が、烏賀陽弘道という一個人に対して、5000万円という巨額の損害賠償金を支払うよう求める民事訴訟を同地裁に起こしたのです。訴訟の対象になったのは、「サイゾー」06年4月号51ページの「ジャニーズは超VIP待遇!?事務所とオリコンの蜜月関係」という1ページの記事に掲載された烏賀陽のわずか20行ほどのコメントです。これは、サイゾー編集部からの電話取材に対して、烏賀陽が話した内容を同編集部がまとめて文字化したものです(よって、内容は烏賀陽の原義とはかなり隔たっていますが、そのへんはひとまず置きます)。よって、烏賀陽が能動的に寄稿したものでも、執筆したものでもありません。その中で、烏賀陽はオリコンのヒットチャートのあり方についていくつかの疑問を提示しています。ここにコメントしたことは、烏賀陽の取材経験でも、音楽業界内の複数のソースから何度も出た話で、特に目新しい話や驚くような話はひとつもありません。----------------------------------------------------------------------------この訴訟には、いくつか露骨なまでの特徴があります。(1)記事を掲載した「サイゾー」および発行元「インフォバーン」を訴訟対象にしていないこと。つまり烏賀陽個人だけを狙い撃ちしている。烏賀陽は前述の弁護士費用、訴訟準備などをすべて一人で負担しなければならないことになります。これではフリー記者としての活動を停止し、訴訟対策に専念しなくてはなりません。みなさん、ワタクシは生活費は一体どうやって稼げばよいのでしょう(笑)。(2)この5000万円という金額は、応訴するために弁護士を雇うだけでも着手金が219万円かかるというおそるべき額です(そんな貯金あるわけないですがな=笑)。裁判で負ければ、烏賀陽はジャーナリストとしての信用を失い、職業的生命を抹殺されてしまうばかりか、賠償金を払えず、社会的生命をも抹殺されかねない恐れがあります。どこかで聞いた覚えはありませんか? そう。これは、ジャーナリストの批判を封じるための恫喝を目的とした、消費者金融・武富士がかつて行ったのと同じ手法の、恫喝訴訟と言えるでしょう(武富士訴訟ではジャーナリスト側が勝訴し、逆に武富士を訴えて勝っています)。http://www.kinyobi.co.jp/takefuji(3)しかも、訴状をどうひっくり返して読んでも、なぜ5000万円の損害を受けたのかという計算の合理的根拠はまったくどこにも書いてありません。ずさん、というより、相手が払えない(そしてビビる)高額であればそれでいいという額をテキトーに選んだ印象を受けます。(4)烏賀陽は一貫して「レコード会社の宣伝・営業担当者にはオリコンの数字を操作しようとする良からぬ輩もいる=オリコンは被害者である」という立場を取っているし、文意からもそれは明らかなのに、なぜかオリコンはそれを無視し烏賀陽の記事が自社の信用を損なったと主張していること。(5)裁判の証拠書類として、烏賀陽が「アエラ」03年2月3日号に書いたオリコンの記事が添付されていました。http://ugaya.com/private/music_jpopcolumn18.htmlこれはオリコンのデータとPOSデータ(サウンドスキャン社)のデータが乖離しているのはなぜか?という疑問を提示したものです。この記事も当時オリコンの小池恒右社長の憤激を買いました(社長直々にお怒りの電話を頂戴しました)ので、烏賀陽がオリコンの「好ましからざる人物」にリストアップされていたことは間違いありません(過去に取材拒否もあり)。(6)オリコンは「オリジナル・コンフィデンス」はじめ多数の出版物を出す出版社でもあります。ですから、もし「ウガヤのいうことはウソだ」というのなら、そこの紙面上で思う存分「ウガヤの言っていることはウソです、なぜなら××」と意見を述べればいい。ぼくもまたどこかの媒体で反論します。これこそが正統な「言論」でありませんか。それこそが正当な出版社のすべきことではありませんか。意見が違うものは高額の恫喝訴訟で黙らせる、というのは民事司法を使った暴力に近い。----------------------------------------------------------------------------みなさん。ぼくはずぼらなので「運動」とか「闘争」とか「たたかい」とかとは縁遠い人間ですが、この訴訟はいくらなんでもひどすぎる。あまりに露骨な言論妨害だ。言論・表現の自由という基本的人権を蹂躙している(それも音楽という表現世界で商売をしている企業が!)。もしこの種の恫喝訴訟がまかり通るようになれば、フリー記者には(いや、あるいは社員記者もできなくなるかも)企業批判はまったくできなくなります。いやそれどころか、雑誌の求めに応じてコメントひとつしても、5000万円なのですよ。コメントすらできないではありませんか。そんな時代が来てほしいですか?ぼくはいやです。これが言論の自由へのテロでなくて何でしょう。民主主義の破壊でなくて何でしょう。これは体を張ってでも阻止せねばなりません。というわけで、みなさん。長々とすみません。お忙しいところ本当に恐縮ですが、どうかお知恵とお力を貸してください。ご希望の方には訴状そのほか資料をお届けします。どうか無視しないでください。助けてください。ぼくも2,3日前まではこんな話は(けしからんことに)他人事だと思っていたのです。でも、こんな恐ろしいことが、いつ、どこでみなさんの上に厄災として降りかかるかわからない時代になってきたようです。長文失礼しました。ご静聴に感謝します。メールには烏賀陽さんが実際に書いた記事が添付されており俺も読ませてもらった。一読したときの正直な感想として「こんな記事(しかもコメント)で、訴えられるのか!?」というものだった。下記に該当部分を引用する。"初登場第1位"は上げ底か!?ジャニーズは超VIP待遇!?事務所とオリコンの蜜月関係文/編集部約30年にわたって人気を維持し続けているジャニーズ事務所。だが、その人気は、巧みなメディア操作にあるという。特にオリコンのランキングについては、こんな疑惑がつきまとっている……。 右ページのヲリキ座談会でも言及されているように、強気な交渉で、テレビ界でのライバル蹴落としに成功してきたジャニーズ事務所。また、雑誌メディアにおいては、アイドル誌は言うに及ばず、「抱かれたい男ランキング」で木村拓哉が毎年1位を獲得する「anan」(マガジンハウス)など女性誌との蜜月関係も有名だ。 さらにある疑惑が囁かれているのが、オリコンとの関係である。ジャニーズタレントの新曲は、発売されるたびに上位にランキングされるが、実際の売り上げと、かなりの乖離があるのではないかというのが、通説である(オリコン側は、この事実を否定)。 『Jポップとは何か』(岩波新書)『Jポップの心象風景』(文春新書)などの著者・烏賀陽弘道氏は、「日本には、長くオリコンしかヒットチャートが存在しなかったため、その統計学的な正確さが過大評価されがちです。まず第一に、オリコンは予約枚数もカウントに入れている。予約だけ入れておいて後で解約するカラ予約が入っている可能性が高いのです。『オリコン初登場1位』などという文言は、その後の宣伝に使えます。『オリコンの数字はある程度操作が可能だ』というレコード会社員の話も複数聞いたことがあります。そもそもオリコンは不思議な団体で、『オリコン独自の統計手法だ』と言い張ってその方法をほとんど明らかにしないんですよ。ふつうの統計調査は、その手法を細かく公開して、その信憑性に疑問が挟む余地がないことを強調するのが当たり前です。それをしないで公開されたデータは、統計学的な信用度が低いと自分で言っているようなものです」と語る。 試しに、06年2月の、オリコンチャートとPOSデータで集計を取っているサウンドスキャンを例に、ジャニーズタレントの週刊ランキングを比較してみた。2月7-13日の週では、タッキー&翼の「VENUS」(週間販売枚数45954枚)は、オリコンシングルチャート2位だが、2月6-12日週のサウンドスキャンでは、15位(週間販売枚数13573枚)とふるわない。そのほか、TOKIO「Mr.Traveling Man」の順位もそれぞれ、オリコン初登場第1位(2月14-20日)、サウンドスキャン第31位(2月13-19日)と、大きく異なる。確かに他の所属事務所のアーティストと比較して順位に差があるようだ。 ジャニーズ事務所は、メディアの評価を作為的に高めることで、「ジャニーズタレント=売れている」というイメージを周到に用意しているようにみえる。このような刷り込み戦略の成功が、長きにわたって人気を維持してきた秘訣かもしれない。ただ、気になる点といえば、ジャニーズと蜜月関係にあるメディアがオールドメディア化しつつある点だ。同事務所のネット嫌いは周知の事実だし、「『ディスクの売り上げ枚数=人気の指標』という常識は終わりつつあります。音楽を運ぶメディアがディスクからネットに大幅に移行し始めているため、着メロや通信カラオケ、ダウンロード販売といった数を見なければ、本当の意味での人気はわからなくなってきている」(烏賀陽氏)という指摘も耳にする。ジャニーズの凋落がはじまるのか、更なる栄華を築き上げるのか、今後の成り行きに注視していきたい。とまあこんな感じ。この恫喝めいた個人(烏賀陽さん)宛の提訴にはいくつかのポイントがある。●記事内のコメント主に責任はあるのか烏賀陽さんが挙げたポイント(1)と重なるが、この提訴でまずおかしいのは、なぜオリコン側が「烏賀陽さん個人」を訴訟対象にして、この記事が掲載されている雑誌『サイゾー』を発行する「インフォバーン社」を訴訟対象にしなかったのかということ。この記事の文責は「サイゾー編集部」であり、烏賀陽さんはあくまで編集部からコメントを求められてコメントしただけなのだ。烏賀陽さん自身のコメントにもあるが、たいていの場合識者のコメントが中に挿入される記事というのは、基本的にその記事の書き手が事前にある程度の「ストーリー」を作り、そのストーリーに合致した部分を「識者のコメント」(この場合烏賀陽さんからもらった電話コメント)から抜き出して適宜編集し、コメントとして文中に入れ、その文章に客観的な説得力を持たせるというフォーマットで作られることが多い。つまり、オリコン側が主張するようにこの記事によってオリコンに対して何らかのネガティブなイメージが読者にもたらされるとするならば、真っ先にその対象とすべきなのは記事全体の筆者(この場合はサイゾー編集部)であり、訴訟対象とすべきなのはサイゾーを発行しているインフォバーン社だろう。いわゆる識者コメントというのはとても難しい。俺自身これまで識者からコメントをもらって記事を書いてきたことも多いし、今では自分がこうしたメディアに対してコメントをするということもやっている。どちらの経験もある立場から1つ言えることは、よほどひどい内容(あるいは過激で政治的な主張)でない限り、コメント主に対して責任を負わせるというのは、あまりにも乱暴な方法でないかということだ。先ほど、地の文を書く筆者が「ストーリー」を作り、そこにコメントを当てはめていくと書いたが、もちろん全ての記事がそのようなやり方で作られるわけではない。純粋に取材をして、取材をした人の話の内容を踏まえて全体のストーリーを決めることもあるし、事前に取材先に内容を精査してもらって事実関係や発言の趣旨などが変わらないかチェックしてもらうこともある。だが、文字数に制約がないネット媒体と異なり、紙媒体は限られた文字数の中でコメントのエッセンスを圧縮して盛り込まなければならない。端的にいえば、「○○は△△という事情が背景にあり、本当は□□ならば良いんだけど、結果的に××になっている」というコメントをしたときに「○○は△△なので、××だ」と、細かい背景説明などが省かれてしまうことがあるのだ。実際、自分が取材を受けてコメントするときの経験でいえば、1時間しゃべったことが細かいディテールを全部抜き取られて数行のコメントに圧縮されてしまうこともある。そういうとき、内容に間違いはなくてもその記事を読んだ人には俺の言いたいことのせいぜい2〜3割しか伝わらないなぁとも思ってしまう。だが、実際に自分が誰かにコメントを求めて記事を書くときは文字数の制約がある以上、同じようにコメントを圧縮しなければならないわけで、コメントを取って記事にするライター・記者の苦労も十分わかる。だから完全に自分の意図した形のコメントにならなくてもある程度は妥協して、「自分の言いたいことを全部入れなければ、コメントの許可は出さない」というような無茶は言わないようにしている(そのかわり、幸いに俺は自分のメディアを持っているので、意図が十分に伝わらないコメントになった場合は、真意をこのサイトに書くようにしているが)。また、媒体によってコメントの事前確認をさせないところもある。大体新聞や新聞系の出版社は、社の方針として、ゲラをコメント主に見せないようにしており、そうなるとさらに厄介だ。出版されてみると自分の意図とは正反対の(とまではいかなくても本来の意図とはかなり違った)趣旨のコメントが、あたかも自分が言ったように書かれてしまうことがあるからだ。このあたりも確かに難しい問題なのである。自分がライターとしていろいろなメーカーを取材したときの経験では、大体メーカーの広報は記事の事前確認を求めてくる。そして、記事のゲラを彼らにFAXすると、彼らにとってちょっとでも都合の悪い部分はたいていの場合すべて削除され、別の表現に直されて返ってくる。報道被害の問題を考慮すれば、記事に重大な事実誤認が含まれるような場合、問題が大きいということはわかる。だから、「事実誤認があるかどうかの確認」であればゲラを出すこと自体は俺は問題ないと思っている。しかし、現実はそうならない。広告記事であればクライアントが表現に口を出してくるのも当然だが、メディアはあくまでメディアとして責任を持って情報を発信しなければならない。新聞系のメディアが事前確認をさせないのは彼らに「表現の自由を守るため」というお題目があり、そしてそこに一定の正当性はある。ただ、現実にメディアの現場を見ると事前確認をさせないことによって起きる弊害も多いし、表現の自由が単なる「建前」になっているという点も否定はしないが。話が長くなってしまったが、俺が言いたいのは、従来の紙媒体が今までのやり方を続ける以上、記事内の著者に過分な「責任」を負わせるのは酷だ、ということだ。しかも、今回の記事の場合烏賀陽さんはコメント内で直接オリコンを腐しているわけではない。あくまで彼が取材した(彼が責任を持って調べ、ある程度客観性が担保されるはずの)「事実」をコメントとして言っているに過ぎないからだ。大体、記事全体の「ストーリー」を読めば、ジャニーズとオリコンが癒着関係にある(かもしれない)ことを読者に想起させ、それを面白おかしく煽ろうとしているのはサイゾー編集部が作った「地の文」である。特にオリコンチャートとサウンドスキャンのデータを比較しているところは、単に集計方法の「誤差」の範囲内で収まるところをあえて面白おかしくかき立てているようにも見える。オリコンが今どういう方法でランキングを集計しているのかは俺も細かくは知らないが(何しろ調査店に関する質問は「下記(調査協力店一覧)記載内容以上の詳細についてはお答えできませんのでご了承ください」として、具体的な集計方法を公開してないからね)、音楽業界内で言われているのは「出荷枚数と消化率から売り上げを推計している」ということだ。これに対し、プラネットやサウンドスキャンは実売ベースのランキングと言われている。出荷ベースのオリコンと、実売ベースのプラネット・サウンドスキャンでは特に初動枚数に大きな違いが出ると言われており、その意味ではこの記事の試しに、06年2月の、オリコンチャートとPOSデータで集計を取っているサウンドスキャンを例に、ジャニーズタレントの週刊ランキングを比較してみた。2月7-13日の週では、タッキー&翼の「VENUS」(週間販売枚数45954枚)は、オリコンシングルチャート2位だが、2月6-12日週のサウンドスキャンでは、15位(週間販売枚数13573枚)とふるわない。そのほか、TOKIO「Mr.Traveling Man」の順位もそれぞれ、オリコン初登場第1位(2月14-20日)、サウンドスキャン第31位(2月13-19日)と、大きく異なる。確かに他の所属事務所のアーティストと比較して順位に差があるようだ。という部分は、説得力に欠けるように思える。この記事に説得力を持たせたいのなら、サイゾー編集部は、同じ時期に発売された「ジャニーズ以外」のアーティストのオリコンとサウンドスキャンの「違い」を検証し、それらのアーティストよりもジャニーズが「優遇」されていることを客観的なデータとして出すべきだった。その点は俺も(烏賀陽さんではなく)サイゾー編集部の落ち度だったと思う。いずれにせよ、この記事に対してオリコンが「事実無根のイメージ誘導だ」というなら、自分たちがどのようにランキングを集計しているのかクリアにして、その結果いかにこのサイゾーの記事が間違っているかを説明し、烏賀陽さんではなくインフォバーン社に記事内容の訂正と謝罪を求めれば済む話である。それをなぜ烏賀陽さん個人なのか。そして5000万円という途方もない金額の根拠は一体どこにあるのか、オリコンにはきちんと説明する責任がある。あのJASRACですら、昨年9月に発売された「週刊ダイヤモンド 9/17号」における「〈企業レポート〉日本音楽著作権協会(ジャスラック)/使用料1000億円の巨大利権 音楽を食い物にする呆れた実態」という記事(→PDF、→画像1、→画像2)に対して、すぐさま怒ってその後訴訟を起こしているけど、あくまで被告は資本力のあるダイヤモンド社と記事執筆者であるダイヤモンド社の社員だ。そんな訴訟起こして裁判費用ムダにかけるくらいなら、メディア使ってデータ出して反論して、その分きちんと会員アーティストへの還元額を増やせよと思わなくもないが、少なくともJASRACはきちんとその記事の発行元であるダイヤモンド社と記事の文責がある記者を対象に訴訟をしており、記事内でコメントしているジャズ喫茶の店主や玉木宏樹氏を訴えているわけではない(スワンとの訴訟は別にあるという話はややこしくなるので、ここではとりあえず置いておく)。JASRACだってこういうときの「最低限の仁義」は踏まえているのだ。●チャート操作についてオリコンが出荷ベースの推計ランキングである以上、それはある程度「操作可能」であるというのは客観的事実として明白だ。一時的にランキングを上げたければ「多く出荷して、集計対象店で大量購入する」ことで、(ある程度は)ランキングを上げることが「システム上」可能だからだ。これはオリコンがある種前時代的なアナログ的なシステムを使っている(少なくとも以前はそうだったわけで、今は違うというのならそれをきちんとオリコンがオープンにすればいい話だ)ことから起きるセキュリティホールのようなもので、オリコンは別に「不正」に関わらなくてもこの抜け道をそのままの形で残しておくだけで良いのである。これが残っていることで探偵ファイルに掲載されたこの記事のような手段を使って、レコード会社は自腹でランキングを上げることができるからだ。もっとも探偵ファイルのこの記事は“あらゆるレコード店を巡回し、その店ごとに同一のCDを大量に買い込む”ことを「違法行為」と断言しており、あたかもレコード会社とオリコンがグルになって消費者を騙しているかのようなイメージ操作を行っている。サイゾーの記事なんぞより、よほどこっちの方が(オリコンやレコード会社にとっては)悪質だし、烏賀陽さん訴えるならそれより先に探偵ファイル(探偵ファイル特捜班)を訴えるべきであろう。ちなみに俺は上の記事に対して違法行為というなら具体的に法律に違反しているのか書けばいいのにねというエントリを書いたし、チャートが「メディア」としての性質を持っている以上、そこにコンテンツ企業がお金を投じて「プロモーション」を行うこと自体は否定されるべきではない、という考え方だ。もっとも烏賀陽さんが記事でコメントしている通り、今は「ディスクの売り上げ枚数=人気の指標」ではなくなりつつある、とも思うが。さて、記事中の烏賀陽さんのコメント『オリコンの数字はある程度操作が可能だ』というレコード会社員の話も複数聞いたことがあります。についてだが、これは俺も複数のレコード会社員、小売店、その他音楽業界関係者から同じ趣旨の話を聞いたことがある。また、Wikipediaの「オリコン」の項目を見てみると、こんなことも書かれている。●POSシステム集計方法は、あらかじめ決められた販売店から売り上げデータを受け取るもの。[1]以前はFAXなどに頼っていたが、販売店にPOSシステムが普及したこともあり、最近ではPOSの売り上げデータによってデイリーチャートを集計している。対象となる販売店は、ここ数年でAmazon.co.jpなどのオンライン店舗も一部は対象には入っているが、それらに含まれない特殊なルートでの販売しかない楽曲にはオリコンチャートにランクインしないものもある。例としては、NEWSのデビューシングル『NEWSニッポン』はセブン-イレブン限定販売だったため、オリコンチャートにランクインしなかった。また、DVDの面では、代表的な例は「水曜どうでしょうDVD全集」があげられる。 特殊ルートでの販売のオリコンランクインを認める以前ではオリコン上位にランクインしていたが、ローソンやオンラインショップのみの販売ルートなので、この方式がとられてから販売されたDVDは週売り上げ1位にもかかわらず、オリコンには掲載されなかった。(「幻の1位」としてあげられることが多い。) ●累計売り上げ枚数オリコンチャートによる累計売り上げ枚数と称されるものは、チャート圏内(CDの場合、かつては週刊チャート100位以内、2002年12月以降はシングルは週刊チャート200位以内、アルバムは週刊チャート300位以内)の売り上げのみを単純に加算したものであり、圏外に落ちてからの売り上げは含まれていない。(同業他社のプラネット・サウンドスキャン等は一週間に1枚の売り上げでも累計売り上げ枚数に加算される)また、レンタル店の購入分や特殊なルートでの販売はランキングに加算されないため、売り上げの実数よりは少ない数値になる。特に、演歌・アニメソングや、「定番」と称される名盤アルバムなどは、チャート圏外やオリコンの集計対象外の店での売り上げが多いため、実数からはかけ離れた数値になると考えられる。 ●赤丸 オリコンチャートでは、初登場や売り上げが伸びている曲を赤字で表記し、「赤丸急上昇」と呼ぶ。これらはチャート順位の浮き沈みで付けられているのではなく、前週よりも多くの枚数を売り上げを上げた作品に付けられるもので、ごく稀にチャート順位が下がっているにもかかわらずこの現象が起きることがある。 ●影響度音楽チャート業界では、プラネット・サウンドスキャンといった同業他社がいるものの、オリコンチャートの影響力は絶大であり、アメリカのビルボード誌と同様、音楽界での評価指標として真っ先に用いられる。 オリコンチャートでは総売り上げよりも初登場順位ばかりが強調されがちであり、レコード会社もそれを承知で発売1週目により多くの売り上げを稼ごうとする。そのため、基本的にチャートは急激な右肩下がりとなる傾向がある(近年、この傾向は特に如実に現れている)。逆に、チャートの下がり幅が小さいか、1週目の順位が低くても2週目以降のランキングがアップするアーティストは着実にファンを獲得していく傾向があり、その実力は後々になって受け入れられる。また、一部の人気低枠アーティストに対してはスタッフがわざわざ集計対象店に出向き、大量にCDを買い付けるサクラのようなものも実際にはいるとされ、一部で恣意的なチャート操作が行われているとも言われる。 また、音楽業界からの圧力で「KinKi Kids、B'zには必ず1位を取らせなければいけない」とも言われており、事実、この2グループが直接対決を行ったことは今までに一度も無い。 ということだ。Wikipediaなので信頼性がどれだけあるのかという議論はあるだろうが、この際Wikipediaの信頼性とかはどうでもいい話なのである。重要なのはこういう記述に代表されるように、ある程度音楽業界に明るい人間からすれば「オリコンチャートが現実の売り上げと乖離している部分があり、ランキング操作が行われている」ということが「常識」的な空気として作られていることなのだ。このことをオリコンはきちんと自覚した方が良い。自覚した上でオリコンがすべきことは、真っ当に仕事をしている個人のジャーナリストに資本力を背景とした嫌がらせのような訴訟を起こすことではなく、自分たちが持っている「チャート」という強大なメディアの信頼性をいかにオープンなやり方で高めて、音楽業界と音楽リスナーにメディアとしての有効性を提示するか、ではないか。オリコンが音楽配信に乗り出すというニュースが出たとき、いろいろなところに取材したが、取材を離れたところでのレコード会社員から返ってきた反応は概ね「なんで、公正なチャートを提供する、ある種中立的な立場でなきゃいけないはずのオリコンが、自分たちで配信始めるんだろうね。それって初めから『配信のチャートは操作可能』って言ってるようなものじゃん」というものだった。別に俺はオリコンに何の恨みがあるわけでもないし、前述した通りチャートが「メディア」である以上、ある程度のアナログ的な「操作」が入り込む余地があることは仕方ないとも思っている(データの客観性や信頼性でいったら、テレビ視聴率なんてどうなるんだって話だよ。それに比べりゃオリコンチャートなんて全然まともだ)。だけど、言論を金や力で封殺するような今回のオリコンのやり方には強い抵抗を覚える。俺だってこのように実名でいろいろなメディアに好き勝手(本当は好き勝手なんて書けないけどな!)いろいろ書いている以上、無関係じゃない。もしかしたら来週には俺のところにもオリコンから訴状が届くかもしれない。オリコン自体がこの訴訟にノリノリというわけじゃなく、もしかしたら裏で手を回しているのは記事中でもう1つの揶揄対象になっていたジャニーズ事務所なのかもしれない。しかし、そんな細かいことはどうでもいい。間違いなく言えることは、こういう訴訟がまかりとおるようになったら、音楽業界に「ジャーナリズム」とか「自浄作用」なんてものは今後一切生まれない、ということだ。俺ら個人のジャーナリストが潰されたあとは、次に来るのはネット規制に決まってる。こういう流れが加速すれば、プロバイダー制限責任法も改悪され、ネットから匿名性は奪われ、著作権侵害は非親告罪化され、著作物のダウンロードは違法化され、権力と金を持っているところに楯突く存在は、こういう形で抹殺されるだろう。だから、このエントリを読んでくれた人は「なんか音楽業界とか出版業界で揉めてるんだね」とかそういう意識じゃなくて、現実の自分たちの生活に関わってくる問題として捉えて欲しい。もう対岸の火事じゃないんだよ。力を持っている連中が自分たちの都合の悪いことをシステマティックに潰せる仕組みができあがりつつあるんだから。そうなったらもう左とか右とか、関係ないよ。烏賀陽さんはメールの冒頭で「みなさんのお知恵、お力を貸してください。記事にしてください。ブログに書いてください。ウエブサイトに載せてください。メールを転送してください。言いふらしてください」と書いた。みんなができることは簡単だ。このことをリアルの社会で話のネタにしたり、ふざけるなと憤ってネット上で「今こんなことが起きているんだよ」と広めてくれるだけでいい。それが大きなうねりになれば、オリコンだって態度を軟化させざるを得なくなる。ネットなんて現実社会を動かせない? そんなことないよ。輸入盤の問題のときだって法案は通ってしまったけど、あそこであれだけ大きな動きになったから今歯止めが効いている部分だってあるし、電気用品安全法だってあのネットの動きがなかったら、今はもっと現場は混乱していたかもしれない。今はまだ小さな力でしかないかもしれないけど、ネットが持つ潜在的な力を理解したからこそ、既存のメディアの連中が今焦って、そういう力をスポイルさせようとしている。そういう彼らの焦りは、メディア業界に片足突っ込んでいる俺は本当によくわかる。あんま大仰な話で煽るのは好きじゃないし、柄でもないけど、この訴訟は本当に許せなかったし、やりきれない思いになった。オリコンは「出版社」という「言論メディア」の性格を持っているんだよ? だったらサイゾーと烏賀陽さんが提起した「言論」に対しては少なくとも最初は「言論」で対抗してくださいよ。それが最低限の「仁義」だろうし、メディアとして当然持たなきゃいけないプライドじゃねーのか?とにかく俺は俺でこの問題に対していろいろ動きます。烏賀陽さんを支援できる立場にある人、憤りを感じた人はぜひ協力してください。よろしくお願いします。(追記1)オリコンチャートの「以前」の集計方法に関しては小野島大さんのブログで、細かい事情が書かれている。こちらもご参照のこと。あと、今のところ情報が烏賀陽さんからもらった情報しかない状態なので、このエントリはいろいろな予断、推測も含んでいます。今後、訴状を見せてもらうなどして、いろいろ詳細な情報がわかり次第、情報を更新していこうと思います。(追記2)烏賀陽さんから訴状をFAXしてもらいました。下記に記事転載部分を省略した11ページ分を転載いたします。訴状ページ1訴状ページ2訴状ページ3訴状ページ4訴状ページ5訴状ページ6訴状ページ7訴状ページ8訴状ページ9訴状ページ10訴状ページ11全部まとめて画像をダウンロードしたい方はこちらの圧縮ファイルをどうぞ。全部をまとめたPDF版も用意しました。訴状を読むと確かにサイゾー編集部に届いているものの、訴えているのは烏賀陽さん個人になっていますね。サイゾー編集部にも問い合わせたところ、この訴状が届いていることが間違いないということがわかりました。追ってサイゾー編集部から正式なコメントをいただくことになっています。なお、烏賀陽さんはこの訴訟の当事者であるため、自発的な発言が非常に難しい(微妙な)状況に置かれております。この訴訟に関する発言が少ないことに関しては、そのような事情があることをご理解ください。さらにいえば、烏賀陽さんは第1回期日(来年1月4日)までに答弁書を作成し、裁判所に提出しなければなりません。それをしなければオリコン(原告)の主張が認められてしまうからです。この訴訟に関する(現時点での)彼の発言が少ないことに関しては、そのような事情があることをご理解ください。烏賀陽さんの年末年始はこの答弁書の作成に追われることになってしまうでしょう(しかも高額の着手金を自腹で弁護士に支払って、です)。ライター・ジャーナリストにとって死ぬほど忙しいこの時期を狙い打ちし、本来はゆっくり落ち着くための年末年始を潰し、精神的に追いつめるようなオリコンのやり口は個人的に到底許すことはできません。本当に憤懣やるかたない思いでいっぱいです。(追記3)オリコンのサイトに事実誤認に基づく弊社への名誉毀損についてというプレスリリースが掲載されています。内容については訴状とあわせて各自ご判断ください。いずれにせよ、この問題、来年初頭には司法の場で「事実誤認」があったかどうかが争われることになるわけです。僕は烏賀陽さんを応援しようと思っています。(追記4)上のオリコンが出したプレスリリースを受けて新エントリ起こしました。(追記5)オリコン社長小池恒氏が自分の名前で真意を発表。事実誤認あったら提訴を取り下げ? なら、なんでいきなり5000万円の訴訟? またあとでこれは書きます。
[] 音楽配信メモ オリコンが自分たちに都合の悪い記事を書いたジャーナリストを潰すべく高額訴訟を起こす
[引用サイト] http://xtc.bz/index.php?ID=396
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Last Updated 2007/ 03/ 05/ 14時07分31秒
日本でベストセラーになっている早坂隆著『世界の日本人ジョーク集』(中公新書ラクレ)を読むと、日本人と韓国人が登場するジョーク(小話)がいくつかある。たとえばレストランで出てきたスープにハエが入っていたらどうなるか。 ドイツ人は「熱いスープだから殺菌されている」と冷静に考え、ハエを取り除いてスープを飲む。中国人はそのまま平気で飲む。ロシア人は酔っぱらっていて知らずに飲む。アメリカ人は支配人を呼んで裁判にする。日本人はあたりを見回し自分だけに入っているのを確認した後、そっとボーイを呼ぶ。韓国人は日本人のせいだといって日の丸を焼く…というのだ。 もう一つ。「世の中で完璧(かんぺき)な人間とは?」という話では。 イギリス人のように料理し、イタリア人のように冷静で、オランダ人のように気前がよく、ロシア人のように酒を飲まず、イラク人のように温厚で、日本人のようにユーモアがあり、韓国人のように忍耐強く…という人間なんだそうな。 説明するまでもないがこれは実際はすべて反対というジョークだ。 こうした“小話”はヘタすると国際問題(?)になりかねないが、いわゆる比較文化論的な観点で実に面白く、国際理解に参考になる。 筆者(黒田)にもとっておきの創作ジョークがあって、たとえば「野球で2死満塁に際し日米韓の監督はバッターにどういうサインを出すか?」だ。米国人監督は「最初から打っていけ!」と攻撃的だが、日本人監督は「よくボールを見てできるなら押し出しでいけ!」という慎重な「待ち」のサイン。 では韓国人監督は?「監督のサインとは関係無しに3塁走者が独自の判断でホームスチールを敢行する」がその答えだ。チームプレーより個人プレーで一発にかけて大向こうをアッといわせる大胆果敢さ…。ベンチャー精神と目立ちたがりの猪突(ちょとつ)猛進は紙一重だ。すべて物事にはプラスとマイナスの両面があるのは言うまでもないが。 ところで先日、台北支局からのコラムに、台湾では政治の季節を迎え政治的影響を考慮して「タクシーでの運転手の“政治談議”を禁止すべきではないか」という話があると出ていた。これは実によく分かる。 政治大好きの韓国では、タクシーの運転手は台湾以上に政治好きであり街の最大の政治評論家だ。とくにこのところ政権末期で不人気の盧武鉉政権だけに、タクシーに乗ると大統領への不満と悪口が多い。こちらが「それでも株価は上がってるし、米国相手の自主外交などがんばっているじゃないの」と逆に慰めて(?)あげている。 その結果、タクシー運転手たちの大統領を冷やかすジョークや小話も花盛りだが、その紹介は遠慮したい。政治好きでジョーク好きの韓国人だから、その中身は強烈すぎる。その代わり韓国人の冗談のうまさを物語るごく一般論的なジョークを紹介しておく。 「漢江で美女と政治家がおぼれそうになっているとき、まずどちらを助けるべきか?」という話で、答えは「もちろん政治家」だという。理由は「川の水が汚れるから」だそうな。 『世界の日本人ジョーク集』で最後に紹介されているジョークは、日中関係に関するもので、靖国問題などで最悪の状態と聞いていたパキスタン人が日本の中華街を見て驚きこう言ったという。「日中の仲が悪いなんてウソだ。パキスタンにインド人街があったら廃虚になっている」 同じパキスタン人は日本での韓流ブームや韓国人の日本旅行ブームなどを目撃すれば、やはり「日韓の仲が悪いなんてウソだ!」というに違いない。 国際的に国と国が仲が悪いというのは、本当はパキスタン人のいうようなことなのだろう。それが国際的な標準なのかもしれない。パキスタン人には日韓の仲の悪さなど“じゃれ合い”のように見えるだろう。 日中関係が最悪といわれても経済交流は活発だったし、同じく最悪といわれた日韓関係も昨年、韓国人の日本訪問者は史上最高の200万人を突破している。 国際的に見て、また歴史的にも隣国同士はしばしば仲が悪い。これはインド、パキスタンを含め地球上どこでもだいたいそうだ。隣り合っているから領土問題をはじめ利害がぶつかりやすい。接触が多いから争いも多い。仲が悪いことは異常ではなく通常なのだ。 だから仲が悪くなったからといって、オタオタうろたえることはない。お互い“廃虚”ができないようにだけ気を付ければいいのだ。(ソウル 黒田勝弘)
[] 隣同士は仲が悪いもの?|朝鮮半島|国際|Sankei WEB
[引用サイト] http://www.sankei.co.jp/kokusai/korea/070106/kra070106001.htm
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カードゲームやアニメ再放送、ビデオなどを通じて、今の子どもたちにも大人気の『ドラゴンボール』。ちょっと気になっているのは、あの2人――ともに戦闘民族としては超優秀だが、「父親」としてはどうかと思う、悟空とベジータだ。頭の中は戦いのことばっかりで、そんな父親に対する苛立ちは、ジャンプコミックス版28巻の悟空の嫁・チチのこんなセリフからも伺える。「だいたい悟空さ 働きもしねえで 悟飯ちゃんのめんどうなんてみれっこねえべ! 結婚してから一銭だってかせいだことあったか!?」とはいえ、悟飯が天下一武道会に参加したいと話したときなどは、日ごろ戦いに反対しているにもかかわらず、優勝賞金を聞いて、手のひらを返したように「出場しろ」とけしかけている。このとき、「いや〜天の恵みだべ お父の財産も残り少なくなってどうしようとおもってたところだよ〜」と喜んでいるが、この「お父」とは、もちろん悟空ではなく、チチの父親・牛魔王のこと。つまり、ずっと自分の父親の財産で暮しているわけだ。ああ……。ベジータはベジータで、平和な世の中になっても「鍛錬、訓練」ばかりを口にしているし……。ブルマのもとをたずねた悟飯に、「あんたのおとうさんといっしょ! サイヤ人って働かないのかしら」とも言われてるし。そこで、身のまわりの幼児たちに「どっちの父親がいいか」と聞いてみると、みんな即答で「悟空!!」と言う。理由は単純に「カッコいいから」「強いから」。逆に、ベジータのどこが悪いのか聞くと「ズルいから」はともかく、「怒るから」「怖いから」「おでこがハゲてるから」って、そんな理由で決めていいのか、幼児!?余談だが、幼児に不人気なのはクリリン。この理由も「ハゲだから」って……ほっといてやれよ。第一、クリリンは体格・素養にはさほど恵まれていないにもかかわらず、努力と頭脳で頑張ってきた、凡人の「星」なのに。天津飯や亀仙人もハゲてるぞ。加えて、ママたちは「悟空もベジータも、どっちもイヤ」と、これまた身もフタもない。「ただ、悟空が奥さんに頭上がらないのは、笑えるよね」と、若干、こっちも悟空寄りのようだ。で、個人的見解から言うと、父親として、より悪いほうはやっぱり悟空だと思う。ベジータは奥さんが大金持ちで、「労働」をしなくても食っていけるから、働いていなくても困らないということが、ひとつ(そういう問題じゃないかもしれないが)。でも、何より大事なポイントは、ベジータはとりあえず家族と一緒に暮しているのに比べ、悟空は小さな子どもを残して死んでしまったり、生き返っても修行ばかりしていて家に寄り付かなかったり。挙句、よその子(ブウの生まれ変わり・ウーブ)に夢中になって、その子と飛び出して行ってしまうという勝手っぷりである。さらに、ベジータはセルにトランクスがやられたとき、力の差が圧倒的なのにもかかわらず、なりふり構わずキレて立ち向かう親心もちゃんと持ちあわせている場面もあった。父親としていちばん良いのは、どう考えても、他人の子(悟飯)を言葉とは裏腹に命がけで鍛えたり愛したりしたピッコロだ。悟飯がセルに殺されそうになるときに、悟空に対して「悟飯がなにを思っているかわかるか!?(中略)なぜおとうさんはボクがこんなに苦しんで死にそうなのに助けてくれないんだろう」と言い、「やられてもいい! オレはいくぞ」と、これまたベジータと同じく、力は及ばないのにセルに立ち向かおうとしている。完全に「父親目線」で、悟空よりよっぽど悟飯のお父さんぽい。そんなピッコロさんですら、これも子どもに言わせると「緑色の顔がイヤ」なんだそうな。子どもたちよ、本当にそんな選択でいいのかい?(田幸和歌子) [12月06日] ハゲに厳しい幼児たち [ 宮沢賢治の風 かぷかぷカレンダー ] at 03:09:04 エキサイトブログユーザーならブックマークレット機能を利用してこのページにトラックバックできます。
[] 幼児と討論! 悟空とベジータ、どっちが「悪い父」? | エキサイトニュース
[引用サイト] http://www.excite.co.jp/News/bit/00091162780450.html
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「少子化」と「人口減少」という言葉は、誰もが前向きにとらえません。「このまま減り続けると…」日本人がやがて恐竜のように地上から絶滅するような杞憂が横行しています。 しかし、今日もあなたとあなたのご家族が世界でも珍しい狭い住宅に住み、世界でも珍しい込み合う電車に乗り、いつやってくるか分からないリストラの恐怖に怯えています。これは人が多いからです。 為替レートで見れば日本人の所得は紛れもなくトップレベルですが、別荘を持ったり、ヨットを楽しんだりする日本人は何人いるでしょうか。欧米と比べて日本人が豊かな暮らしを満喫できないのは、無駄や規制や公共事業なども関係していますが、狭い国土に密集して暮らすために不動産など居住にまつわるコストが必要以上にかかり、余暇や遊興にお金を回しにくいこともあるかと思います。 ご存じの通り、中国は人が多すぎて困っています。しかし、そんな中国の人口密度は、日本よりはるかに低いのです。「日本には生活に適する地域が少ない」と解釈する専門家が多いようですが、技術力と経済力を備えればインフラ整備が進み、住めない土地も人間が住めるようになるケースが多いです。 戦前では今よりずっと人口が少なかったのに海外に移民させた日本ですが、なぜ戦後にこれだけの人間を増やしても大丈夫なのでしょうか。それは明らかに経済力と技術力のお陰です。このことは砂漠に国家を建設したイスラエルを見ても分かります。 しかし、日本の絶対面積は変わっていないのです。日本列島にもう十分に大勢な人々が住んでいることは、通勤や居住など日々の生活の実感や、データなど定量面から見ても分かることです。しかし、不思議なことに多くの人々が、人口増こそが日本にとって重要だと考えてしまいます。 産業界の人は消費人口が減ると市場が萎むと危惧します。政治家と官僚は若い人が減ると年金が足りないと心配します。有識者は人口が減ると日本人が居なくなると恐れます。 グローバル経済の恩恵を受けて大勢の人口を養えるようになった日本ですが、ゆっくりした人口減にも怯える企業は日本の人口減を心配する前に自社のグローバル展開を心配した方がいいと思います。 年金は若い人が増えないから問題になったのではなく無駄遣いとそれに起因する不加入が原因です。人口を増やし続けることは老齢化対策の邪道です。増やした人もいずれ老人となります。増やさなくても「老齢化」の後に必ず「正常化」や「若年化」がやってきます。 人口は増える時もあれば、減る時もあります。それを決めるのは個々人の勘です。1億人以上の人々が体を張って「人口を減らすべきだ」と言っているから、それはそれなりの深い理由があるはずです。株の世界も同じですが、一見合理性に欠ける個々の投資家の投資行為によって形成された相場は不思議に合理性に富んでいます。 次ページ以降は「NBonline会員」(無料)の方および「NBonlineプレミアム」(日経ビジネス読者限定サービス)の会員の方のみお読みいただけます。ご登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。 日本人が意外と気づかない視点を、『ここが変だよ日本の管理職』『やっぱり変だよ日本の営業』などの著書でおなじみの宋文洲・ソフトブレーン会長が独特の切り口で紹介します。 1963年6月中国山東省生まれ。84年中国・東北大学を卒業後、日本に国費留学する。90年北海道大学大学院工学研究科を修了。天安門事件で帰国を断念し、日本で就職したが、勤務先が倒産。92年ソフト販売会社のソフトブレーンを創業し、代表取締役社長に就任、99年2月代表取締役会長に。2000年12月に東証マザーズ上場、2005年6月に東証1部上場を果たす。2006年1月代表権を返上し取締役会長に、同年9月1日、「もう1人の社長」「陰の実力者にならない」として、取締役会長を辞任し、マネージメント・アドバイザーに就任する。(写真:川口 愛)
[] 人口が減ってどこが悪いのでしょう (宋文洲の傍目八目):NBonline(日経ビジネス オンライン)
[引用サイト] http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20061215/115790/
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1500円以上国内配送料無料でお届けします。(一部大型商品は除く)!詳しくはこちら。代金引換、コンビニ・ATM・ネットバンキング払い、Amazonショッピングカード™でもお支払いいただけます。 在庫状況(詳しくはこちら): 通常3~4日以内に発送します。 この商品は、Amazon.co.jp が販売、発送します。 リージョンコード: リージョン2 (このDVDは、他の国では再生できない可能性があります。詳細についてはこちらをご覧ください DVDの仕様。) ヤクザのハンギは街で見かけた女子大生ソナにひとめぼれし、いきなりその唇を奪う。そのときからソナの人生は変わった。本屋で落ちていた財布をカバンに入れたのがきっかけで、娼婦街に売られてしまう。しかしそれを仕組んだのはハンギだった。彼はマジックミラー越しに、娼婦になったソナをずっと見つめていた。 生きることに不器用な男と、そんな男に一方的に愛を捧げられた女の、激しく奇妙なラブストーリー。常に彼女を見つめ、危険が及ぶと助けに飛んで行く男の行為は、ある意味、純情だけれど、その手段を問わないハンギの行為はまさに「悪い男」だろう。激しく暴力的な純愛という、新しい愛の形を描いたのは韓国の異才キム・ギドク監督。海外の映画祭でも評価の高いギドク監督の描く愛の世界は甘さ一切なし。激し過ぎて嫌悪することもあるが、目を離せないことも確かだ。(斎藤 香) 『魚と寝る女』で衝撃のデビューを飾った韓国映画の鬼才、キム・ギドクが放つ純愛物語。ヤクザの男・ハンギは、昼下りの繁華街で女子大学生・ソンに目を奪われる。しかし、彼女に無視をされたハンギは、衝動的に彼氏の前で彼女の唇を奪ってしまう。 あなたのレビューがサイトに載ります。 ※ カスタマーレビューは他のお客様により書かれたものです。ご購入の際はお客様ご自身の最終判断でご利用ください。 レビュアー:goandalive - レビューをすべて見る主人公が話さない。何も台詞が無いことに気付くのは彼が始めて発声するシーンだ。それほど、台詞が無いことが気にならない。物凄い演技力だ。 元から終わりまで相当「悪い男」だ。何故惹かれるのか。仁侠映画を観たあとに、ポケットに手を突っ込んで、肩肘張って映画館を出て行く人々に合流する気分になる。暴力的であり人間の弱さが滲み出た悲しい映画だ。 一方で表現が直接的すぎると思われる。好き嫌いがわかれるのでは。 レビュアー:penny−a−liner (静岡県) - レビューをすべて見るチョ・ジェヒョン演じる主人公ハンギは映画の中で一箇所しか言葉を発しない。 実は、その事をその時まで気付かなかったのである。 愚かにも台詞を喋っているように錯覚していたのだ。 それ程チョ・ジェヒョンの演技力は凄い。 キム・ギドク監督作品四作目だが、一番の衝撃作に出会った。 叩いたり、殴ったり、刺したりの暴力シーン満載。 ふとした切っ掛けから、女子大生ソナを娼婦街へ売り飛ばす筋書は倫理的に許せないし、 ソナに向ける自虐的とも取れる屈折した愛情表現も理解に苦しい。 次第に娼婦らしく変わっていくソナに女の強さのようなものを感じるが、 ハンギに惹かれていくというのは監督の勝手な思い込みではないか。などなど。 作品の評価はきっと分かれるところで、ダメな人にはダメ!な映画だろう。 しかし、観ているうちにグイグイ物語に惹き込まれて。 最後のシーンを観ながら、こんな愛もあるかも..と思ってしまう。 キム・ギドク監督に強引な力技で捻じ伏せられた感はあるが、 頭で考えるよりも感じたままを評価して。 レビュアー:lacombe (北海道) - レビューをすべて見る甘くてせつないだけが韓国映画とこの作品に出会うまで思っていた。 異匠キム・ギドクの存在を知った最初の作品です。映像は日本の古いピンク映画かヤクザ映画を思わせますがいままでにはないチカラのある作品。主人公がクライマックスまでいっさいしゃべらないなんてなかなかない。主人公は出所出のヤクザ、はじまってすぐ通りすがりの愛らしい女子大生に強引に接吻する。そこから彼はどんどん彼女を不幸のどん底に突き落としていく。彼女が犯したささいな罪の目撃を逆手にとり界隈の娼婦に仕立てあげる。彼女の大切にしていた処女は惨くも中年客に強引に奪われ、だんだん彼女は立派な娼婦化していくその様子を鏡越しにじっとやさしく見守る主人公。こんなひどく手荒で暴力的にしか彼女への一心に愛することができない不器用な主人公の気持ちをクライマックスのそのときまで全く理解できなかったがクライマックス震撼しました レビュアー:キャッスルロック - レビューをすべて見る女性にしたら、悪い意味で堪らない映画でしょうね。 本当にこれが、愛と言えるでしょうか? 劇中、ハンギはソナを徹底的に傷つけます。 文字通り、地獄に堕とします。 こんな愛し方をされて、喜ぶ女性がいるでしょうか? ハンギはソナを売春婦とし、行為の最中をマジックミラーで 見守ります。 それはまるで、大事にしている宝物を扱うかのようです。 常人には理解不可能な、歪んだ愛し方で。 ここまでくると、驚きや呆れを通り越して、何とも言えない せつなさを感じてしまいます。 こういう関係になることが、二人の運命だったのかと、 納得させられます。 ソナに手を出さないハンギの愛し方に、むしろ純愛を 感じてしまいます。 「女性蔑視か?」と問われると、そうは思わないけれども、 嫌いな人には決定的に合わないでしょうね、キム・ギドク作品は。 でも合う人には、堪らなく好きになる作品です。 ハンギはソナに昔の恋人の面影を見いだしたのでしょうか。今の自分はしがない極道、障害(?)によって発声もままなりません。そんな自分が女子大生を恋人にしたいなんて贅沢過ぎる。だから選んだのは文字通り「最低の純愛」。ハンギはソナの体を資本に小銭を貯め、いずれ何処か地方都市で屋台でも開くのでしょう。そう思いながら観れば暗い話ではありません。ソナは泥の中でも咲く蓮の花を思わせました。 レビュアー:heritage - レビューをすべて見る この映画を見るきっかけは女性視点の酷評を知って。その180度ウラの視点から観てみようと思った。助監督経験も経ずこの世界の慣例もものともしないキム・ギドク監督の経歴に非常に関心を持った。 映画製作のknow・howを段階的に経てきた者にはおそらく考え及び難いであろう人間という存在の光と影を、巧妙というのではなく、ただ自然にとらえきっていると感じた。(その光と影なるものを映像の色彩が物語っている) 私が観た中でこんな風に思わせてくれる作品(監督)はかつてなかった。気が付くと、表面的には矛盾に見えるこの悪い男の行動を受け入れている自分がいた。 言葉にならないのだ。ただ涙があふれたというのが自分の心の感想(反応)なのだろうか。 ほんとうのところ、生きている人間ひとりの何層にも及ぶ心の井戸の底に到達したとしても、それを言葉にすることなんてできないのではないだろうか。 そんなことをふと思った。 キム・ギドク監督映画の常連 チョ・ジェヒョンはこの映画でハンギそのものとして存在し、このまま存在しつづけるのではと思ったほどだ。 表層に表れない深い愛を知った二人は幸せだと思った。 自分の中のあらゆる感情を総動員させられる映画だった。この監督の作品はすべてチェックしようと思う。 猟奇的な韓国映画中毒リストを紹介します5: リスト作成者: 猟奇的韓国映画中毒者 "y-1484c5" 2004年度 キネマ旬報ベスト10 完全版: リスト作成者: あだ名・ニック・ネーム
[] Amazon.co.jp: 悪い男: DVD: キム・ギドク,チョ・ジェヒョン,ソ・ウォン
[引用サイト] http://www.amazon.co.jp/a?aa??c?・-a?-a??a?≫a?Ra??a? ̄/dp/B0002CHQ0I
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