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引きとは?

出会い 喫茶での検索結果です

優先キーワードは 出会い
・firefox1.5のウェブサイト検索(Ctrl+F)は、ブロックブログのフォームの中を検索してくれなかったけれど、2.0では効くようになった。firefoxでも誤字脱字の修正が楽に出来るようになった。
・firefoxのオールインワンジェスチャーは、マウスジェスチャー入力後にホールドしていると、コマンドがキャンセルされてしまい、コマンドが発生しない。それにも関わらず、ジェスチャーの入力は継続されている。どうしてこのような仕様になっているのか全く不明。たいへんに使いづらい。精度面等も含めて、マウスジェスチャーだけを見れば、他のブラウザに大きく劣っているように思える。
あまりにショックで頭の中から他の事が全部消えてしまってある意味ではストレスフリー状態。オフラインプレイオフにphilが来るなら、mouzで行く。距離的にシーンから離れてすぎているとはいえ、今でもphilはかなりやばい感じがするから、やれると思うし。
蘇った不敗神話あんた何やってんの。大っきらいだったのにSKに入ったからって超好き好きして応援してたのに。なんで肝心な時に役に立たないの?有利とされるマッチアップで負けちゃうの。ねえ、なんで。あとブルガリアンどこ?ブルガリアン。まあ、数字的に言えば今期はhotだったろうけれど。SKとWEは実力の拮抗した選手を抱えすぎているだけに、こういう微妙な負け方をしてしまうと悔しさが尾を引く感があるね。
アンチ4Kなので4Kは論外。WEも中国すぎるから駄目。MYMは韓国すぎるから駄目。mouzは弱すぎるて勝ち目が無いから肩入れしたらこの後さらにへこむだけ。まあmouzでいいや、mouzで。
わー、無理だ。なんかFly100%が一番強く見える。さすがにハッカーサイの出る幕は無い程度には強いけど、絶対無理やわ。こんな面子で世界が取れるわけないわ。4強万歳!ぐらいが精々やわ。そんな韓国みたいなの嫌やわ。あかんわ。
現金集めにブログを書いている人間が「感謝」だとか「ありがとうの気持ち」だとか言いだして、気持ちの悪い取り巻きどもとなよなよきゃーきゃー素敵合戦おべんちゃらを繰り広げるというパターンは昔から楽天blogやアメーバを中心に随分とあったのだけれど、改めて目にすると真にうんざりするものがある。
例えば上のblogであれば「俺は金が欲しいのではてなから人を引っ張ってこれるものならなんだって利用します。何度でもやります。文句ある?」とでも書いていたなら、「ああなるほど」で済む話。
ところが、こういう人たちは正々堂々を行わず、御託を並べて、いかに自分が立派で志のある人間であるかを延々述べて自らを正当化する。アムウェイ狂やタッパーウェア狂と同じ論法。「私は自分の為じゃなくて世の為人の為、あなたのためを思ってやっている」というもの。おいおい手前の金儲けだろ。
そもそもこの「全ての作り手に感謝」という冗談にも笑えないエントリー自体が、はてなブックマークでつけられた「なんかもういい加減、こういう記事の出し方は食傷気味。需要はあるんだろうけど個人的には「またか」と思う。」へのリアクション。事ある毎にいい人を演じて馴れ合いで隙を埋めるという、金儲け原理主義者の傲慢な手法。
この手の人々が自らを美化する為に「感謝」だとか「ありがとう」、「自分の為でなく」などとblogにwebに並べ立て、それらの単語を使い潰してゆく。大概の言葉はもうボロボロ。
しかも、そのエントリー自体にアフィリエイトを貼る傲慢知己さ。作り手に感謝するならアフィリエイト挟むなよ。アフィ金中抜きするなよ。自分で勝手に買ってろよ。それとも高度なギャグか何かなんだろうか。きっとそうなんだろうな。さすがにこれは。
今やどの世界でも正当化の為の見苦しい言い換えは氾濫していて珍しくもなんともないものだけれど、「アフィリエイトを貼る」を「作り手に感謝する」に言い換えるという傲慢さを目にしては、呆れるを通り越して驚きすら覚える。ちょっとしたサプライズ。世も末も末。地球上から消えてなくなれ。
「あー、真性引き篭もりhankakueisuuさん頑張って書いたみたいだから、2日くらいは放置するかー」とか、そういう優しさははてなには無いの?ねえ。もしかして、杓子定規にバグは全部修正すればいいとでも思ってる?いつか火傷するよ、そんなんじゃ。言わせてもらうけど、これだって結構大変だったわけ。たとえばね、最終行をどうするか、みたいな問題があった。IEで見れば最終行は「藤直也にちなんで〜」になるけど、firefoxだったらきちんと「伊藤直也にちなんで〜」になる。この両者を並立させるには、どの文字をどうすればいいかで、20回くらい修正したわけ。まあ、結局諦めたけど。けど、まあその諦めるにも紆余曲折在って、「IEだよ、シェア90%、90%」という声と「時代はfirefox。cool2.0」という声が鬩ぎあって、そりゃあもう一騒動あったわけ。それをこういうふうに真昼間から踏みにじれるって、いったいどういう神経してるの?そんなんじゃあれだよ、通用しないよ。マジで。いや、ほんとに。冗談だと思って聞いてるかもしれないけど、5年後10年後「あー、真性引き篭もりhankakueisuuが言ってたのはこれかー」って。わかる日が来るよ。いやー、来ないかな。まず来ないな。
社長がいなくなったらこれですか。社長が居ないのをいい事に好き放題やって社内で孤立しつつあるid:naoyaが実権握ったらこれですか。さすがですね。馬鹿ですねー。あほですねー。まぬけですねー。あんぽんたんですねー。人徳の無さには定評があるだけありますねー。社内で孤立してnifty追い出されただけのことはありますねー。もはやジーニアスですね。ジーニアスイズボーンですね。いやいや、これはもうキングオブジーニアスイズボーンの領域ですよ。
はてなーーーーはーーーーばあああああああかなああああああああああ丸出し!!!!!!!っ!!!世界に向かって馬鹿発信!!!!!はっしんっ!!はてなはっすぃんっ!はてなあああああーーーっはっしん!!!!!世界に向かってっはてなはっすぃんっ!!!!ごーーとおぅうーーーふろむばかあああっ!!!ばかてなっ!!ばかてなーーーーばーーーかーーーてなーーーーーはてなああああっ!!!!!はsっすっすすすすsssっししいいいいいいいいいいいいいいいんんっ!!!!!おぶざわーーーーーーるどぉぉおおおおおおおっ!!!てーんこずみーーーーっく!!!足し算もまともに出来ないっ!!!!にっぽんの恥じ!世界の恥じ!はてなイズ馬鹿!はてなは、馬鹿です!イェス!イェス!いぇすええええええええええ!!!!すっ!!!!僕は、この、簡単な足し算も出来ないという症状を、社長の留守をいい事に好き放題やった結果僅か2日で完全に社内で孤立してしまった伊藤直也にちなんで、naoya脳と名付ける事にします。
「英語やっていると受験・就職に有利、お金持ちにだってなれる」という本音むき出しの主張なら、ものすごくシンプルに論理的だが。
「俺の方がシリアスな見方をしたから勝ち」だとか、「俺の方がシビアな意見だから本質貫いてやった俺かっこいい」だとか、「夢見がちな若造供には大人の世界の厳しさってものを教えてやろうじゃないか」みたいな態度はもういい。そういうのはもうこりごりだ。飽き飽きしている。満腹も満腹食傷である。インターネットは、即ちブログはそういう人々で埋め尽くされており、そういう人達がありがたがられてる。「言ってやった言ってやった!」といい気になるブロガーと、「言ってくれた言ってくれた!」と崇め奉るインターネッターとで、小さく偏狭的で広大なインターネットが形成されてしまっている。思慮深さとか、正確さとか、そういった類の古い概念はまったくもって省みられず、極めて無秩序な歯に衣着せぬがありがたがられる。ニヒルを気取れば君もスターだ立派な物言うブロガーだ。
そうである。インターネットには素直さが足りない。ブログには素直さというものがまったくもって足りていない。人生はもっと楽しく、世界はもっと楽しい。即ちインターネットとは、元来楽しいものなのだ。その実体は、どうあれど。
「英語やっていると受験・就職に有利、お金持ちにだってなれる」という本音むき出しの主張なら、ものすごくシンプルに論理的だが。
英語をやっていればお金持ちになれるだって?おいおいNOVAか。その手の輩か。それともイオンかイーシーシーか。いったいどこの手の者だ。馬鹿な冗談を垂れ流すのはいいけれど、物には限度というものがある。大概にしてくれ。
平均的なレベルからはかけ離れた高い英語力を習得した人間が受験や就職といった面で有利なのは事実だ。しかし、そんなエリート供の事はどうでもいい。一部の人間の実例や実態を取り出して、それを論拠にさもありなんを語るのは害悪でしかない。
2006年、平成で言うと18年。多くの市井の人間にとって、英語とは人生を楽しむための道具なのである。少しの英語が出来るだけで、人生はもっと楽しくなる時代が今、まさに、ここに在るのである。
もう、まず、英語を語るにおいて、1992年の文献を引いている時点で間違いである。お話にならないと言ってもよい。少なくとも、英語を語るならば、1995年以降の文献を引かないことには話にならない。Windows95の登場以降に書かれたものでなくては話にならない。Yahooの創業が1995年、googleが同じく1998年。
前時代の感覚と、前時代の常識で、現代の物事を語る事ほど愚かなものはない。インターネット以前の常識で英語を語るという事は、自動車以前、いや鉄道以前の常識にて現在の物流を語るに等しい愚の骨頂である。
国際語だとか、共通語だとか、世界語だとか、そういった虚語、幻想を忘れ去ろうという向きには大賛成だ。しかし、今から未来にかけての英語という言語は、そんなくだらないものよりも、もっと大きな存在なのだ。即ちインターネット語である。
かつて、「英語の出来る人が世界中に存在している」という事実は、「英語の出来る人が世界中に存在している」という事実でしかなかった。
「英語が出来れば世界中の人と友だちになれる」というのは、「日本語が話せれば1億2000万人と友だちになれる」と同等の性質の悪いセールストークでしかなかった。
「英語が出来ればいざという時にも安心」などというのは、庶民からすれば、現実味の無いまったくの、空言妄言その類でしかなかった。
「英語の出来る人が世界中に存在している」という、我々とは遠い世界の1つの事実でしかなかった事は、blogの力を借りた今、「英語で情報を発信している人が世界中に存在している」という事実へと差し替えられた。
「英語が出来れば世界中の人と友だちになれる」という悪い冗談は、「英語が出来れば世界中の人の書いた文章に触れられる」という現実へと姿を変えた。
「英語が出来ればいざという時にも安心」という妄言は遠く過ぎ去り、「英語が出来れば人生はもっと楽しくなる」という新たな時代が訪れた。
これまでは世界中に散らばって、人知れずひっそりと存在し消えて行っていたような優れた文章は、今では「有志」という言葉に象徴される市民の手によって、全て英語に変換されWeb上に、アーカイブ化され生き残る。同じように、優れた英語のテキストは、「有志」という言葉で象徴される市民の手によって、各国言語へと変換され、これまでとは比較にならない猛スピードで、世界中を情報が駆け巡る。
即ち、もう、これまで存在していたような、くだらない英語への先入観は捨て去るべきなのだと僕は思う。英語は変わったのだ。
かつて、庶民が英語の文章にアクセスするのは、大変だった。まず何よりも、英語で書かれた本は高かった。下手をすれば、邦訳本より高かった。それどころか、手に入れる事さえ困難だった。書店では全くと言って良いほどに取り扱われていなかった。
インターネットは英語で満ち溢れている。googleニュースを使えば、悪くて遅い日本の報道機関が翻訳ニュースを翻訳するよりもずっと早く、新鮮で刺激的な世界の最新の情報を好きなだけ読み漁ることが出来る。アクセスも何も、向こうからやってくると言ってもよい。RSSが英文を運んでくる。ニューヨークも、ロンドンも、ドイツもイタリアまでもが今や英文で満ち溢れている。amazon使えば洋書も買える。
古い時代のインターネットでは、英語が読めた所で、良質のテキストに辿り着くのは非常に困難だった。大きな新聞のWeb版などで、プロの書き手が書く文章をだらだら読むくらいしか、方法は無かった。
世界中の人々が、こぞってブログを書き始めた。プロゲーマーが、作家が、教授が、政治家が、エッセイストが、コメディアンが、学生が、ありとあらゆる階層の、ありとあらゆる趣味を持つ、幾億万の人々が、おもしろブログを書き始め、そしてその中でも特筆に価する面白い書き手の面白い文書はソーシャルブックマークや、ブログとブログを繋ぐトラックバックやディープリンクな口コミに乗って、簡単に見つけ出せるようになった。
かつては極めて英語能力の低い人間が英文を読もうとしたならば、分厚い辞書を一語一語引かなければならなかった。それが、今ではどうだ。Web自動翻訳を使えば、原文付きで文章全てが翻訳される。ホイールクリック一発で0.1秒待たずして、全ての英単語が邦訳される。googleツールバーを使えばポップアップで意味が出る。少し出来る人間ならば、同じ要領で英英辞書も引き読める。
英語能力が0に等しいこの僕が一日に7つもの英文blogを数十分で読めているのは、正しくインターネットとgoogleの賜物以外の何者でもない。時代が変わったのである。7つのうち6つはゲームのblogであり、1つはフランス人、1つは韓国人、1つはドイツ人のものだ。これらのblogを読まなくなれば、僕の人生は圧倒的につまらなくなる。言いきってもよい。少なくとも僕にとっての英語とは、人生を楽しむ道具以外の何者でもない。英語が出来て本当に良かったと心から思う。いや、全然出来ないのだけれど。
並の人間であれば、それこそ、やりたい放題すき放題だろう。自らの好きなジャンルの話、自らの好きな分野の事柄、自らが関心あるものについて、いくらでも読めるのである。これが幸せでなくて、何であろうか。日本のblogを見渡しても、英語の文章を翻訳したり、紹介したりしているblogは山のようにある。彼らがそれらのサイトを読むのは、「面白いから」に他ならない。そして、彼らの多くは良心的にも、情報元へのリンクを貼ってくれている。誰だって、そのような英文へのリンクを目にした事があるだろう。それらは、「面白い」が故に貼られているのであり、「面白い」からこそ、彼らはそれを邦訳してくれてるのだ。そして、「面白い」からこそ彼らはそれを広めようとしてくれている。これに乗らずして、何がブログであるかと僕は思う。
面白い英文は劇的に増え、それを見つける方法も増えた。今ではインターネットを5分10分漂うだけで、面白い英文に出会う事が出来る。そして、その時代の波が世界を読んで、世界中の人々が積極的に英語で発信するようになった。中国人が、ブラジル人が、ドイツ人が、日本人が英語でテキストを書くようになった。母数が違うからだ。その母数の違いが人を呼び、「母国語インターネット」を後にした書き手が、より魅力的な場所である「英語インターネット」へと世界中から集った。エキサイティング。正しくエキサイティングである。
もう、これまでの価値観で英語を見るのはやめにしよう。英語を技術として見るのはやめにしよう。TOEICも英検も忘れてしまおう。英語テストも英語受験も英語就職も、どうせ僕ら庶民には程遠い話だ。そんなものは忘れてしまおう。自らと他人とを比較する為の道具として英語を用いるのはやめにしよう。英語を自らを優位づける為の道具として扱うのはやめにしよう。日本語が人生を楽しくする為の道具であるのと同じように、英語もまた、人生を楽しくする為の道具なのだ。
[なぞなぞ]全力で書き上げたエントリーが戻るで飛んでしまったけれど、幸いにしてノーダメージだった。なーんでだ?[雑記]
あまりにリアルでびっくりしました。夢の中で「IEで書いてたのが間違いだったんだ!タグブラウザでナビゲーションロックをかけて書いていればこんな事にはならなかったのに!」とパニックに陥りながらRememver The Milkで該当投稿のタスクを選択して、狂ったように"p"(期日を1日延期する)を連打しながら泣きました。汗だくで飛び起きたけれど、僕は、今日も、元気です。生きてる不幸をお許しください。
先日remember the milkを見つけたんだけれど、これは凄い。一年以上使ってたcheck*padから迷わず乗り換えた。感じ、完全な上位互換。乗り換えない理由は全く見当たらなかった。
足跡依存症から抜け出した僕は、一生mixiなんてしないと堅く心に誓ったのでした。[mixiで始める素敵ライフ]
その頃、僕は疲れていた。生まれてこの方まともに文章なんて書いたことの無かった夜から晩までゲームをやり続けていただけの人間が、どこをどう間違えたのかブロガーになってしまい、毎日ブログを書いていた。その慣れない生活に、僕は疲れきっていた。
起きて、書いて、寝る。その単調な生活に、僕はわけのわからないままで、頭のてっぺんまでどっぷりと、完全に漬かってしまっていた。
彼女のブログを始めて読んだ夜の事は、今でも鮮明に覚えている。なんてことのない普通のブログだった。ありふれたダイアリーだった。けれどもそれは、どうしてか、強く僕の心を捉えて放さなかった。彼女はとても弱かったけれど、とても強い文章を書いていた。完全にやられてしまった。
僕はその夜から、彼女のブログを読むようになった。一日に何度もアクセスし、過去ログを何度も読み返した。ローカルディスクにダウンロードして、暇さえあれば読んでいた。「ちょっとストーカーっぽいかな」と自分自信に気持ちの悪さを感じたりしたけれど、彼女の繋ぐ言葉の美しさと、濁りの無い透明な輝きは、そんなことどうでもいいやと思ってしまうくらいに素晴らしいものだった。
それまで毎日のようにアクセスして読んでいたブログやウェブサイトが途端につまらないもののように思えた。ゲームとか、インターネットとか、そういうものがどうでもよくなってしまうくらいに、彼女は飛びぬけて美しかった。
僕は彼女に強く憧れた。「当たり前のように恋に落ちた」と書くのが正しいのかもしれない。今にして思えば、そんなものではなかったのかもしれない。もっと純粋な気持ちだった。ただ好きだった。彼女の放つ言葉の1つ1つがただ好きだった。
そして、僕はある日の夜、いつものように彼女のブログを読んでいた。彼女はその晩ぼんやりと、いつものように澄んだ言葉で、揺らいだ気持ちを書いていた。そして文末で唐突に「ブログっていいね」とポツリと書いた。
いいのかな、と僕は思った。そしてただ漠然とぼんやりと、ブログを書きたいと思った。本当の事を言うと、ブログなんてちっとも書きたくなんてなかった。僕はずっとゲームをしていたかった。ただ、彼女に少しでも近づきたいという衝動を抑えられなかった。
ブログを書き始めさえすれば、彼女と同じブロガーになれるのだという思いが芽生え、僕の心を覆っていった。そして僕はブログを書き始めた。ブログを書いたくらいで彼女に近づけるわけじゃないと気が付いたのは、それから随分後のことだった。彼女には才能があった。僕にはそんなものまるで無かった。書けば書く程に醜さばかりが浮き上がり、その自らの醜さが、いっそう彼女の美しさを引き立てて行った。
僕がブログを書く度に、ただ美しい彼女と、ただ醜く無能なだけの僕との距離は離れていった。辛くて、寂しくて、頼れるものもなく、飽きずに毎晩呆然と、くだらないブログを書きながら、素晴らしい彼女のブログを読み続けるだけの日々が続いた。僕は孤独だった。
その頃の僕のブログについていた、ブロックブログのデフォルトのアクセスカウンターには、簡単なアクセス解析機能があった。IPまでは見られないけど、リンク元は見る事が出来た。そこに、彼女のハンドルネームがあった。はてなrssリーダーからだった。幸せを感じた。幸福感に包まれた。ブログを書き始めて良かったと、その日初めてこころから思った。
その日から更新する度に、彼女は足跡を残していった。僕は必死でブログを書いた。もうゲームなんてどうでも良かった。人生なんてどうでも良かった。将来への不安なんて吹き飛んだ。自分の未来について考える事なんてなくなった。自分が書いたエントリーを彼女が読んでくれているというだけで、僕は幸せだった。
それからしばらくして、デフォルトのアクセスカウンターが重過ぎて使えなくなり、今もこのブログについているカウンターに付け替えた。そのカウンターにはアクセス元の記録機能なんて無かったから、僕は慌ててtrackfeedをブログにつけた。彼女は僕が何かを書く度に、ハンドルネームの入った足跡を毎日のように残しつづけた。それが嬉しかった。僕は必死で懸命に、ただただブログを書きつづけた。
そんな頃、彼女のブログが変わり始めた。更新頻度が少し落ち、言葉の量は日に日に減った。彼女はmixiをやっていた。彼女は時々mixiの話をブログに書いて、ちょっとした馴れ合いに浸かり始めた。
彼女はそれまでいつも1人で、毎日不安と寂しさを纏っていて、毎日何かに怯えていた。それでも強さを持っていて、なにより言葉が澄んでいて、紡ぐ全てが美しかった。けれども、mixiを始めてから彼女は、少しずつブログを書かなくなっていた。それでも彼女がたまに書く、ブログは途轍もなく大きかった。僕が逆立ちしても近づけないくらいに、美しくて、強くて、それでいて面白かった。
彼女は大学を卒業してすぐ東京に出たようだった。どうしてそんな事を知ったかというと、mixiで大学時代の友だちと再会したと、mixiをちょっと褒めていたからだ。彼女は少しだけれど、喜んでいた。それを見て僕は良かったねと呟いた。彼女のブログの更新は、その日を境にさらに減った。それでも彼女は美しかった。過去ログばかり読んでいた。
それから、少しが過ぎた日を境に、彼女の足跡がぷっつり途絶えた。僕はブログを書く事の意味を見失った。なんだかんだと理由をつけても、その実はただ、彼女に自分の姿を見てもらいたいという気持ちだけでブログを書いていたのだという事を知った。
それでも、彼女が再び足跡を残してくれる日が来ると信じて、僕はブログを書きつづけた。彼女のはてなダイアリーは、ある日突然唐突に削除されていた。
僕は彼女を探した。知っている情報をgoogleに打ち込みつづけた。彼女がリンクしていた人や、彼女のブログのコメント欄に書き込んだ人のブログのRSSを貪るように読みつづけた。「これじゃあまるでインターネットストーカーみたいじゃないか」と思った。自分が何かとてもみっともない人のように思えた。それでも僕は彼女の事を少しでも、なんでもいいから知りたかった。
ある日新着のRSSに「結婚式に呼ばれた」とあった。相手は大学時代の友人で、おめでた婚だと書いていた。僕はそのままその足で、trackfeedを取り外した。更新意欲を完全に無くした。そして、僕は、書くのを止めた。正確に言うと、書けなくなった。
彼女には仕事があって、友だちがいて、夢があって、とても誠実に生きていて、ブログを毎日書いていても、それはただの暇つぶして、本当はブログなんてどうでもよかったのだ。そんな彼女が僕のブログを読まなくなるのは当然の事だった。何故なら彼女とは対照的に、僕には仕事なんてなくて、友達も居なくて、夢もなくて、不誠実に彼女の足跡に依存してブログを書いては寝るだけの生活を送りつづけていた。彼女は美しく、僕は醜かった。彼女には幸せになる資格があり、僕にはその資格が無かった。彼女は幸せになり、僕は行宛も無く彷徨った後で、また、再び、ブロガーになった。
メッセージ:冗談か本気かわかりませんが、「誰も僕をmixiに招待してくれない」とブログに書かれていたので、招待してみました。何かに利用できると思ったらお使いください。
K2峰の頂で、マリアナ海溝の海底で、アマゾンの森の奥深くで、人知れず今や目覚めんとするブロガーの野望が蠢いている。収縮を繰り返し、殺ぎ落とされ、凝縮されて膨らんだ幼羽抜けきらぬブログの翼が、リアルの風を切り裂いて、ワールドワイドウェブの水平線の向こうへと、飛び立ち彼方へ消えてゆく。その群れ、太陽を遮り、荒野に帳、摩天楼に停電。新月の夜の嵐の如し。惑星軌道の彼方でも、ブログの野心が黒く煌き、夜空の果ての向こうまで、タイピングの音が響き、渡り、共鳴し、この世の全てを震わせている。今や宇宙が揺さぶられ、ブログによって揺れている。
もはや、この地球上で、いや、この狭い世界で、1人のブロガーが世界の新たな1ページとして、ブログのエントリーを書く事など不可能なのである。
この狭く短い宇宙の歴史に、未知なる1ページを追記するためにブログを果敢に書かんとする者にとっては、確かにそれは悪夢である。しかし、幸いである。幸いにして、この狭く短い宇宙の歴史に、未知なる1ページを追記するために、ブログを書いている人間など、ただの1人も存在しない。誰もが、凡庸で、狭く、小さな野心に基づきブログを書いている。些細で、取るに足らない、ありふれた欲望に突き動かされてブログを書いている。
即ち、これは、悪夢ではない。我々がブログを読む事により知るのは、未知の中から形作られた宇宙の歴史の新たなる1ページなどではなく、人間とは、人とは、即ちブロガーとは、それぞれ様々な心を持つ存在であり、その心と心の間には、大きな違いなどなく、誰もが凡庸であり、極めて似通った存在であるという事である。
そして、そのほぼ同質に似通う中でもそれぞれに、小さく違っているという、当たり前にして当然の、周知の事実を読むのである。あるいは些細なそれぞれの、共通点を目にしては、通じるなにかを感じ取り、当たり前にして当然の、小さな揺れを得るのである。
地平線の彼方まで続く100億のブログの巨大な群れの末尾にすぎぬ1つのブログに、ただ1人にしか書けぬエントリーがアップロードされる事など、決して無いと知り覚え、それに怯える事などは、今すぐ止めるべきである。
個性であるとか、オリジナリティであるとか、私らしさであるとか、そういったくだらない言葉に、子供じみた幻想に、能無しどもの能書きにに、100万ボルトを流し込み、叩きのめし、燃えカスにし、踏みつけ、その彼方へと歩みだすのだ。
ブログは、人を縛り付ける制約などではない。ブログは、人を束縛し萎縮させるゴム鋼鉄の拘束服などではない。ブログは翼である。人を自由にする翼である。二度の大戦を経て、核の恐怖を乗り越えて、人々が手に入れた、輝く自由の翼である。
即ち全てのブロガーは、あらゆる物事に怯えるべきなどではない。匿名コメンテーターの罵詈雑言を恐れ縮こまるべきではない。記名コメンテーターの長講釈にうんざり折れるべきではない。id:otuneの無言ブックマークに夜道で単車につけられるような恐怖を感じる必要などない。徳保隆夫やスタパ斎藤の嫌絡みに萎縮する必要なんてない。何も恐れる事は無い。一切の制約を設けるべきではない。ただ1つ、胸にブログを持つべきである。
「自分にしか書けない事」を探して悩む必要など無い。「叩かれない妥協点」などに指打ち進める必要も無い。そこには、もう、先人がいる。K2の峰を駆け上がっても、マリアナの底まで潜っても、アマゾンの奥へと分け入っても、既に誰かが歩いた後だ。ブロガーはただひたすらに、誰かが鉈で切り分けた、道を書き進むだけでよい。なにも恐れる事はない。怖がるものなど何も無い。そのブログという自由の翼を、ただ懸命に動かせばよい。飛ぶも落ちるも八卦である。
Dont Think GOだ。考えるのではない。感じて、考えて、ブログを書くのだ。考えている暇があったら、その考えをブログに書くのだ。悩んでいる暇があったら、その悩みをブログに書くのだ。感じたことをブログに書くのだ。幻想を打ち砕き、ただひたすらに進むのだ。幻想に捕われて、立ち止まらずに歩むのだ。ブログの翼で羽ばたいて。
[なぞなぞ]全力で書き上げたエントリーが戻るで飛んでしまったけれど、幸いにしてノーダメージだった。なーんでだ?
1メアド1アカという方針のWEBサービスはGmailの機能を使えば簡単に1メアドで複数アカウントが取得出来てしまう問題の対策を。
「女がマイホームにのぼせ上がってしまうと始末に負えない」という記事がはてなブックマークで注目を集めたのは何故か。
ブロガーにとって、ブロガーの側を装って他人を馬鹿にするコメンテーターほど、迷惑かつ不愉快なものはない。
FC2やはてながリンク無しのトラックバックを弾いているのはスパムを避ける為だから、リンク有りでトラックバックを行った後にリ
WEB上で拾った画像を盗みまくってブログを書いているたけくまが著作権を語っているのを見る度に虫唾が走る。
いじめは悪いことだ。けれど、いじめは悪者が起こすと考えるのは間違っている。だから、いじめを精神論的なメッセージで解決しようとしてはいけない。いじめは構造的に解決されなければならない。

[] 真性引き篭もり/top
[引用サイト]  http://sinseihikikomori.bblog.jp/
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 Last Updated 2007/ 03/ 03/ 19時57分16秒

ネットショップの運営サポートを行うEストアーは、「オンラインショッピングのトラブルと対策に関する調査」の結果を発表した。対象は1年以内にネットショッピングを利用した18歳以上の男女412名。全体の99.5%がオンラインショッピングに対する不安やトラブルの可能性を感じているが、対策については「具体的な方法がわからない」が半数以上を占めるという結果になった。
「オンラインショッピングについて不安を感じることはありますか?」
「金銭や購入手続きのトラブルにあった」という、実際の被害にあった人は8.0%。「不快に感じたことがあった」(25.0%)では、「メールでの対応が遅い」や「違う商品が届いた」などトラブルの"火種"のほか、情報漏洩に関するトラブルも挙げられた。だが、対策については「確認したいが方法がわからない」が55.1%を占めた。
「具体的にどのようなトラブルにあった、もしくはどのようなことで不快に思ったことがありますか(複数回答)」
「オンラインショッピングにおいて、被害にあわないよう事前に確認を行っていますか?」
事前に行なっている、もしくは今後取り入れたい確認方法について、男性は「サイトの安全性表記(SSLなど)を確認する」(53.1%)、女性は「購入者の口コミや評価を確認する」(54.1%)がトップ。安心できるショップのポイントでは男女とも「代引きがある」ことのほか、「対応が丁寧」「口コミ評価」などの人的要素が高い比率を示した。
「トラブルにあわないために事前に行なっている、もしくは今後取り入れたい確認方法は何ですか(複数回答)」
「オンラインショッピングにおいて、安心して購入できるウェブショップのポイントは何ですか(複数回答)」
ネットショップ、売れる/売れないの差は? 店頭で入手不可&送料無料が魅力大個人のネット取引が急増、セキュリティの不安も高まる - シマンテック商品を忠実に再現、ネットショッピングでのトラブルを防ぐ技術
【レポート】今週の秋葉原情報 - Athlon 64に省電力の新コア登場、ナゾのVGAと液体金属グリスにも注目だ [3:30 3/3]
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【コラム】IT資本論 第138回 ポストモダン・エコノミー(11) アーティストと職人のネットワーク [19:49 3/2]

[] ネットショップ利用「代引きあり」「丁寧な対応」に安心感 - Eストアー調査 (MYCOMジャーナル)
[引用サイト]  http://journal.mycom.co.jp/news/2007/02/21/391.html
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 Last Updated 2007/ 03/ 03/ 19時57分16秒


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